最後の晩餐(第2部 / 絶望の包囲)
晩餐の余韻を名残惜しむように街を照らしていた灯籠が、突如として不吉な風に煽られ、震えるように揺れ始めた。
「……?」
空気がざわつき、静まりかえっていた街道に不気味な緊張が広がる。その瞬間、冷たい夜気を切り裂くように鋭い金属音が響き渡った。慶一郎たちの背筋を氷のような悪寒が走り抜ける。
「全員、動くな!」
低く鋭い声が夜の闇に響く。街道を囲む建物の影から、重厚な鎧を身にまとった兵士たちが無数に姿を現した。彼らの兜に反射する松明の赤い炎が、不気味な影を地面に落としている。数百の兵士が四方八方を完全に封鎖し、一行を逃げ場のない絶望へと追い込んでいた。
「……ザイラス!」
エレオノーラが息を呑む。その瞬間、群衆を割って、黒銀の鎧をまとったザイラスがゆっくりと前に歩み出た。その瞳には狂気に似た憎悪が渦巻き、刃のように鋭い視線を突き刺してくる。
「和平などという戯言は終わりだ、エレオノーラ。貴様の甘さが秩序を乱した!」
彼の声は凍てつくように冷たく、周囲の空気すら震わせる。
「私は……ただ、人々の笑顔を守りたかっただけです!」
エレオノーラの声が震える。彼女の瞳には悲痛な決意と恐怖が入り交じっている。
「笑顔だと?秩序の前に必要なものは、絶対の服従のみだ!」
ザイラスが手を振り上げると、周囲の兵士たちが剣を抜き、一斉に威嚇するように刃を突き出した。その音が乾いた夜空に響き渡り、街道を一層の緊張が覆った。
「お前を処刑し、秩序の威厳を取り戻す!」
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その時、ベルナルドが重苦しい声で怒鳴りつけた。
「ザイラス! 何の真似だ? 我々は和平に合意したはずだ!」
「和平だと?騙されるな、ベルナルド。料理ごときで世界が変わるわけがない!」
ザイラスの嘲笑が冷たく響き、ベルナルドの顔色が蒼白になる。彼の手がゆっくりと剣の柄に伸びるが、完全な包囲の前に身動きが取れない。
「これは東方帝国への裏切りだ、ザイラス!」
リュウゲンの鋭い叱責が飛んだ。彼の眼には激しい怒りと焦燥が浮かび上がっている。だがザイラスはそれすら無視し、兵士たちに命令を下す。
「全員捕らえよ!抵抗する者は斬れ!」
その掛け声とともに、周囲の兵士たちがじりじりと包囲の輪を狭め始めた。鋭い刃が月光に煌めき、殺気が容赦なく彼らに迫る。
「くそ、警備を突破された……情報漏れか!」
ナリが呻きながら頭を押さえる。その瞬間、闇の中から鋭い音が空気を裂き、矢が風を切って飛来する。
「エレオノーラ様、危ない!」
アベルが叫ぶが間に合わず、一本の矢がエレオノーラの肩を掠めた。鮮やかな赤が彼女の白い法衣に滲み、エレオノーラが苦痛に顔を歪める。
「エレオノーラ!」
慶一郎が咄嗟に彼女を支える。彼女の身体が小刻みに震えていた。
「大丈夫……大したことはありません」
苦しげな微笑みを見せるエレオノーラの頬に、汗が滲む。
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カレンは静かに剣の柄を握りしめ、表情は穏やかなまま、しかし全身に緊張が満ちている。レネミアとマリエルは互いに手を握り合い、祈るような眼差しで戦場を見渡している。
「どうすれば……」
サフィが震えながら慶一郎の袖を掴む。彼女の指先の震えが、慶一郎の腕を通じて伝わってきた。
「慌てるな、サフィ。まだ手はある……はずだ」
慶一郎は言いながらも、自分の鼓動が激しく高まっているのを感じていた。喉が渇き、掌には冷たい汗が滲んでいる。
その時、アベルが一歩前に出た。彼の瞳には、覚悟の色がはっきりと宿っていた。
「師を傷つけることは、私が許さない!」
アベルの言葉は若く、しかし揺るぎない決意を秘めている。ザイラスが憎々しげに彼を睨みつける。
「アベル……貴様まで裏切るとはな」
「私が仕えるのはあなたの言う秩序ではない、エレオノーラ様です!」
夜の闇がさらに深まり、風が強く吹き付けて彼らの服を激しくはためかせる。頬を叩く風は冷たく、埃と砂が舞い上がって、目を細めさせるほどだった。
絶望の足音が一歩、また一歩と近づいてくる。完全に包囲されたこの状況で、誰もが次の一手を見出せず、時間だけが静かに流れていた。
街灯が次第に弱まり、包囲網が完全に彼らを呑み込もうとする瞬間――慶一郎は、深く息を吸い込んだ。
(それでも俺は、この調和の炎を絶やしはしない……!)
胸の内に燃える小さな炎だけが、彼の唯一の希望だった。




