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火と神の囁き(導火の章・囁かれた焔) - 『焔を喰らう覚悟と、神のまなざし』

 その時だった。村の広場に火の粉が舞い上がるような、鋭い風が走った。

 獣人の影がひとつ、視界の隅を切り裂く。


 ナリだった。


 彼女の脳裏には、まだ“最初に出会ったあの匂い”が残っていた。干し芋。焦げた香草。知らなかった。だからこそ、焼けた甘さが喉奥にこびりついて離れない。


 「走って……! あんたは、焼かれちゃいけないっ!」


 その声は震えていた。だが、足は真っ直ぐだった。


 自分が“火を持つ者の側”に立ってしまったことが、どれほどの裏切りかは分かっていた。

 姉サフィの横顔が脳裏を過ぎった。ずっと一緒だった。森を駆け、獣を狩り、飢えた日々を支え合った姉妹。その姉が、最後に言った言葉が胸に焼きついていた。


 ——火に近づくな。


 それでも、彼女の手は縄を切った。火打ち石の閃光とともに火花が散り、岩窟に驚きの声が響く。


 その直後だった。


 審問官の一人が、燃えた杭の鉄槌を手にして彼女に殴りかかる——


 避けきれなかった。

 鋼鉄の一撃がナリの左肩を裂き、彼女の体が地面に叩きつけられる。


 血が、炭の灰ににじんだ。


 意識が遠のくなか、彼女は思った。


 (あんなにも冷たかったのに……あの料理だけは、あったかかった)


 ミナが叫ぶ。カレンが杭を殴り、アリシアがノートの灰を掴んで立ち上がる。


 その瞬間、空気が変わった。


 空に——“目”が開いた。


 いや、違う。空の一角が、まるで皿の底のように歪み、熱と光の渦が、じわじわと村の頭上に降ってきた。


 《観測開始。定義を確認中……神罰、発動条件を超過》


 審問官たちの足元から火が走った。杭が燃え、囲炉裏が爆ぜ、火を禁じていた村が“火に覆われた”。


 ナリは、燃えたままの杭のそばで震えながら俺を見た。


 「……怖かった。でも、知っちゃったから。あったかいって、知っちゃったから……」


 左腕が焦げていた。爪の先まで赤く焼け爛れ、毛並みも皮膚も、一部が失われていた。


 それでも彼女は、俺に向かって微笑んだ。


 「……あんたが、焼いてくれたから——火は、嫌いじゃないよ」


 火が、嘆いた。

 空が、震えた。

 そして村が、沈んでいった。


 だが、火に焼かれる最中でさえ、村人たちは叫んでいた。


 「見ろ! また火が俺たちを裏切った! あの娘も、火に染まったからだ!」


 「神罰? 違う、これは異端の火が我らに祟ったのだ……!」


 誰かが杭を蹴り、誰かが泣き崩れながら空を呪う。


 「昔……あの時、焚き出しを受けたせいで、俺たちの村は壊されたんだ!」


 「食わせてやるって言われた。だけど食べた者から順に、火病にかかった。皮膚が焼け、口がただれた……!」


 「誰が火を信じるか! 焼かれるくらいなら、飢えて死んだ方がマシだったのにっ!」


 その呻きは、罵りではなかった。

 苦しみの果てに選ばされた、歪んだ信仰の名残だった。


 そして焼かれながらもなお、彼らは叫び続けた。


 「なぜ火だけが赦される! なぜ温かいだけで、全てを奪っていくんだ……!」


 彼らの中には、まだ幼い頃、誰かの手で“あったかい何か”を口にした記憶が残っていたのかもしれない。

 だからこそ、否定した。

 思い出すくらいなら、呪った方が楽だったのだ。


 それでも、神の目は見ていた。観測し、記録し、裁きを下した。


 火はただ静かに、彼らの沈黙を迎えにいった。

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