虚無の襲来(第2部 / 虚無の原理)
第三都市の最高級ホテルの会議室で、緊急作戦会議が開かれていた。大きな円卓を囲んで、慶一郎、エレオノーラ、マリエル、セリュナの四人と、久しぶりに集結した仲間たちが座っている。
窓から差し込む午前の陽射しは明るいが、会議室の空気は重く緊張している。テーブルの上には、各地からの被害報告書、ナリの科学的分析資料、ザイラスの歴史調査結果が広げられていた。
「まず、ナリから現象の分析結果を聞こう」慶一郎が口火を切った。
ナリが立ち上がり、魔法的な映像投影装置を使って説明を始めた。空中に浮かび上がる図表には、複雑な数式と理論図が描かれている。
「昨夜の現象を魂素学の観点から分析した結果、これは『反エントロピー場』による存在消去であることが判明しました」ナリの声は学者らしい冷静さを保っていた。
「反エントロピー場?」カレンが首をかしげた。
「通常、宇宙ではエントロピー…つまり無秩序さが増大していきます。これが熱力学第二法則です」ナリが図を指しながら説明した。「しかし、アルヴィオンの力は、この法則を局所的に逆転させています」
サフィが手を挙げた。「つまり、どういうことですか?」
「簡単に言えば」ナリが分かりやすく説明した。「存在しているものを、『最初から存在しなかった』状態に戻しているのです。破壊ではなく、存在確率をゼロに収束させる現象です」
ザイラスが資料を広げた。「我々の調査でも、似たような記録を発見しています。古代龍族の禁術に関する文献に、『虚無の王アルヴィオン』という名前が記されていました」
セリュナの心臓が激しく鼓動した。やはり、あの存在は…
「どのような記録でしょうか?」エレオノーラが尋ねた。
「断片的ですが」ザイラスが慎重に読み上げた。「『古代龍族の偉大なる王、アルヴィオン。愛する妻を人間の陰謀で失い、絶望の末に虚無の力を身に宿す。以後、行方不明』とあります」
セリュナの顔が青ざめた。「それは…」
「セリュナさん、何か知っていることがありますか?」マリエルが心配そうに尋ねた。
セリュナは震え声で答えた。「アルヴィオンは…古代龍族の伝説上の王です。私の…」
彼女の言葉が途切れた。まだ確信を持てずにいたのだ。
レネミアが外交官らしい冷静さで状況を整理した。「現在の被害状況を報告します。第四都市では住民の約三分の一が消失、第五都市では中央区画が完全に消失しています」
「住民の安全確保が最優先だ」ガルスが軍事的観点から提言した。「各都市からの避難を開始すべきです」
「しかし、どこに避難すれば安全なのでしょうか?」アベルが疑問を投げかけた。「相手の能力を考えれば、距離は関係ないかもしれません」
その時、リーザが重要な発見を報告した。「消失現場を調査した料理人からの報告です。調和の炎の痕跡がある場所では、消失が部分的に食い止められていました」
「本当か?」慶一郎が身を乗り出した。
「はい。慶一郎様が以前に料理を作った場所や、調和の炎の影響が残っている場所では、完全消失を免れているケースが確認されています」
ナリが興味深そうに分析した。「調和の炎の量子場効果が、反エントロピー場に対抗しているのかもしれません」
「それなら、まだ戦う方法はある」慶一郎が力強く言った。
しかし、その時、窓の外が突然暗くなった。昼間だというのに、空全体が不自然な暗雲に覆われたのだ。
「来るぞ」ヴォラックスが警告の声を上げた。彼は昨夜からずっと、アルヴィオンの気配を察知し続けていた。
会議室の窓から外を見ると、街の上空に巨大な暗雲が渦巻いている。その中から、昨夜よりもさらに強大な虚無の気配が漂ってきた。
『我が愚かな娘よ…そして愛に溺れる者どもよ…』
アルヴィオンの声が空から響いてきた。今度は昨夜よりもはるかに明瞭で、強大な力を帯びている。
『今こそ教えてやろう。愛がいかに無力で、いかに無意味かを』
暗雲から、漆黒の炎が降り注ぎ始めた。それは街の各所に落下し、触れた建物を次々と存在ごと消去していく。
「みんな、避難だ!」慶一郎が叫んだ。
しかし、セリュナだけは立ち尽くしていた。アルヴィオンの声を聞いて、幼い頃の記憶が鮮明に蘇ってきたのだ。
(間違いない…あの声は…お父様の声だ…)




