善意の暴力(第4部 / 夜風に乗る希望の翼)
食堂を出た一行は、第三管区へ向かう途中で、セリュナが再び古代龍の姿に変身することになった。
「皆さん、私の背中に」
銀鱗に覆われた巨大な古代龍が、月光の下でその威容を現す。夜風が彼女の翼を包み、鱗を月明かりが美しく照らし出していた。
慶一郎、エレオノーラ、マリエル、そしてリベリウスが、セリュナの背中に乗る。古代龍の体温は思いのほか温かく、冷たい夜風から一行を守ってくれた。
「セリュナ、ありがとう」
慶一郎が調和の炎を燃やしながら感謝を込める。
「いえ、私こそ皆さんと共に戦えることを光栄に思います」
セリュナの声は風に乗って響く。その声には、人間への深い愛情と、平和への強い願いが込められていた。
眼下には、ユートピア連邦の街並みが広がっている。しかし、第三管区に近づくにつれて、異様な光景が見えてきた。
建物から火の手が上がり、街路には多くの人影が蠢いている。そして、恐ろしいことに、二つのグループに分かれて対峙しているのが見える。
一方は感情を取り戻した人々──怒りと混乱に支配され、手に棒や石を持っている。
もう一方は、まだ感情抑制状態の人々──表情は無表情のままだが、困惑と恐怖が僅かに見て取れる。
「酷い状況ですね」エレオノーラが天使特有の感受性で状況を分析する。「両方のグループから、強い苦痛の波動が感じられます」
「感情を取り戻した人々は、怒りと復讐心に支配されています」マリエルが愛のペッパーミルを握りしめる。「一方、感情抑制状態の人々は、理解できない恐怖に怯えています」
リベリウスの表情が苦痛に歪む。
「これが...私の作り出した『完璧な社会』の末路ですか」
「まだ終わっていません」
セリュナが力強く言う。
「私たちがいる限り、希望は残されています」
セリュナが第三管区の中央広場に着地すると、両グループの人々が一斉に振り返った。
しかし、それと同時に警報音が鳴り響く。
「侵入者発見!鎮圧部隊出動!」
建物の屋上から、完全武装した警備兵たちが現れた。彼らは感情抑制装置により、恐怖も躊躇も感じることなく任務を遂行する。
「危険です!」ナタリアが叫ぶ。「あの兵士たちは『完全治療』を受けています。痛みも恐怖も感じません!」
警備兵たちが鎮圧用の光線銃を構える。その光線は、感情を一時的に麻痺させる効果があった。
光線が数人の市民に当たると、恐ろしい変化が起こった。彼らの表情から一切の感情が消え、瞳が虚ろになる。手に持っていた包丁や木のスプーンが力なく床に落ち、カランカランと乾いた音を立てた。
光線を受けた人々は、まるで糸の切れた人形のようにその場に立ち尽くしている。つい先ほどまで料理の喜びに目を輝かせていた彼らが、今や感情の欠片もない空虚な存在と化していた。
「酷い...」エレオノーラが息を呑む。「魂そのものが一時的に封印されています」
「セリュナ!」
慶一郎が調和の炎を燃やすが、警備兵たちの装備には魂素遮断フィールドが搭載されている。
「問題ありません」
セリュナが古代龍の咆哮を上げた。その声は人工的な装置を全て無効化し、警備兵たちの装備を停止させる。
「古代龍族の力は、いかなる人工物も超越します」
巨大な古代龍の出現に、一瞬静寂が訪れる。
「皆さん、武器を置いてください」
セリュナが人間の姿に戻りながら、威厳ある声で呼びかけた。その瞬間、彼女の周囲に銀色の光が放射され、争いの場を神聖な空間に変える。
しかし、感情を取り戻したグループのリーダー格の男性が叫んだ。
「あなたたちは何者だ!我々の復讐を邪魔するつもりか!」
「復讐?」慶一郎が前に出る。「相手は何も悪いことをしていない」
「悪いことをしていない?」男性が怒鳴る。「あいつらは人形だ!人間じゃない!俺たちを騙し、支配した共犯者だ!」
「違います」
リベリウスが一歩前に出た。その瞬間、両グループから驚きの声が上がる。
「リベリウス様?」
「なぜここに?」
リベリウスが群衆の前に立つ。月光が彼の顔を照らし、その表情に深い悔恨が刻まれているのが見える。
「皆さん、聞いてください」
リベリウスの声は、もはや支配者のものではなく、一人の人間としての真摯な声だった。
「すべての責任は私にあります。感情抑制状態の人々は、私の被害者です。皆さんと同じように」
群衆がざわめく。
「あの人たちを憎むのではなく」リベリウスが続ける。「共に手を取り合い、真の自由を取り戻しましょう」
「綺麗事を言うな!」感情を取り戻したグループの一人が叫ぶ。「俺たちの苦しみを、あいつらは理解できない!」
その時、慶一郎が調和の炎を最大限に燃やした。
炎の温かさが広場全体を包み込み、魂素粒子が美しいパターンを描きながら空中に舞い上がる。その光景に、争っていた人々が言葉を失う。
「理解できないなら、理解してもらえばいい」
慶一郎の声が、炎の力によって増幅され、広場にいる全ての人に届く。
「俺の料理で、心と心を繋ごう」
エレオノーラが天使の翼を広げ、マリエルが愛のペッパーミルを振る。そして、セリュナが古代龍族の風を起こす。
四つの力が融合し、奇跡的な現象が起こった。
感情抑制状態の人々の心に、少しずつ感情が戻り始めたのだ。そして同時に、感情を取り戻していた人々の怒りが、理解と共感に変わっていく。
広場に、温かな静寂が訪れた。
月光の下で、かつて敵対していた人々が、互いに手を差し伸べ始める。涙を流す者、抱き合う者、そして共に未来への希望を語り合う者たち。
リベリウスがその光景を見つめながら、静かに呟いた。
「これが...本当の調和なのですね」
セリュナが微笑む。
「ええ。愛による調和です。強制ではなく、理解による結びつきです」
夜風が広場を優しく吹き抜け、新しい希望の香りを運んでいく。第三管区の混乱は終息し、真の平和への第一歩が踏み出された。
しかし、リベリウスの贖罪の道は、まだ始まったばかりだった。




