混沌の果て(前編)
黄金龍都を覆う鉛色の空が、不吉なほど低く垂れこめていた。戦場からは耳を貫く剣戟の音が絶え間なく響き、血と土の混じった重苦しい匂いが世界を満たしていた。
慶一郎は城壁の上で、押し寄せる無数の軍勢を呆然と見下ろしていた。数えきれない敵兵が秩序陣営の旗を掲げ、波のように殺到してくる。
「これが世界規模の戦争……本当に料理だけで立ち向かえるのか?」
彼が吐露した不安を、強くも震える声がかき消した。
「弱気になるなんてあなたらしくないわ、慶一郎」
振り返ると、東方帝国の甲冑を纏ったレネミア王女が立っていた。その瞳は覚悟と恐怖の狭間で揺れている。慶一郎は彼女の肩に手を置いた。
「レネミア、怖くないのか?」
「怖いに決まってる。でも、ここで私が諦めれば、誰が皆を導くの?」
彼女の瞳に秘められた決意が、慶一郎の胸を静かに打った。
「そうだな。俺も諦めない」
二人の間を一瞬、温かな絆が繋いだ。
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城壁の前線では、カレンが赤い髪を戦火に染め、敵兵の群れに立ち向かっていた。彼女の鋭い剣技は舞うように美しく、敵兵を次々と切り伏せる。
「絶対にここを通すな!一歩たりとも下がるな!」
だがカレンの体は傷だらけで、息は荒い。折れそうな剣を必死に握り締めるその姿が、兵士たちの胸を打った。
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一方、市街地の仮設救護所では、聖女マリエルが必死に負傷兵を癒していた。手をかざすたびに優しい光が傷を塞いでいくが、次々と担ぎ込まれる負傷者に追いつけない。
「神よ……これ以上の苦しみを与えないで……」
額を汗が伝い、息を荒げる彼女の元へ、慌ただしくナリが駆け寄った。
「マリエル様、敵は戦力を二分し、南門にも強襲を仕掛けています!」
ナリが広げた地図には複雑な敵軍の動きが描かれていた。
「ザイラスが指揮する重装歩兵団です。盾で守りを固め、一気に南門を突破しようとしています。いまの守備隊では持ちこたえるのは難しいかと……!」
マリエルの顔が蒼白に染まった。
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宮殿ではシャオロン皇帝が玉座に座り、険しい表情で各国から届いた報告を受け取っていた。その前に跪くリュウゲンが静かに報告する。
「皇帝陛下、中立国ヴァレンティア王国は和平交渉を支援する意向ですが、北方諸都市は秩序陣営につきました。西方神教連盟の圧力が強まっています」
皇帝は深い皺を眉間に刻み、重厚な声で告げた。
「我らに残された道は一つしかない。帝国全軍を投入し、この都を守り抜け」
リュウゲンは静かに頭を垂れた。
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一方、西方神教連盟の陣営では、ザイラスが不気味な紫の焚火の前で禁忌の儀式を行っていた。彼の前に跪く若い兵士たちは恐怖に震え、泣きながら許しを乞うている。
「秩序の実現には犠牲が必要なのだ」
ザイラスの冷酷な声が響くと同時に呪文が紡がれ、兵士たちの悲鳴が闇に飲まれた。その命を糧に召喚されたのは、伝説の神獣――フェンリルとベヒモス。巨体が動くだけで大地が揺れ、黄金龍都の城壁が瞬く間に崩れ落ちていく。
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圧倒的な破壊力の前に市民は絶望の悲鳴を上げ、逃げ惑った。兵士たちも次々と薙ぎ倒され、守りは瞬く間に崩壊寸前となった。
慶一郎もまた、その惨状を前に呆然と立ち尽くしていた。
「もう終わりなのか……?」
その瞬間、天空から凄まじい咆哮が轟き、雲を突き破って無数のドラゴンが現れた。先頭には堂々とした姿のセリュナが舞い降りる。
「諦めるにはまだ早いわ、慶一郎!あなたには希望がある!」
彼女の登場に、市民と兵士たちは歓喜と安堵の叫びを上げた。
「ドラゴンだ!あの時のドラゴンが戻ってきたぞ!」
セリュナは慶一郎に力強く頷いた。
「さあ、あなたの料理を。私たちは共に戦うわ」
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城内の厨房に戻った慶一郎は、調理の準備を始めていた。そばにはサフィが完璧な手際で食材を下処理している。
「慶一郎、仕込みは済ませてあるわ」
サフィは微笑みながら励ました。
「ありがとう、サフィ。必ず皆を救う料理を作ってみせる」
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再び前線では、カレンが鮮やかな剣技を振るった。敵兵の攻撃を巧みに受け流し、敵の懐へ深く踏み込んで一閃。吹き上がる鮮血と共に敵が倒れた。
「私は最後まで守り抜く。絶対に負けない!」
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救護所では、マリエルが祈りの光で兵士の傷を癒やしていた。指先から広がる神聖な光は傷を瞬時に塞ぎ、兵士たちが再び立ち上がる。
「神よ、私に奇跡の力を与えてください……!」
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破壊された城壁の先では、フェンリルが轟音と共に咆哮を上げ、地を揺らした。その鋭い爪が兵士を薙ぎ倒し、兵士たちが散り散りに逃げ惑う。
その絶望の淵で、慶一郎は静かに鍋に火をかけた。




