善意の暴力(第2部 / 歪んだ慈善の根源)
リベリウスの告白は続いた。食堂の人々は料理の手を止め、彼の過去に静かに耳を傾けている。
「エミールが亡くなった後、私は妻のアンナも失いました」
リベリウスの声は、秋の夜風のように冷たく震えていた。
「彼女は息子の死を受け入れることができず、私が『合理的判断』を支持したことを許してくれませんでした」
セリュナが深いため息をつく。
「愛する人を二人も失われたのですね」
「はい。そして私は決意したのです」リベリウスの瞳に、狂気じみた光が宿る。「二度と、誰も感情によって苦しまないような世界を作ろうと」
慶一郎が調和の炎を強く燃やした。炎の中に、リベリウスの心の闇が見える。それは愛から生まれた憎悪、慈悲から生まれた冷酷さだった。
「だから完璧栄養食を...」
「そうです」リベリウスが頷く。「食事への執着をなくせば、家族との団らんを求めることもない。愛する人を失う苦しみも、味わわずに済む」
エレオノーラの天使の翼が微かに震える。
「しかし、それは愛そのものを否定することです」
「愛は苦痛の源です」リベリウスが反論する。しかし、その声には確信が感じられない。「愛があるから、人は傷つき、争い、絶望する」
「愛があるから、人は生きる意味を見つけるのです」
マリエルが静かに言う。愛のペッパーミルから放たれる香りが、リベリウスの心の奥底に眠る愛の記憶を呼び覚まそうとしている。
「エミールくんは、お父さんに愛されて幸せだったと思います。たとえ短い人生でも、愛に満ちた日々だったからこそ、意味があったのです」
リベリウスの表情が揺らぐ。
「でも...あの子は苦しんで死んでいきました」
「苦しみも、愛の一部なのです」
セリュナが古代龍族の知恵を込めて語る。
「私は千年以上生きてきました。多くの人間の生と死を見てきました。そして学んだのです。苦しみのない愛など存在しないと」
夜空に雲が流れ、月光が食堂を幻想的に照らし出す。人々の表情は、リベリウスの痛みに共感している。
「私の夫も病気で亡くなりました」
マーガレットが静かに語り始める。
「最期の日々は確かに辛かった。でも、その辛さがあったからこそ、夫と過ごした幸せな時間がどれほど貴重だったかを理解できたのです」
「私も息子を戦争で失いました」
別の男性が続ける。
「悲しみは今でも癒えません。でも、息子への愛は永遠です。その愛があるから、私は今日も生きていられるのです」
人々の証言に、リベリウスの心が動揺する。
「皆さんは...苦しんでも、愛を捨てないのですか?」
「捨てられません」マーガレットが微笑む。「愛は私たちの一部ですから」
その時、食堂の扉が開き、ナタリアが現れた。彼女の手には、小さな写真が握られている。
「リベリウス様」
ナタリアが彼に近づく。その表情には、深い理解と同情が宿っていた。
「これを見つけました」
彼女が差し出した写真には、若いリベリウスと、美しい女性、そして小さな男の子が写っていた。三人とも心からの笑顔を浮かべている。
そして、写真と一緒に小さなメモも握られていた。そこには稚拙な文字で「真の味覚を守る会より──愛を忘れないで」と書かれている。
「アンナと...エミール」
リベリウスの手が震える。写真の中の幸せな家族は、今の彼からは想像もできないほど温かく、愛に満ちていた。
「このメモは?」慶一郎が尋ねる。
「恐らく、地下抵抗組織からのメッセージです」ナタリアが説明する。「この写真は、あなたの執務室の金庫に隠されていました。きっと、完全に忘れることはできなかったのですね」
慶一郎が調和の炎を通じて、写真に込められた記憶を読み取った。そこには幸福な日常の数々──家族での食事、エミールの笑い声、アンナの手料理、父親として過ごした穏やかな時間が刻まれている。
「この幸せな記憶も、苦痛だったのですか?」
慶一郎の問いに、リベリウスは答えることができない。
「違います」最終的に彼が絞り出した声は、確信に満ちていた。「この記憶だけが...この記憶だけが、私を人間でいさせてくれていたのです」




