再び火を灯す者
崩壊したメイラの街を覆うのは、焦げた木材と石の瓦礫だけだった。灰色の雲が厚く垂れ込め、そこから微かに降り始めた雨が地面に溜まった血と煤を洗い流していく。
その雨の中で、慶一郎は再び地面に膝をついた。
掌はもう感覚がなかった。灰と土で汚れた指先は震え、集められたわずかな食材は力なく地面に落ちていく。
彼は苛立ち、震えながら唇を噛み締めた。
「くそっ……これじゃ何も……作れないじゃないか……!」
彼のそばで、レネミアは無言で立ち尽くし、マリエルもまた唇を噛みながら濡れた瞳で彼を見ていた。二人には何も言えなかった。ただ、無力感と後悔の念がその視線から溢れていた。
「こんなもので、誰が助けられるって言うんだよ……!」
慶一郎の怒りと悲しみが混じり合った咆哮は、灰色の空気に吸い込まれるように消えた。
そのときだった。
「……おい、若いの」
背後から微かな声が響き、慶一郎はゆっくりと振り返った。灰色のローブを纏った老人が、ゆっくりと歩み寄ってくる。老人の顔には深い皺が刻まれ、瞳には失われた過去を映すような虚ろな影があった。
「誰だ、あんたは……」
「ただの料理人さ。かつてこの街で、失われた火を追い求めたな」
老人は膝を折り、慶一郎の前にゆっくりと座り込んだ。
「その手では、もう料理はできないか?」
「……そんなこと……ない。できるさ」
慶一郎の声は震えたが、瞳だけは確かな決意を宿していた。
「それでいい。お前の心には、まだ火が残っている」
老人の視線は彼の震える指先から離れない。まるでその指の先に残った何かを見つめるようだった。
「失われた火を知っているか?」
「……失われた火?」
「ああ。火を使わずに、魂に届く料理だ。人間の感情と記憶を呼び覚まし、傷ついた体さえ癒す料理。それが俺たちが失った真の火だ」
老人は微かな笑みを浮かべた。
「今こそ、それを蘇らせるときだ」
慶一郎はゆっくりと老人の言葉を噛みしめた。傷ついた仲間たちの姿が脳裏をよぎり、彼の胸は再び痛みを覚えた。
「教えてくれ。その火を……俺に……」
「簡単じゃないぞ」
老人は穏やかな瞳で微笑んだ。
「お前が全てを失ったとき、それでも料理を続けられる覚悟が必要だ。絶望の底で火を起こせる強さが必要になる」
「構わない」
慶一郎は即座に答えた。彼にとって迷いはなかった。
「なら、始めよう」
老人が示した方法は奇妙だった。炎を使わず、ただ冷たい水と、地に眠る野草、わずかな魚の骨を用いるものだった。料理の過程は儀式のようで、静かで淡々としていた。
慶一郎の手は震え、傷つき痛んだが、それでも動き続けた。
静寂の中で彼の作業を見守るレネミアとマリエルの瞳から、静かな涙が流れ落ちる。
「これが……料理なの?」
マリエルのかすれた声に、老人が静かに頷いた。
「料理とは火ではなく、心を込めることだ。火が消えても、人の心に灯る火は決して消えない」
その言葉を受け、慶一郎は震えながらも調理を終えた。
「できた……これが、失われた火……」
彼が差し出した器から、静かな光が立ち上った。その香りは火のない料理のはずなのに、温かな記憶を呼び起こすものだった。
最初にその料理を口に運ばれたのはサフィだった。
昏睡の彼女の唇に料理をそっと含ませると、その瞬間彼女の瞼が微かに震えた。
「……慶一郎……?」
かすれた声に、彼の瞳から涙が溢れた。
続けてカレンにも料理を口に含ませると、彼女もまた苦しげに息を吐き、微かな笑みを見せた。
「……あなたの料理は……相変わらず、ずるいわ……」
慶一郎の胸が大きく震え、涙が止まらなかった。
老人は微笑み、彼の肩に手を置いた。
「よくやった。これが料理の力だ」
その様子を見ていたレネミアとマリエルがゆっくりと近づき、慶一郎に頭を下げた。
「私たちは間違っていました。料理がこれほどまでに強い力を持っているとは……」
慶一郎は静かに微笑んだ。
「料理は力じゃない。心だ。これだけは、誰にも奪えない」
雨はいつしか止み、薄日が差し込んだ。
その光の下で、再び集った仲間たちは互いの目を見つめ合い、小さく頷き合った。
「これからどうする?」
レネミアの問いに、慶一郎は前を向いた。
「もう一度、やり直す。俺たちは何度でも料理を作る。どんなに傷ついても、何度でも……」
彼の言葉に皆が頷き、決意を新たにする。
その日、失われた火は再び灯された。
静かに、しかし確実に。
それは彼らがまだ終わっていないことの、明確な証だった。




