完璧な檻(第3部 / 記憶の洪水、感情の復活)
リベリウスが懐から通信機を取り出した。
「緊急事態です。侵入者により住民の感情抑制が解除されています。全館に鎮静ガスを散布してください」
通信機からの返答は即座だった。
『了解。住民の再調整プロトコルを実行します』
天井から白いガスが放出され始める。それは無臭だったが、触れた人々の表情が再び無表情に戻っていく。
「そんな...」
せっかく感情を取り戻した人々が、再び人形のような状態に戻されていく。マーガレットという名前を思い出した女性も、徐々に瞳の光を失っていく。
「許さない!」
セリュナの怒りが頂点に達した。銀髪の美女の姿のまま、古代龍族の力を解放する。
彼女の周囲に銀色の風が巻き起こり、鎮静ガスを一掃した。そして、その風は食堂全体に広がり、人々を再び覚醒させる。
「古代龍の風は、いかなる人工的な毒も浄化します」セリュナが宣言する。「あなた方の卑劣な手段は通用しません」
リベリウスの表情が恐怖に変わる。
「古代龍族の力がこれほどとは...」
「セリュナ、今です!」
慶一郎が最大限の調和の炎を燃やし、食堂全体を包み込んだ。エレオノーラの天使の光、マリエルの愛の香辛料、そしてセリュナの古代龍の風──四つの力が融合し、奇跡的な現象を引き起こす。
食堂にいた全ての人々が、失われた記憶と感情を取り戻し始めた。
「ああ...私は何をしていたんだ」
「家族を忘れていた...なぜ」
「この味のない食事を、なぜ美味しいと思っていたんだろう」
人々の中から、怒りの声が上がり始める。
「リベリウス!あなたは私たちから何を奪ったんだ!」
「息子の誕生日を忘れさせた!」
「妻との思い出まで消されていた!」
リベリウスが後ずさりする。
「落ち着いてください。これは治療です。あなた方の苦痛を取り除いたのです」
「苦痛も喜びも、すべてが人生です」
マーガレットが涙を流しながら立ち上がる。
「息子を失った悲しみは確かに辛かった。でも、その悲しみがあるからこそ、息子と過ごした幸せな時間がかけがえのないものになるんです」
「非合理的です」リベリウスが首を振る。「苦痛は不要な感情です」
「不要じゃない!」
一人の男性が叫ぶ。
「妻を亡くした悲しみを忘れさせられた。でも、その悲しみがあったからこそ、妻への愛がどれほど深かったかを理解できたんだ」
慶一郎が前に出る。
「リベリウス、あんたは根本的に間違っている」
調和の炎を手のひらに宿し、その温かさを食堂全体に広げる。
「料理人として言わせてもらう。完璧栄養食なんて、食事じゃない。ただの燃料だ」
「燃料で十分です」リベリウスが反論する。「効率的に栄養を摂取できれば──」
「違う」
慶一郎が調和の炎を強く燃やす。その炎の中に、故郷の味、母親の手料理、家族との団らん──数え切れない食の記憶が浮かび上がる。
「食事とは、愛情の表現だ。作る者の想い、食べる者の感謝、そして食材に込められた生命の記憶──それらすべてが融合したものが、本当の食事なんだ」
食堂の人々が、慶一郎の炎の中に自分たちの食の記憶を見つけた。母親のお粥、恋人と分けたパン、子供と作ったクッキー──それぞれが大切にしていた味の記憶が蘇ってくる。
「そうだ...これが本当の食事の味だった」
「なぜ私たちは、こんな大切なものを手放したんだ」
セリュナが優雅に微笑む。
「あなた方は手放したのではありません。盗まれたのです」
その言葉に、人々の怒りがさらに燃え上がった。
「リベリウス!私たちの人生を返せ!」
「家族の記憶を、故郷の味を返せ!」
リベリウスが通信機に向かって叫ぶ。
「警備部隊を呼べ!暴動が発生している!」
『警備部隊は全員、感情抑制装置の影響で行動不能です。システム全体に異常が発生しています』
リベリウスの顔が青ざめる。
「まさか...全施設で同じことが起きているのか?」
エレオノーラが天使の翼を広げた。
「愛の力は、どんな人工的な障壁も突破します。真実の愛に触れた者は、必ず目覚めるのです」




