傷を負った逃避行(後編)
黄金龍都――その街は、黄金色に染まる夕暮れの光に包まれていた。
長い石畳の道沿いには、異国情緒あふれる屋台が連なり、香辛料と香ばしい焼き物の香りが漂っている。
その街の一角、広大な『龍華殿』という名の宮廷邸宅に、慶一郎たちは迎え入れられた。
東方帝国の特使リュウゲンが自ら先導して案内すると、その堂々たる身振りから彼の権限と立場が帝国で極めて高位であることが伺えた。
「帝国皇帝陛下は、貴方が料理で世界を動かしたと高く評価しています。その力が世界に安定と調和をもたらすと信じておられるのです」
リュウゲンが穏やかな声で告げると、レネミアは緊張の面持ちで言った。
「しかし帝国と西方神教連盟の関係は?」
「現在は中立を保っています。ただ、あなた方を匿ったことで連盟との対立は避けられないでしょう。それを承知で迎え入れたのです」
その言葉にレネミアの表情が引き締まる。彼女には王女として、故郷のヴァリエール王国との連絡手段を確保する責務があった。
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邸宅内の医務室では、治療師たちが忙しく動いていた。
サフィはまだ意識が戻らず、額に大粒の汗が浮かび、呼吸も浅かった。
白髪混じりの老医師が渋い顔で慶一郎に告げる。
「彼女は生命力そのものが弱まっている。このままでは長く持たないかもしれません」
カレンは左腕を大きく負傷していたが、幸い命に別状はなく、包帯を巻いたまま悔しそうな表情を浮かべていた。
「私は平気よ。でもサフィは……」
慶一郎の胸に激しい焦燥が広がった。その時、隣室からナリがゆっくり歩いてきた。彼女はまだ片腕を自由に動かせないままだったが、毅然とした表情で慶一郎を見つめる。
「慶一郎、料理で治療する方法があるわ。『希望のスープ』……あなたなら作れる」
ナリの静かな言葉に慶一郎の目が輝いた。
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早朝の厨房で、慶一郎はリュウゲンから帝国特産の食材について詳しく説明を受けていた。
「これは黄金生姜。食べた者に生命力を与えるとされている。こっちは蒼月葱。免疫力と癒しの力を高めると伝えられる薬草だ」
その話を聞きながら、慶一郎の頭の中で新たなレシピが組み上がっていく。
『希望のスープ』は、黄金生姜と蒼月葱をじっくり煮込み、深い旨味を抽出する。加えて、東方帝国の名産である琥珀米を丁寧に煮崩し、食べやすく仕上げる。最後に、ほんの少しの胡椒と塩を加え、身体を芯から温める絶妙な味わいに仕立て上げた。
完成したスープからは、命の息吹そのものを感じさせる香りが広がった。
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医務室にそのスープが運ばれた瞬間、空気が変わった。
老医師や治療師たちも、その芳醇な香りに目を見張った。
慶一郎がサフィの口元にスプーンでスープを運ぶと、意識を失っていた彼女が小さく呻きながら目を覚ました。
「……慶一郎?」
彼女の呼吸は徐々に深くなり、頬に赤みが戻ってきた。
老医師が驚愕の表情で首を振る。
「こんな治癒は見たことがない。料理でここまで……」
カレンもナリも、その奇跡的な回復を目の当たりにして目を潤ませた。
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その頃、外の世界では混乱が広がっていた。
メイラの街は西方神教連盟が完全に掌握し、自由な料理を求める反乱分子への激しい弾圧が始まっていた。エレオノーラはその状況を見つめながら深い苦悩を抱えていた。
「慶一郎、あなたは本当に世界の敵なの……?」
彼女の胸に、慶一郎が作った料理の記憶が鮮明に蘇り、涙が頬を伝った。
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夜になり、龍華殿の庭園に仲間たちが集まった。
レネミアが皆を見渡して言った。
「私たちは長くここに留まれない。帝国が受け入れてくれたことは感謝しているけれど、このままでは連盟との衝突は必至……」
リュウゲンが穏やかに口を開いた。
「ここで一ヶ月ほど滞在し、体勢を整え、世界各地の自由を求める勢力と連携を進めましょう。その後は連盟との決戦に向けて動くべきです」
その言葉に慶一郎は静かに頷いた。
「俺は料理で世界を変えると決めたんだ。次の戦いに向けて、俺たちは力を蓄えなければならない」
その場にいる誰もが新たな決意を胸に、未来への希望を抱いていた。
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月光が照らす庭園で、マリエルは静かに祈りを捧げていた。彼女の頬を一筋の涙が伝った。
「神よ……どうか私たちに力を。慶一郎様が作る料理の力で、世界に真の平和を……」
神の祝福の光が静かに降り注ぎ、龍華殿を優しく照らし出した。
彼らの新たな戦いは、静かに、しかし確実に始まろうとしていた――。




