命を繋ぐ肉、そして牙と炎の向こうへ
獣の遠吠えを追って進んだ先、俺は森の縁でひとりの子どもを見つけた。
顔はやせ細り、膝を抱えたまま眠っている。傍らに落ちていたのは、焦げかけた獣の骨と、炭がまだ赤く残る焚き火。
かろうじて火はあったが、火ではなく“燃え残り”だった。
「おい……」
声をかけると、子どもは怯えた目でこちらを見た。髪はぼさぼさ、顔はすすだらけ。だが、瞳の奥にまだ“生きたい”という灯が残っていた。
「ごはん……つくれない……おにいちゃんたち、もう、いない……」
言葉にならない震え。絶望の余熱だけが、そこに漂っていた。
俺は無言で地面に膝をつき、焚き火を整える。
火加減調律が働き、炭の配置が見えた。手の中に、熱が灯る。
俺は獣肉らしき塊を手に取ると、焼く前に鼻を近づけ、微かな酸化臭と鉄分の強さを確かめた。おそらく、野性味の強い魔獣肉。
それを、丁寧に脂と筋を分け、火にかけた。
焼き上がる香りが立った瞬間——
森の奥から、ゆっくりと地響きが届いた。
そして現れたのは——巨大な獣。毛並みは深紅に染まり、瞳は金。
それは、飢えと怒りを混ぜたような唸り声を上げ、俺たちを見下ろしていた。
だが、俺は動かなかった。
なぜなら、あの瞳には“言葉”があった。
彼は獣ではない。
文化も知性も持つ、異種の知恵者だった。
すれ違った。
この子どもが焚き火で焼こうとしたのは、この獣の子だったのかもしれない。
あるいは、逆かもしれない。だが——
「……腹は、減ってるか」
俺は、肉を焼く。
皿は葉でいい。
塩は、空気から感じ取った鉱石を砕いた。
焼きあがったその肉を、俺は差し出した。
その獣は——いや、その“誰か”は、ゆっくりと首を垂れ、
匂いを嗅ぎ、目を閉じ、一口、食べた。
そして言った。
「……これが……“火の言葉”か」
——通じた。
その瞬間、焚き火の向こうからひとつの影が現れた。
長い銀髪に、煤けた装束。
その女は、まっすぐ俺を見た。
「……あんた、何者?」
気配は鋭いが、敵意はない。
腰に短剣。目元に、隠しきれない軍人の色。
「王都から派遣されてきた“監察官”よ。魔獣の知性疑惑、確認に来た」
なるほど。思ったより早く面倒が来た。
だがその視線は、俺の“焼いた肉”を見て揺れていた。
「……あたしにも、それ、分けてくれる?」
俺は無言で肉を一切れ差し出す。
彼女は迷わずかぶりつき、そして目を見開いた。
「……あたたかい……ちゃんと、生きてる味がする……」
その言葉に、神の目が一瞬だけ、微かに揺らいだ気がした。
そして、彼女の瞳にも何かが差し込んだ。淡い光。微かな涙のような揺らぎ。
「昔……家を追われた時、最後に食べた“まかない飯”に、ちょっと、似てる」
彼女の声が揺れた。
それは、兵士でも監察官でもなく、ひとりの“人間”の声だった。
そのとき、空から鋭い音が落ちた。
甲冑の擦れる音。鋭い命令。
「目標確認! 魔獣に敵対の意思あり! 包囲展開——射出準備ッ!」
王国騎士団。
続いて、ギルド風の装備を身につけた冒険者たちも集う。
「報酬は2000ゴルド! 手柄を取り逃がすな!」
——最悪のタイミング。
誤解だ。
けれど、それを叫ぶ暇もなく、炎と刃が降り注ぐ。
俺は咄嗟に、焚き火の灰を巻き上げ、子どもを庇いながら叫んだ。
「料理中だッ!!!」
だが、誰も耳を貸さない。
その背後で、銀髪の女が一歩踏み出し、剣を抜いた。
「……あたし、あんたの料理をまた食べたい。
だから、ここであんたを殺させない」
その瞬間、神の目が確かに“瞬いた”。
銀髪の女の背中に、微かな光の残滓が宿る——まるで、祝福のように。
戦いが、始まった。