新たな調和(第1部 / 急行の風)
夜明け前の薄暗い空に、セリュナの巨大な龍の姿が舞い上がった。銀色の鱗が朝靄に濡れて、真珠のような光沢を放っている。彼女の翼の一振りで生まれる風は、ひんやりとして清浄で、夜露の香りを含んでいた。その風に乗って、慶一郎、エレオノーラ、マリエルの三人が第二都市へと向かっている。
慶一郎はセリュナの背中に跨りながら、眼下に広がる風景を見下ろしていた。朝の光が山々の稜線を金色に染め、谷間を流れる川が銀の糸のように光っている。空気は澄み切っていて、高度が上がるにつれて肌に当たる風は冷たくなり、頬に心地よい刺激を与えていた。
「セリュナさん、大丈夫か?」慶一郎は彼女の首筋に優しく手を置いた。龍の鱗は思っていたよりも温かく、生命力に満ちた脈動を感じることができる。
「はい、慶一郎様」セリュナの声が風の音に混じって聞こえてきた。「古代龍の力を存分にお使いください。私たちの愛する人々を、必ずお救いいたします」
その「愛する人々」という言葉に、エレオノーラとマリエルが微妙な表情を見せた。二人とも、セリュナが慶一郎の四人目の妻となることを受け入れてはいるが、やはり複雑な感情が心の奥底に潜んでいる。
エレオノーラは天使の翼を広げながら、セリュナの横を飛んでいた。彼女の純白の羽根が朝日に照らされて、神々しい光を放っている。「セリュナさん」エレオノーラは慎重に口を開いた。「昨夜の告白…本当におめでとうございます」
その言葉の奥には、複雑な感情が隠されていた。嫉妬というよりも、新しい家族への不安と期待が混じり合った気持ちだった。
「エレオノーラ様…」セリュナの声は謙虚で、申し訳なさそうだった。「私は…私は皆様の大切な関係に割り込んでしまったのではないでしょうか」
マリエルが愛のペッパーミルを握りしめながら、優しく微笑んだ。「そんなことはありません、セリュナさん。愛は分け合うものです。でも…」
マリエルの言葉が途切れた。彼女も心の奥で、わずかな不安を感じていた。これまで慶一郎、エレオノーラと三人で築いてきた絆に、新しい要素が加わることへの戸惑いがあった。
「でも?」セリュナが不安げに尋ねた。
「でも、私たちはまだお互いのことを深く知らないのも事実です」マリエルは正直に答えた。「セリュナさんの千年の人生、古代龍としての価値観…それを理解するには時間が必要かもしれません」
その時、慶一郎が口を開いた。「それなら、時間をかけて分かり合えばいいじゃないか」彼の声は風に負けないよう、少し大きめだった。「俺たちだって、最初から完璧な関係だったわけじゃない。エレオノーラとも、マリエルとも、少しずつ心を通わせてきたんだ」
セリュナの心に、温かな安堵が広がった。「ありがとうございます、慶一郎様。そして…エレオノーラ様、マリエル様」
エレオノーラは深く息を吸い込んだ。高空の澄んだ空気が肺を満たし、心を落ち着かせてくれる。「そうですね。私も…最初は戸惑いを感じましたが、セリュナさんの純粋な愛を見ていると、きっと素晴らしい家族になれると思います」
マリエルも頷いた。「私たち、まずは友達から始めませんか?そして、いずれは…」
「いずれは?」セリュナが期待を込めて尋ねた。
「いずれは、四人で婚儀を上げられたら素敵ですね」マリエルの提案に、一同の表情が明るくなった。
「婚儀…」セリュナが呟いた。「古代龍の伝統では、龍族は一生に一度しか愛を誓わないとされています。もし、皆様と共に婚儀を上げることができれば…それは千年に一度の奇跡です」
エレオノーラが微笑んだ。「天界でも、複数の魂が調和して結ばれる婚儀は神聖な儀式とされています。きっと神々も祝福してくださるでしょう」
その時、遠くに第二都市の建物群が見えてきた。しかし、いつもと様子が違っていた。街全体が不自然な静寂に包まれ、人影がほとんど見えない。建物の窓からは冷たい青白い光が漏れ出ており、それが朝の温かな陽光と不気味なコントラストを作っていた。
「あれが…完全浄化作戦の結果か」慶一郎の表情が険しくなった。
セリュナは降下を始めた。風切り音が変わり、地上に近づくにつれて街の異様さがより鮮明になってくる。普通なら朝の活気で賑わっているはずの街が、まるで死の静寂に包まれているかのようだった。




