神々の直接介入(前編)
黄金龍都の朝は澄み切っていた。朝靄に包まれた街は、戦禍の跡を残しつつも、人々がゆっくりと前を向いて歩み始めていることを告げていた。
「いらっしゃい!今日は特別なポトフだ!」
慶一郎が優しく声を張り上げると、屋台の周囲に人々が集まってくる。熱を帯びた鍋の中では、じっくりと煮込まれた鶏肉がホロホロと崩れ、彩り豊かな根菜が柔らかくなって踊っている。黄金色に透き通ったスープからは、滋養に満ちた豊かな香りが立ち昇り、辺り一帯を包み込んだ。
スープを口に運んだ人々は、じんわりとした塩気に頬を緩め、柔らかな根菜を噛むたびに笑みを浮かべる。
「やっぱり君の料理は最高だよ、慶一郎!」
サフィがはしゃぐように言い、頬を染めて微笑む。その笑顔には無邪気さとともに、心の奥底に秘めた恋慕の色も滲んでいた。
「あなたらしいわ、慶一郎……こんな時でも、みんなを笑顔にできるなんて」
カレンが微笑みながらも、慶一郎をじっと見つめる瞳には、騎士としての誇りと女性としての淡い想いが入り混じっている。
その傍らでマリエルは小さく微笑みつつも、時折不安げに瞳を揺らしていた。昨晩の神託が彼女に与えた衝撃は、まだ胸に重く残っているようだった。
(私が慶一郎様を愛することは、やはり罪なのかしら……)
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その穏やかな空気を裂くように、一人の青年がふらつきながら現れた。埃まみれの粗末な法衣を纏った彼は、見習い聖職者アベルだった。
「どうか、助けてください……エレオノーラ様が……!」
彼の声は悲痛に震えている。慶一郎がすぐにスープを差し出すと、アベルはそれを両手で包み込むようにして口元に運び、喉を震わせながらゆっくり飲み干した。温かな液体が喉を通り過ぎるたび、彼の頬を涙が伝い落ちる。
「彼女は私を救ってくれた……あの冷たい連盟で、唯一私に優しくしてくれた方です。だから私は……!」
アベルの言葉に周囲の空気が張り詰める。彼の心からの叫びに、慶一郎たちもまた、重い現実を突きつけられた。
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そこへ、銀縁眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の男が静かに現れた。エルマーだ。
「調和のポトフ、実に興味深い料理ですね。なぜ魔獣をも鎮めるのか、少し調べていました」
エルマーは静かな微笑みとともに専門書を広げる。彼の手がページを繰ると、古びた紙の香りが漂い、専門的な言葉が次々と並べられた。
「どうやらこのポトフは、人の心を解きほぐし、生命の根源に訴える効果があるようです。これは料理を超え、もはや『調和の魔法』と言うべきかもしれません」
エルマーの言葉にナリは感嘆の声を上げた。
「なるほど、それならザイラスたちが焦るのも納得だ……」
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午後になって、ヴァレンティア王国のセシリア王女が宮殿を訪れた。彼女は淡い色のドレスに身を包み、穏やかながら決意に満ちた瞳でレネミアに告げた。
「中立であることは困難な道です。どちらかを支持することが国益になるかもしれません。でも私は、世界に調和をもたらしたい。そのためなら、迷いはありません」
レネミアはセシリアのその言葉に心から感謝しつつも、自らの王女としての重責を改めて噛みしめた。
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日が傾き、屋台の周囲に薄闇が降り始めた頃、突如として空が神秘的な輝きを放った。金色と銀色が混ざり合ったような光が広がり、圧倒的な気配が街を包み込む。
「……人の子よ」
美しくも荘厳な声が響いた。神フィオネアの降臨だ。その声はまるで透明な水晶が響き合うかのように澄み渡り、耳に心地よく染み込んだ。
周囲の者たちは畏怖の念に息を呑み、視線を地面に落とした。フィオネアは柔らかな微笑を浮かべつつも、真剣な眼差しを慶一郎に向ける。
「お前の料理は調和を生み出した。だが、神々の秩序にまで影響を及ぼす。その重みを負えるのか?」
慶一郎は微かに震える手を握り締め、毅然と答えた。
「俺の料理が人々を笑顔にするのなら、どんな重みだろうと引き受けてみせます」
フィオネアは静かに頷き、再び声を響かせた。
「ならば示せ、人の子よ。調和を超える新たなる道を」
フィオネアが姿を消すと、周囲は再び静かな夜に戻った。辺りには温かな料理の残り香が漂い、胸の奥に穏やかな余韻を残した。
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慶一郎たちは互いの瞳を見つめ合った。皆の心に宿るのは、不安ではなく確かな希望だった。
「僕らはきっと乗り越えられる」
ナリの言葉に全員が頷く。
「慶一郎ならきっとできるよ!」
サフィの明るい声が響き、マリエルも微笑みを取り戻す。
「私もあなたと共に進みます」
黄金龍都の空には星が瞬き始め、夜風が優しく彼らの頬を撫でていった。
これから訪れる試練を前にしても、心に秘めた温もりだけは、決して失われることがなかった。




