灰と再生の奇跡(前編)
黄金龍都の朝は、いつもの静かな朝とはまるで違っていた。
城門の外には難民が溢れ返り、すすり泣きや痛みによるうめき声、そしてか細い助けを求める声が重なって耳を打った。慶一郎が広場へと足を踏み出すと、ぬかるんだ土がじっとりと靴底に絡みつき、不快な冷たさが肌を刺した。
冷気は鋭く、呼吸をするたびに胸を締めつける。彼は目を閉じ、一瞬、静かに深呼吸をした。
「これが……戦争の現実か」
慶一郎の隣では、レネミア王女が青白い顔で呟いたが、彼女はすぐに気を取り直し、気丈に指示を飛ばし始めた。
「急いで医療テントを設置してください!毛布と水、そして治療薬も急いで!」
兵士たちの動きが早まり、朝日がうっすらと昇り始めると、テントや焚き火の周りでわずかな希望が揺れ動き始めた。焚き火の薪がパチパチと音を立て、その火影が慶一郎の目元に揺れる影を落とす。
彼は胸元から母のレシピ帳を取り出し、そっと『灰と再生のスープ』のページを開いた。
「母さん、今こそあなたの力が必要だ」
---
大きな鍋が火にかけられると、炎の熱気が慶一郎の頬を赤く染めた。鍋からは、古い骨付き肉や乾燥野菜の匂いが、焚き火の煙に混ざってゆったりと漂い出す。
「本当に、これで人を救えるのか……?」
不安が胸に広がったが、彼は慎重に調理を始める。湯気が立ち上り、頬を優しく撫でると、不思議と心が落ち着いてきた。
鍋からはコトコトという煮込み音が静かに響き、時折スプーンが器に触れてカチャンと小さな音を立てる。それらは悲しみに包まれていた広場に、徐々に安らぎを運び込んだ。
「いい匂いがする……」
難民たちのざわめきは少しずつ静まり、人々の視線は慶一郎の鍋に集中した。
近くにいた少年が、擦り切れた服を握りしめながら恐る恐る尋ねる。
「お兄ちゃん……これ食べたら、お母さんにまた会える?」
慶一郎は胸が締め付けられたが、少年の冷えた手を握りしめ、温かな笑みで応えた。
「ああ、必ず会えるさ。お兄ちゃんを信じろ」
少年の表情に、かすかだが生気が戻ったのを感じた。
---
スープが出来上がると、驚くほど優しく懐かしい香りが広場を満たした。ローズマリーのような清々しいハーブの香りと、骨髄から溶け出した深いコクの匂いが、冷たい空気を押し退けていく。
スープは淡く黄金色に輝き、湯気が朝日に照らされてきらめいた。その輝きは人々の絶望を少しずつ温かな希望へと塗り替えていった。
「みんな、食べてくれ!」
慶一郎が器にスープを注ぎ、最初にサフィの元へと向かう。サフィはまだ弱々しく横たわっていたが、その唇にスープを運ぶと、彼女のまぶたがかすかに震えた。
「……慶一郎?」
彼女の瞳がゆっくりと開き、慶一郎を見つけると優しい微笑みが広がった。
「温かい……まるであなたに抱きしめられてるみたい……」
その言葉に、カレンは小さく頷き、ナリは唇を噛んで涙をこらえた。
---
広場では、難民たちが熱い器を両手で包み込み、心地よい熱さに安堵を感じながら一口ずつ味わっていた。
「……これは、母さんが作ってくれた味だ……」
ある男が喉を通る温かいスープの味わいに涙を流し、側にいた女性も「懐かしい……」と嗚咽した。
冷え切った身体にじんわりと熱が広がり、全身に生命力が戻る感覚が人々を癒していった。緊張に強張っていた肩から、ふっと力が抜けるような安堵感が広場に満ちていく。
広場の隅で、フードを被ったエレオノーラが息をひそめて様子を伺っていた。その香りが鼻をくすぐり、彼女は無意識のうちに震える指先を頬に当てていた。
「この料理は……本当に人の心を救えるというの?」
彼女の胸に宿った疑問は次第に大きくなり、自身の信じてきたものと激しくぶつかり合っていた。
---
スープがもたらした奇跡は、瞬く間に黄金龍都全体へ広がり、やがてその噂は世界各地の耳にも届き始めた。
一方、レネミア王女は広場の中央で、この奇跡を目の当たりにして決意をさらに固めていた。
「料理の力で世界を救えるなら、私はそのために全てを捧げよう」
彼女の瞳は揺るぎない覚悟で満ちていた。




