調和の炎(第4部)
黄金龍都を襲った嵐は徐々に収まり、雲の切れ間から差し込む陽光が、濡れた石畳を温かく照らし始めていた。街の空気は雨上がり特有の爽やかさを帯び、微かに湿った風が穏やかに吹き抜けていく。
広場の中心では、慶一郎が完成させた『真なる調和のシチュー』が巨大な鍋から香ばしい湯気を立て、人々の嗅覚を優しく刺激していた。その香りは黄金龍都の隅々まで届き、戦禍に疲れ切った市民たちを次々と広場へと誘い出す。
「どうぞ皆さん、食べてください!たくさんありますから!」
サフィの明るい声が響き渡る。彼女が差し出す器を受け取った人々は、一口目を味わうや否や、驚きの声を上げ、歓喜の涙を流した。
「こんな味、生まれて初めてだ……まるで身体の底から温まるような……」
「心が、優しく撫でられるみたいだ……」
広場には笑顔が広がり、人々が互いを抱き合い、涙を流して喜ぶ姿が次々と現れた。市民たちの喜びの波動はやがて街全体を覆い、つい先ほどまでの不安と恐怖はどこか遠くへ消えてしまった。
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そんな光景を呆然と見つめていたベルナルドの元へ、慶一郎が静かに近づいた。ベルナルドは表情を強張らせ、視線を逸らしたが、やがて諦めたように肩を落として言った。
「これほどの奇跡を……私は否定し続けてきたのか……」
ベルナルドの言葉には、自分自身への深い後悔が滲んでいた。慶一郎は優しく微笑み、そっと彼の肩を叩いた。
「ベルナルドさん。あなたが守ろうとしてきた秩序も間違いじゃない。でも、料理には世界を変える力があるってことを、分かってほしかったんです」
ベルナルドは黙って頷くと、震える手でシチューを受け取り口に運ぶ。瞬間、彼の瞳に涙が溢れ出した。
「こんな料理があるとは……私は自分の目で見て、自分の舌で確かめるまで、信じられなかった……」
彼は涙を拭いながら、改めて深々と頭を下げた。
「私の完敗だ、慶一郎殿。この料理に比べれば、私の剣など取るに足らない。どうか、この私にも世界を癒すための手伝いをさせてほしい」
その言葉に慶一郎は力強く握手を交わし、周囲にいた仲間たちも安堵の笑顔を見せた。
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街の平穏が戻りつつある中、仲間たちが広場の一角で静かに集まっていた。柔らかな風が髪を撫で、遠くから人々の笑い声が聞こえてくる。
カレンは鎧の手入れをしながら、小さく微笑んだ。
「慶一郎、やっぱりあなたの料理は最高ね。戦士としてだけでなく、一人の女性として誇りに思うわ」
彼女の頬には珍しく赤みが差していた。
サフィは慶一郎の袖を引きながら、上目遣いで微笑んだ。
「私もずっと、慶一郎の料理を食べていたいよ。だから、これからも一緒にいようね?」
その仕草に慶一郎は少し照れながら頷いた。
マリエルは胸に手を当て、深く祈りながら微笑んだ。
「神もこの愛を認めてくださいました。私はずっと、あなたの傍にいます」
彼女の瞳には、清らかな愛情が煌めいていた。
ナリは眼鏡をかけ直しながら、微笑んで口を開いた。
「僕は戦いが苦手だけど、これからも君の知恵袋として役に立てれば嬉しいよ」
少し離れたところで、セシリア王女が微笑みながらレネミアに静かに話しかけていた。
「あなたの想い、伝えなくていいの? せっかく平和が訪れたのよ」
レネミアは頬を赤く染めながら小さく頷き、意を決して慶一郎のそばへ歩み寄った。
「慶一郎、私は王女として、この停戦が成ったことを誇りに思うわ。でも、それ以上に……あなたが無事で、本当に良かった」
彼女の瞳は潤み、声はかすかに震えていた。
「あなたのことを誰よりも信じている。これからも、ずっと傍にいてくれる?」
その言葉に慶一郎は優しく微笑み、深く頷いた。
「ああ、もちろんだ。ずっと一緒にいよう、レネミア」
仲間たちの穏やかな微笑みの中で、慶一郎は改めて心強い絆を感じていた。
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その夜、仲間たちとの宴の後、慶一郎は一人、月明かりの下でエレオノーラの手紙を再び手に取った。手紙には、彼女の震える文字が刻まれていた。
『慶一郎、あなたの料理を口にした日から、私は自分の信じてきた秩序が揺らぐのを感じています。あなたが作る世界を、この目で見てみたい――私がいる西方は今、ザイラスが暴走し、混乱の淵にあります。どうか、私を助けてほしい。私が本当に守りたかったものを見つけるために』
彼女の心の叫びが、紙面を通じて直接胸に響くようだった。慶一郎は深く息を吐き、星空を見上げて決意を新たにした。
(エレオノーラ、待っていてくれ。必ず君を助け出してみせる。君が守りたかったものを、一緒に見つけよう)
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翌朝、黄金龍都の宮殿の一室で、正式な停戦合意が結ばれた。ベルナルドが代表して署名を終えると、広間に集まった人々から歓声が上がった。差し込む朝の光は、調和の象徴として柔らかな虹色を帯びて輝いていた。
ベルナルドは慶一郎の前に進み出て、深く頭を下げて言った。
「私たちが守ろうとした秩序は、あなたの料理が示す調和と共にあるべきでした。これからは共に世界を導こう」
慶一郎は力強く手を握り返した。
「一緒にやりましょう、ベルナルドさん。真の調和を、世界に広げるために」
慶一郎は胸に宿った『調和の炎』の温もりを感じながら、仲間たちと共に新たな決意を固めていた。
彼らが見つめる先には、西方の空が朝焼けに染まり、世界に真の調和が訪れる予兆のような、美しい虹が架かっていた。




