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自由なる火の皿(中編) - 反火統制庁《第三管理課》・機密記録(統合拡張版)

 メイラ都市区庁舎・第九層。

 防火管制局の灯りは沈んでいた。密閉された空間に響くのは、帳簿をめくる音と、鉄の呼吸装置が吐き出す静かな圧縮音だけ。


「……感情を制御できない火の流布が、二十四時間以内に五区を越えました」


 報告書を読み上げたのは、統制庁第三管理課所属の男。仮面の下で口元が引きつっている。


「対象屋台の調理内容は、塩焼き魚・山菜汁・干し肉の炙り。いずれも認可外です」


 報告を受けた“指導官”は、椅子を傾けながらゆっくり言った。


「……火は、物理的には害にならん。だが、火が“記憶”と結びついた時、人間は自分を取り戻す」


 それが何より危険だった。

 彼らが恐れているのは、“美味”でも、“焚き火”でもない。

 人間が、人間の感情に立ち戻ってしまうことそのものだった。


「発信は封じよ。既に供給線から火を遮断しろ。あと……」


 指導官は報告書の一枚を指で摘み、火皿の項に記された名前を睨む。


 その名の上には、旧い印が押されていた。中枢管理階級の人間しか知らぬ、戦災地情報との照合印——『第一区・焦土区域:対象地コード M-N7』。


 火皿を囲むあの屋台がある場所、それ自体が、かつて“村がまるごと焼き払われた”地の延長線上にあることを示していた。


「……繋がったか」


 指導官の目に、わずかに感情らしきものが宿る。


「では、今回の対象領主と、その上にいる“再教育政策グループ”の関与も濃厚だな」


 別の仮面職員が震えた声で言った。

「都市再建名目で、あの村も……」


 「正義の名のもとに、すべてを燃やして回った連中だ。今も火を恐れたふりをしながら、炎を使っている」


 その瞬間、照明が一つだけ灯る。


 議事録の裏に添付された封印書類に書かれていた。


 《特命領主補佐機関・D.K.直属:火と感情の隔離試験・推進記録》


 その下には、古びた村の地図と、「処置済み」と赤く滲んだ印影があった。


 「やはり……あの村も、料理で“揺れた”んだ」

 「“供儀団”という名乗りが、気にくわんな。神聖を語るなと、忠告してやれ」


 仮面の部下が問う。

「どのような手段で?」


 静かな空気が、わずかに火花を帯びた。


「……火には火で応えるだけだ」


 ——作戦名《口封じ:炉底洗浄》発動。


 対象区画には、料理人を装った密偵を複数投入し、食中毒と騒乱を誘発。

 その混乱に乗じ、供儀団構成員を“物理的に排除”する。


 報復は正義の仮面を被せる。

 子どもが泣き、民が喚こうと、それを報じる媒体は既に買収済みだ。


 領主は供儀団への暴動を「都市防衛のための不可避な自衛行為」として演説するだろう。

 泣き叫ぶ群衆の前で、鍋がひとつ割れる音。それが口火となる。


 仮面の指導官は、再び薄く笑った。


 「まずは“温度の帳簿”を作らせろ。屋台周辺の火器使用者、料理人経験者、その家族、隣人、旧友、幼馴染。

 火に触れた記憶を持つ者を、すべて“未燃区”へ収容しろ」


 「既に何人かは“消えて”います」


 別の部下が言った。

 その声には報告とも同情ともつかぬ色があった。


 「屋台の向かいで干物を売っていた女。先ほど、施設から“処置済”の通知が届きました。

 火の香りに泣いた——それだけで、“炎症の芽”と判断されたようです」


 「よろしい」


 指導官は帳簿の一行に赤線を引いた。


 「再教育施設《秩序再接続室》に収容された全対象に“記憶の料理反応”を試験しろ。

 スープの香りで涙を流した個体がいた場合、処置を“冷却”から“焼却”に格上げする」


 「“焼却”を……?」


 「火を憎むには、まず火を喰わせる必要がある。

 一度でも“美味しい”と感じた者は、すでに汚染されている。

 忘れさせるのではなく、焼き尽くさねば再燃する」


 部屋の気温が、ほんのわずかに下がった気がした。

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