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失われゆく絆(第1部 / 虚無の全面攻撃)

夜明け前の薄暗い空に、不吉な暗雲が世界各地に現れていた。アルヴィオンの虚無の力は、もはや一都市に留まらず、世界全体を脅かす規模にまで拡大していた。

第三都市の緊急対策本部では、各地からの被害報告が続々と入っていた。朝の冷たい空気は、まるで氷の刃のように頬を刺し、窓から差し込む薄暗い光が室内の緊張した空気を一層際立たせている。机の上に積まれた報告書からは、インクと紙の匂いが立ち上り、それに混じって人々の不安の汗が酸っぱい匂いを放っていた。窓の外からは、遠くで何かが消失する時の不気味な静寂——それは音すらも無に帰すかのような、この世のものとは思えない沈黙——が時折聞こえてきた。

「状況を報告してくれ」慶一郎が対策本部に集まった仲間たちに声をかけた。彼の声には、いつものべらんめえ調の明るさが影を潜め、深い憂慮が込められていた。

レネミアが外交資料を震える手で広げながら答えた。彼女の金色の髪は、いつもの輝きを失い、まるで色褪せた金属のように見えた。「第四都市では住民の半数が消失しました。象徴的な『記憶の塔』も根元から完全に消失し、私の幼馴染だったエマリア王女も、名料理人マルセル老人も含めて、まるで最初からそこに存在しなかったかのように…」

「黄金龍都も攻撃を受けました」カレンが深刻な表情で報告した。普段の凛とした騎士としての威厳に、今は深い悲しみが混じっている。「幸い、古代龍族の結界で中央部は守られましたが、外郭の『翡翠の村』と『銀泉の里』が…住民全員が消失しています」

サフィが震え声で続けた。いつもの明るい笑顔は影を潜め、瞳には涙が浮かんでいる。「村の人たち…子供たちも、お年寄りも、みんな、みんな、まるで最初からいなかったみたいに…写真も、手紙も、形見の品も、全部一緒に消えて…」

ナリが科学的な分析結果を報告した。彼女の普段冷静な声が、わずかに震えている。「虚無場の強度が昨夜の10倍に増大しています。これは単なる物理的破壊ではありません。存在確率そのものをゼロに収束させる現象です。このペースでは、世界全体が48時間以内に…」

その時、ザイラスが緊急通信を受け取った。通信魔法石が赤く明滅し、異常事態を知らせている。「慶一郎さん、新生セメイオン共和国からです。首都近郊にアルヴィオンが現れ、記憶宮殿が…」

「記憶宮殿が何だって?」慶一郎が立ち上がった。記憶宮殿は、人々の大切な思い出を保管する神聖な場所だった。

「半分以上が消失しました」ザイラスの顔が青ざめた。「人々の記憶の拠り所が…千年分の歴史記録が、愛の詩が、家族の思い出が…すべて無に帰しています」

セリュナは窓辺で、遠くの空を見つめていた。彼女の銀色の髪が朝の風に揺れているが、その美しい髪も今は悲しみの重みで垂れ下がっている。古代龍としての威厳ある表情も、今は深い悲しみと自責の念に沈んでいる。

「セリュナさん」エレオノーラが心配そうに近づいた。天使の透明感のある美しさも、今は心配の色に曇っている。「お気持ち、お察しします」

「私のせいです」セリュナが小さく呟いた。その声は、まるで氷の欠片のように冷たく、痛みに満ちていた。「父上が怒っているのは、私が人間を愛したから…私が調和を求めたから…」

「そんなことありません」マリエルが優しく否定した。聖女としての慈愛に満ちた声で、セリュナの心を温めようとしている。「愛に罪はありません。愛は神からの最も美しい贈り物です」

しかし、その時、対策本部の窓が突然暗くなった。まるで巨大な手が太陽を隠したかのように、室内は急激に薄暗くなった。外を見ると、第三都市の上空に巨大な暗雲が現れている。昨夜よりもはるかに大きく、その雲からは不吉な虚無の気配——まるで存在そのものを否定する悪意——が重く垂れ込めていた。

『我が愚かな娘よ…まだそこで戯れているのか』

アルヴィオンの声が空から響いてきた。今度は昨夜よりも冷たく、怒りに満ちている。その声は、まるで氷河が崩れ落ちる音のように冷酷で、聞く者の心を凍らせた。

『人間どもと戯れ、我が血を汚すとは…古代龍の誇りを捨て、愚かな愛に溺れるとは…許しがたき愚行なり』

セリュナが窓に近づいた。「お父様…お話を…」

『話すことなど何もない』アルヴィオンの声が断絶的だった。『愛など虚構、絆など幻想。その証明を今こそ示してやろう』

暗雲から、無数の黒い光線が降り注いだ。それは虚無の光線で、触れたものすべてを存在ごと消去していく。建物、道路、木々…すべてが次々と消失していく。しかし、光線が地面に触れた瞬間、そこにあったものが音もなく消え去るのではない。まるで最初からそこに何もなかったかのように、現実そのものが書き換えられていくのだ。

しかし、それだけではなかった。光線が人々に触れると、恐ろしいことが起こった。

「あれ…私、誰だっけ?」街角で立ち尽くしていた一人の市民が、困惑した表情を浮かべた。彼は数秒前まで、愛する妻の名前を呼んでいたはずなのに、今は自分の名前すら思い出せずにいる。

「お母さん、この人誰?」小さな子供が、自分の母親を見て首をかしげた。母親もまた、目の前の子供が誰なのか分からず、戸惑っている。

「私たち…なんで一緒にいるんだっけ?」昨日まで深く愛し合っていた恋人同士が、互いを見つめ合って戸惑っている。彼らの指にはまだ婚約指輪が光っているが、その意味がもう分からない。

アルヴィオンの新たな攻撃は、物理的な存在だけでなく、人々の記憶や絆をも消去していたのだ。

「これは…量子もつれの強制切断です」ナリが恐怖に震えながら分析した。彼女の科学者としての冷静さも、この異常事態の前では揺らいでいる。「人と人との関係性、愛情、記憶の絆を物理的に切断しています。魂の糸が無理やり引きちぎられているのです」

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