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天の供儀と、正義の炎(後編)— 燃え尽きた街

 風はもう吹かなかった。


 そこにあったはずの街は、崩れ去った石壁と炭化した柱の墓標に変わっていた。静寂に満ちた灰色の空気に、微かな焦げ臭さが漂っている。道には何もかもが横たわり、焼け爛れた布地が風に揺れては悲鳴のような音を立てた。


 焦土の中央に、慶一郎は跪いていた。


 右手は焼け焦げ、左の肩には焼けた木材が貫通してできた深い傷があった。だが、そんな痛みなど彼にとっては何の意味もなかった。ただ、視界に広がる破滅の残骸だけが、胸を抉るように苦痛を与えていた。


「……くそ、なんで、なんでこうなった……」


 呟く声は砂のようにかすれ、吐き出した言葉は空虚に散った。


 背後でカレンが息を詰まらせたまま横たわっている。鎧は砕け散り、腹部に残された深い裂傷からはまだ鮮血が流れ続けている。彼女の瞳は、もう動いていなかった。息だけが、苦しそうに続いているだけだった。


 慶一郎は手を伸ばし、震える指先で彼女の頬に触れる。


「死ぬなよ……おい、こんなところで終わるのかよ……」


 だが返答はない。何も言わない沈黙だけが、返事だった。


 その時、少し離れた場所で小さな呻き声がした。


 振り返ると、サフィが灰まみれの地面に倒れていた。彼女の半身は焼け焦げ、呼吸はあまりにも弱々しい。白く美しかった肌は無残にただれて、呼吸するたびに痛々しく震えていた。


「サフィ……!」


 慶一郎は慌てて駆け寄り、彼女の名を何度も呼びかけた。だが、どれだけ声をかけても瞼が動くことはなかった。


 生きている。ただ、それだけだった。


 この場所に横たわるのは、生ではない。まだ死にも達していない、中途半端な苦しみだ。


「助けなきゃ……でも、どうやって……?」


 混乱する意識の中、慶一郎は震える手で焦土を掻き分けて薬草や水を探したが、見つかるのは死の痕跡ばかり。希望の欠片さえ、この地には残されていなかった。


 そんな慶一郎の背後から、小さな足音が近づいてきた。


「……ひどい、これは……」


 その震えた声に振り返ると、そこには王女レネミアと聖女マリエルが立っていた。二人の瞳は愕然と見開かれ、口元は微かに震えている。鮮やかな衣装は埃と灰に塗れ、かつての威厳も誇りも失われていた。


「レネミア……マリエル……」


 慶一郎の言葉に、二人は力なく首を振った。聖女マリエルは涙に濡れた瞳で震える声を吐き出す。


「私の神託が……なぜ、こんなことに……」


 彼女の表情には、深い後悔と罪悪感が滲み出ていた。祈りが何も変えなかったという残酷な真実が、彼女を内側から崩していた。


「……私が無力だったのです」


 マリエルの声はか細く、自分を責めるように小さく震えている。レネミアは無言のまま、灰まみれの指を震わせてただ茫然と立ち尽くしている。


「違う……あんたらのせいじゃない……」


 だが、慶一郎はもう抑えが利かなかった。震えた足で立ち上がり、どこからか掻き集めた僅かな食材を握りしめ、力任せに二人に掴みかかる。


「お前らだって悪いんだ! 何が神だ! 何が正義だ!

俺は……俺はただ飯を作って、みんなを助けたかっただけだろうが!!」


 咆哮はやがて泣き声に変わり、涙が彼の頬を汚していく。


「お前らが戦いなんかしなければ……こんなことにはならなかったんだ……!」


 その手は力なく崩れ落ち、慶一郎は灰まみれの地面に膝をついて嗚咽した。


「けじめだ……けじめ喰らいつけろよ……!

みんな、俺の作る飯を待ってんだよ……」


 慶一郎の悲痛な叫びは灰色の空へ消え、静かな焦土に虚しく吸い込まれていった。


 レネミアの瞳に罪悪感が、マリエルの表情に後悔が、深く刻み込まれた。二人は言葉もなくただ立ち尽くすしかなかった。


 微かな風が吹き、黒い灰が舞い上がり、彼らを包み込む。


 灰の彼方に、まるで失われた過去の亡霊たちが並び立つような錯覚を覚え、慶一郎の目にかつての街の姿が蘇った。人々の笑顔、火の香り、美味しいと喜ぶ声——それらが幻影のように浮かんでは消える。


「どうして、料理なんて始めたんだろうな……。俺はただ、飯を作りたかっただけだったのに……」


 答えなど、どこにもなかった。


 だがこの焦土の中で、慶一郎は再び気づいた。火はもう単なる熱ではない。この破壊も、死も、彼の火が呼び込んだのだ。


 それでも——それでも彼は、火を捨てることはできなかった。


 その火こそが、彼のすべてだったからだ。


 彼はゆっくりと立ち上がり、背中にいる仲間たちを見つめた。


 カレンは動かず、サフィは呼吸だけが微かに続いている。


「諦めない。こんな……こんなところで終わるもんか」


 その声は弱々しく、決意よりも絶望に近かったが、それでも彼は歩き始めた。


 彼らにとっての道は、この焦土の先にしかない。


 風はもう吹かなかった。ただ灰だけが、静かに舞っていた。

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