再起動する世界と、“神の目”に選ばれし料理人
料理に命を懸けた男が、最期に焼き上げたのは——完璧な目玉焼きだった。
その一皿は、宇宙の果てにある“神の目”へ届き、料理人としての魂は異世界へと転写される。
これは、火と塩と包丁だけを武器に、失われた「食の祈り」を取り戻す物語。
重く、熱く、時に香ばしく。
あなたの読んだ“異世界転生”とは、ともすれば一味違うかもしれません。
黒い闇が続いていた。
そこには重さも、痛みも、匂いもなかった。ただ、あるのは「感覚が存在しない」という圧倒的な空虚。
意識というものが、泡のように浮かんでは消える。
それがどれだけ続いたのかは分からない。
だが、ある瞬間。
“視られている”という感覚が、背骨の奥から生まれた。
肉体ではない。
魂の中枢、もっと奥にある、存在そのものの核を、誰かが見つめている。
——『命の光、確認。第六基準存在軸において、再構成可能性:適合』
言葉ではない。だが、意味が届く。
次の瞬間、空間そのものが光り出した。
言語のない言語、概念の渦が、俺の意識に流れ込んでくる。
「ようこそ、“選定者”——君の一皿に、我らは応えた」
目の前に現れたのは、ヒトではない。
姿形の概念を持たない、“観測不能な意志”だった。
だが、そこに確かに宿っていたのは、”食に対する異常なまでの敬意”だった。
それはまるで、宇宙そのものが熱を孕み、香りを発しているような意識の塊。かすかに香ばしい、焼き立てのパンの匂いすらした気がした。意識体なのに、匂いを伴う——そんな理不尽にすら思える感覚が、逆に説得力を持っていた。
超次元的存在——通称、《神の目》と呼ばれるその存在は、無限の時間を超えて「魂が宿る料理」を探し続けていたという。
「君の目玉焼きには、“滅びかけた多次元の食意”を再活性化するだけの因子があった」
——何を言ってるんだ。
混乱する思考の中で、それでも心の奥では理解していた。
俺があのとき焼いた目玉焼きは、確かに“祈り”だった。
命を懸けて焼いた、ただの卵が、“神”に届いた。
「我らは君を“第七軸——再試環世界”へ転写する」
「君の手で、再び“あたたかい料理”を、この宇宙にもたらせ」
その声は、まるで炎そのもののようだった。
光と熱と意思を帯びた存在が、俺の全存在に“宿命”を刻み込む。
「これは贖罪ではない。賛美でもない。ただ、必要なのだ。魂を宿す“料理”が、この宇宙には」
その言葉に、俺の心臓が小さく脈打った。理由もなく、ただただ震えた。
視界が、一点の炎に包まれた。
その中心に、【あの目玉焼き】が揺らめいていた。
だが今度は、決して崩れなかった。
それはまるで、宇宙の核に据えられた“原初の熱”そのものだった。
音のない爆発。目玉焼きから立ち昇る湯気が、銀河のうねりのように広がり、視界を覆い尽くした。
目を覚ますと、土の匂いがした。
湿った大地に、寝転がる自分。
空には、青と紫が交じるような、現実では見たことのない空。
「……生きてるのか?」
いや違う。
生きて“いる”というよりは、“始まり直した”という感覚だった。
手を見る。
火傷も、古傷もない。
まるで若い頃に戻ったような、しなやかな手だった。
立ち上がったその瞬間。
目の前に、蒼く光るウィンドウが浮かび上がった。
●個体認証:SHINOHARA KEIICHIRO Mr.
●食魂復元レベル:初期化
●現在保有スキル:
・完璧な味覚:味の構成要素を絶対値で感知できる
・火加減調律:炎の振る舞いを直感で制御できる
・食材鑑定眼:素材の履歴と適正調理法を視認可能
・調理時間短縮:加熱調理全般の工程を圧縮
・包丁術《瞬斬》:一太刀で素材の“芯”を断ち切る
●称号:料理に命を賭けた者/神の目に選ばれし皿/転写された料理人
「……なんだよこれ……」
目眩がした。
だが同時に、胸の奥が熱を持った。
“俺の料理が、神に届いた?”
まったく、ふざけてやがる。
だが、同時に……やっと届いたとも思った。
なぜなら、料理とは、誰かの命に寄り添う祈りだからだ。
それが時空を越えて届いたのなら、たとえ相手が“神”であろうと、おかしくはない。
あの時、皿の上に乗せた想いは——単なる食欲ではない。
俺の誇り、後悔、幸福、愛情、全てだった。
それを“味わった”存在がいた。
ならば、それでいい。
俺の料理は、無駄じゃなかった。
遠く、腹を空かせた獣の鳴き声が聞こえた。
魔物か? 人か?
関係ない。
この手がある。
この火がある。
そして——塩がある。
「よし、やってやろうじゃねぇか」
世界が滅ぼした料理なら、俺がもう一度、最初から作ってやる。
これは、“神に見つけられた男”が、もう一度火を灯す物語だ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
主人公・篠原が焼いた一皿は、料理人としての人生そのものであり、作品の出発点でもあります。
異世界に投げ込まれたその魂が、どんな食卓に火を灯していくのか——
次回から、いよいよ“再構成された世界”の地を踏みしめていきます。
なお、この作品では「料理=生きること」というテーマを軸に、バトルもドラマも少しずつ味つけしていく予定です。
ご感想・ご意見、どんなものでも励みになります。
次章でお会いしましょう。