和解と裏切り(第2部 / 戸惑いと調和)
夜明け前の淡い闇がゆっくりと溶け、黄金龍都の通りには、薄桃色の光が静かに差し込んでいた。夜露が石畳を濡らし、ひんやりとした空気にはかすかな花の香りが混じっている。街はまだ深い眠りに包まれているようだったが、すでに静かな動きが生まれていた。
エレオノーラが屋台の前で慶一郎の調和のシチューを口に運んでいる姿を、少し離れた路地の陰から見つめる三人の女性がいた。レネミアとマリエル、それにサフィである。彼女たちの表情には、戸惑いや不安、そして微かな嫉妬が見え隠れしていた。
「……やっぱり、エレオノーラも慶一郎を好きなのね」
レネミアの呟きは、小さく震えていた。彼女が感じている複雑な胸の痛みを隠そうともしない正直さがそこにはあった。
マリエルは胸元で両手をぎゅっと握りしめ、小声で問いかける。
「レネミア様……私たち、どうしたらいいんでしょうか?」
サフィは無言のまま、不安げに石畳の上をつま先で軽くこする仕草を見せた。その動きは、朝露をはらうほどに微かだった。
そんな三人の姿を、静かに見守る一人の女性がいた。騎士らしいきびきびした足取りで近づいてきたカレンである。レネミアが視線を向けると、カレンは小さく笑みを浮かべた。
「昨夜、レネミアが不安そうだったから、様子を見に来たのだけど……みんなも同じだったのね」
カレンの優しい言葉に、レネミアが少し恥じらうように頬を赤らめた。
「ごめんなさい、カレン。夜明け前に、二人に相談してしまったの。眠れなくて……」
マリエルとサフィが頷く。カレンはそんな彼女たちをそっと抱き寄せるように微笑んだ。
「不安になるのも仕方ない。でもね、エレオノーラもきっと私たちと同じ理由で、彼に惹かれたのよ。あの優しく温かい料理が、人を惹きつけてしまうの」
カレンの言葉には、深い包容力と優しさが宿っていた。朝の柔らかな風が彼女たちをそっと包み込み、乱れた心を穏やかに整えていった。
「行きましょう、みんなで」
レネミアが落ち着いた口調で告げると、他の三人もそれぞれ頷き、屋台へと歩みを進めた。
彼女たちの気配を感じたのか、エレオノーラが振り返り、僅かに緊張を帯びた微笑みを浮かべた。
「……皆さん、よかったらご一緒していただけますか?」
その言葉に、マリエルが柔らかな表情で応じる。
「もちろんです。エレオノーラ様も一緒に、この調和の料理を味わいたいですから」
慶一郎が皆に穏やかな視線を向け、温かなシチューの入った器を一人一人に手渡していく。器から立ち上る湯気が冷たい朝の空気を包み、心地よい温もりが彼女たちの指先に広がった。
一口口に含んだ瞬間、深く染み渡るような優しい旨味が舌を包む。豊かな香りと共に、胸の奥からじわりと広がる幸福感に包まれる。レネミアは目を細め、静かに感嘆の息を漏らした。
「本当に不思議ね。あなたの料理はいつもこうして、心を繋げてしまう」
「……慶一郎の料理って、魔法みたいだね」
サフィが微笑み、マリエルも頷いた。その光景に、エレオノーラの胸がさらに温かく満たされていく。
「私、ずっと秩序を守ることだけが正しいと思っていました。でも、本当に守りたかったのは、きっとこういう温かさだったんですね……」
彼女の言葉には、深い後悔とそれを超える穏やかな喜びが滲んでいた。
少し離れた位置でナリが眼鏡を軽く押し上げ、小さく頷いている。
「やっぱり君はすごいよ、慶一郎。君の料理には、人の心を本当に調和させる力がある」
遠くで、小鳥たちが軽やかな羽音を立てて空に舞い上がる。透明な空気の中、彼女たちの和やかな会話が響き渡り、その場には深い調和が生まれていた。
だが、そんな穏やかな朝を迎えている彼らの知らぬところで、不吉な影が音もなく忍び寄っていた。
秩序陣営の砦の奥深くでは、ザイラスが冷徹な表情で密偵から報告を受けていた。
「エレオノーラが黄金龍都に潜伏しているか……なるほど、好都合だ。彼女の背信を利用し、あの甘い調和とやらを徹底的に壊してやろう」
ザイラスの口元に浮かぶ不気味な笑みが、次なる混乱を告げていた――。




