最後の晩餐(第3部 / 命懸けの殿)
風が悲痛な呻きを上げながら、戦場をなぞるように冷たく吹き抜けていく。
焦げた木々の匂いと人の血の鉄臭さが混ざり合い、呼吸をするたびに肺が締めつけられるような錯覚を覚えた。周囲には煙がゆらめき、かすかな火の粉が風に舞う。
その真っ只中で、慶一郎は蒼白なエレオノーラを腕に抱き締めていた。
彼女の体温は急激に下がり、指先が冷たく硬直していく感覚に、彼は絶望的な無力感を覚えた。
(あの瞬間が……何度も蘇る……)
慶一郎は激しく歯を食いしばった。脳裏に焼き付いた、つい先ほどの忌まわしい光景が彼を襲った。
...
敵の襲撃を受けてから数分――混乱の中を逃走しているときだった。
前方に潜んでいた兵士が、音もなく闇から現れ、冷徹な銀色の刃を振りかぶる。
「慶一郎、危ない!!」
エレオノーラの必死な叫び声が響き、瞬時に彼女は身を挺して彼を突き飛ばした。
慶一郎の視界が回転し、地面に打ち付けられる。その視界の端で、エレオノーラの背中を冷たく鋭利な刃が貫く瞬間が映し出された。
「ぐあああぁぁ!!」
彼女の苦痛に満ちた叫びと、鮮やかな赤い飛沫が月明かりに舞う。
その瞬間、慶一郎の脳裏に、忌まわしく封じていた記憶が激しく蘇った。
(――まただ。また背後からだ……!
前世の俺は職場で背後から撃たれて命を落とした。
あのときの圧倒的な絶望と無力感……そして今度は、大切な人が同じ目に……!
また俺のせいで、誰かが傷ついてしまった――!)
自責の念が鋭い刃物のように心臓を切り裂き、彼は悲鳴を上げそうになった。
「エレオノーラ!!」
慶一郎の絶叫が夜空を切り裂いた。その声には、過去と現在の悲痛が入り混じっていた。
...
――そして今、彼の腕の中で彼女は命の炎を消そうとしていた。
エレオノーラの瞳から光が徐々に失われ、唇は静かに紫色に染まり始めていた。
「あなたが……無事なら、それでいいの……」
その微かな呟きに、慶一郎の胸はさらに締めつけられた。
溢れる涙が頬を伝い、震える唇から言葉が漏れた。
「俺には……何もできないのか……!」
「慶一郎様、どうしてこんなことに……!」
サフィがすすり泣きながら呟き、レネミアは静かに涙を流し続けた。
マリエルの祈りが空虚に響く。
「神よ、どうかエレオノーラを救いたまえ……!」
ナリは焦りを帯びた声で叫んだ。
「隠れ家まで、あとわずかです!」
しかしその時、追っ手の群れが四方八方から迫り、逃げ道を塞いだ。
カレンが決然と盾を構え、アベルも剣を握りしめる。
「この先は私たちが食い止める!」
「師をお願いします、慶一郎様!」
アベルの瞳は涙で潤んでいたが、その意志は固かった。
「カレン、アベル……!」
慶一郎が苦悶の表情を浮かべるが、彼らは微笑みを返す。
「必ず後で合流します!」
カレンが強く頷いた。
さらにベルナルドとリュウゲンは、別方向への脱出ルートを取った。
「我々は別ルートで敵の目を引く。必ず再会を!」
そうして、慶一郎はエレオノーラを抱え、レネミア、マリエル、サフィ、ナリと共に、隠れ家への道を急いだ。
闇の中、敵兵の怒号と金属音が交錯し、彼らの心に残酷な現実を突きつけていた。
足元の泥が靴底に粘りつき、冷たい夜気が頬を容赦なく叩く。だが彼らはただ、生きるため、失いたくない仲間のために、必死で走り続けた。
慶一郎は腕の中のエレオノーラを見下ろした。その身体は儚く冷たく、命の灯火は消えかけていた。
「必ず助ける……俺が、必ず!」
己の過去の無念と、現在の絶望を胸に刻み込み、慶一郎は闇の中を駆け続けた。
次第に近づく隠れ家が、彼らの最後の希望だった。
後方に残ったカレンとアベル、そしてベルナルド、リュウゲンの運命を背に感じながら、慶一郎はただただ前へと足を踏み出すしかなかった。
夜の風はなおも無情に吹き荒れ、彼らの背中を冷たく押し続けた――。




