多様性の讃美(第3部 / 失われた記憶の欠片)
慶一郎の調和の炎が、コルネリウスの記憶に働きかけていく。
感情は除去されていても、記憶そのものは残っている。炎の力により、封印された過去の記憶が蘇り始めた。
「私は...」コルネリウスの声が震える。「私は研究者だった」
「研究者?」セリュナが優しく促す。
「効率的な社会システムの研究をしていた」コルネリウスが機械的に語る。「しかし、研究室で事故が起きた」
慶一郎の炎が、より深い記憶にアクセスしていく。
「事故?」
「化学薬品の爆発だった」コルネリウスの表情に、わずかな変化が現れる。「私の...私の娘が研究室に遊びに来ていた時に」
救出された人々が息を呑む。
「娘さんは...」マリエルが優しく尋ねる。
「死んだ」コルネリウスの声が空虚に響く。「七歳だった。私の不注意で...私の感情的な判断ミスで」
セリュナの心が痛む。古代龍族の慈悲深さが、コルネリウスの苦痛を感じ取っていた。
「それで、感情を除去することにしたのですね」
「そうだ」コルネリウスが頷く。「感情があるから、判断を誤る。感情があるから、大切な人を失う。だから、感情を除去すれば、二度と同じ過ちは犯さない」
慶一郎の調和の炎が、さらに深い記憶を呼び起こす。
娘との思い出。一緒に料理を作った日。彼女が「パパの作ったハンバーグ、世界一美味しい!」と笑顔で言ってくれた日。研究に夢中で、娘との時間を十分に取れなかった後悔。そして──事故の瞬間。
「娘さんの名前は?」慶一郎が静かに尋ねる。
「エ...エリス」コルネリウスの声が初めて感情らしきものを含む。「エリス・コルネリア」
マリエルが愛のペッパーミルを振ると、父親の愛の香りが管理室に漂った。
「エリスちゃんは、お父さんを愛していたのですね」
「愛...」コルネリウスが混乱する。「その概念は...理解できない」
「理解できなくても、感じていたはずです」セリュナが優しく語りかける。「娘さんと過ごした時間の温かさを」
慶一郎の炎が、コルネリウスの心の奥底に眠る記憶を照らし出す。
エリスの笑顔。小さな手でハンバーグをこねる姿。「パパ、だいすき!」と抱きついてくれた瞬間。
「その記憶に、温かさを感じませんか?」エレオノーラが天使の慈悲を込めて尋ねる。
「温かさ...」コルネリウスが困惑する。「それは...体温上昇による物理的反応では...」
「違います」セリュナが断言する。「それは愛です。父親として娘を愛していた証拠です」
コルネリウスの表情に、初めて人間らしい動揺が現れた。
「愛...もしそれが愛だったとして...それが私に何をもたらした?」
彼の声に、抑えられた苦痛が込められる。
「娘を死なせた。愛があったから、判断を誤った。愛があったから、苦痛を感じた」
「愛があったから、美しい思い出も生まれたのです」
セリュナの声に、深い共感が込められていた。古代龍の千年の経験が、父親の愛を理解していた。
「美しい思い出?」コルネリウスが首を振る。「そんなものは幻想だ」
「幻想ではありません」慶一郎が力強く答える。「俺も大切な人を失ったことがある。その苦しみは確かに辛い。でも、その人との思い出は、今この時点でさえ俺の心を支えてくれる」
セリュナの心が、慶一郎の言葉に激しく動揺する。
(慶一郎も、大切な人を失う苦しみを知っているのですね。それでも人を愛し続ける強さを持っている。だからこそ、私は彼を...)
古代龍の恋心が、確信から決意に変わろうとしていた。




