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迷える聖女(後編)


 秩序の塔は、張りつめた緊張に満ちていた。廊下には武装した騎士がひっきりなしに行き交い、壁際で囁き合う若い聖職者たちは、誰もが怯えたように目を伏せていた。


 エレオノーラの胸は鉛のように重かった。彼女の足音が石造りの床に響くたび、信念という名の鎧が軋みを上げる。


 塔の中央礼拝堂へと足を進めると、穏健派聖女フィオナが、拘束されたまま床に膝をつかされていた。その周囲には冷たく無表情なザイラスと、その部下たちが居並ぶ。


「ザイラス、彼女を解放しなさい。これは命令です」


 エレオノーラの声は静かだが、鋭い力を帯びていた。だがザイラスは微動だにせず、氷のような視線を返した。


「聖女様、これは秩序を乱す者への当然の処置です。あなたの命令であっても、従うわけには参りません」


「あなたが語る秩序とは、一体何なのです?」


「秩序とは絶対的統制。自由を掲げる愚かな者どもがもたらす混乱を根絶することです」


 ザイラスの口元が歪んだ冷笑を浮かべると、エレオノーラの胸には激しい怒りが込み上げた。


「それは秩序ではない。ただの暴力と圧政です!」


 エレオノーラが一歩踏み出すと、ザイラスもまた鋭く踏み込んできた。その間に火花が散るほどの緊張感が空気を震わせる。


「あなたは自分が守ろうとしていたものを見失ったのです。エレオノーラ様、もう秩序の塔にあなたの居場所はありませんよ」


「……ならば、私はもうここにいる理由もないわ」


 エレオノーラは決然と振り返り、騎士たちを押しのけてフィオナの拘束具を外そうとする。だがザイラスが一瞬早く彼女の腕を掴み、力強く引き止めた。


「それは許さない」


「離しなさい、ザイラス!」


 二人の鋭い視線が交錯し、周囲の騎士たちも息を飲んだ。だが次の瞬間、フィオナが静かに声を上げた。


「エレオノーラ様……今は無理をなさらず、あなたが選んだ道を進んでください。私は大丈夫です」


 その穏やかな声に、エレオノーラは胸を締めつけられた。彼女の表情が曇った隙を見て、ザイラスが鋭く指示を出す。


「エレオノーラ聖女を自室に閉じ込めよ。塔からの退出を許すな」


---


 エレオノーラの幽閉は秩序の塔に激震をもたらした。穏健派聖職者たちは激しく抗議し、武装した騎士たちは容赦なく反抗者たちを拘束した。


 塔内は混沌と絶望が入り交じり、いたる所で悲痛な叫びや怒声が飛び交った。秩序という言葉は、もはや虚しく響くだけだった。


 エレオノーラは自室の窓辺に立ち、雨粒が窓を打つ音に耳を傾けていた。心にはフィオナの言葉が蘇り、慶一郎が作った料理の香りが記憶の中で優しく広がる。


「自由を奪えば、人々の心は死に絶えるだけ……」


 その言葉が深く胸に刺さった。


---


 深夜、自室の扉が小さく叩かれ、エレオノーラは警戒心を高めながら静かにドアを開けた。そこには、若い見習い聖職者が緊張した面持ちで立っていた。


「エレオノーラ様……あなたの味方はまだ塔の中にいます。今なら逃げられます」


 若い聖職者たちが密かに道を開け、彼女を逃がすためのルートを作っていた。エレオノーラはその姿に胸を打たれ、小さく頷いた。


「感謝します。ですが、私がここを去る前にやるべきことがあります」


 エレオノーラは牢に向かい、幽閉されたフィオナを素早く解放する。フィオナは涙を浮かべ、深い感謝の眼差しを送った。


「あなたは本当に変わられましたね、エレオノーラ様」


「変わったというより、戻ったのかもしれません……。私はもう、誰かの笑顔を奪う秩序は望まない」


 二人は若い聖職者たちに導かれ、暗い地下通路を通って塔の外へと脱出した。冷たい風が彼女たちの頬を撫で、エレオノーラは振り返って塔を見上げる。


 塔は闇に沈み、蝋燭の炎が小さく揺れていた。その炎は、かつての自分のように頼りなく、孤独に見えた。


---


 森の外れまで来ると、フィオナはエレオノーラの手を握り、微笑んだ。


「これからどうされるおつもりですか?」


「慶一郎様に会いに行きます。私は、自分が犯した過ちを償わなければなりません。そして、真の意味で秩序を守る道を、彼と共に探します」


 フィオナは優しく頷いた。


「どうかお気をつけて。私も自由を求める人々のところへ向かいます。あなたの道が、祝福されますように」


 二人は固く抱き合い、再会を誓って別れた。エレオノーラは一枚の手紙を懐から取り出し、小さく呟く。


「慶一郎様……私が誤っていたことを、あなたに直接お伝えしなければ」


 夜明け前の淡い光が空を染め始め、エレオノーラは前を向いて歩き始めた。


 その頃、秩序の塔ではザイラスが怒りに顔を歪めていた。


「愚かな女め……秩序の名のもとに、徹底的な粛清を開始する」


 その声が塔内に響き渡る。世界は今、さらなる混乱の渦へと突き進もうとしていた――。



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