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完璧な檻(第2部 / 無味無臭の楽園)

建物の内部は、外観以上に無機質だった。

壁は純白で、装飾の類は一切ない。照明は均一で影を作らず、温度は一定に保たれている。そして何より不気味なのは、建物内を行き交う人々の表情だった。

皆が同じような穏やかな笑顔を浮かべているが、その瞳には感情の光が宿っていない。まるで精巧に作られた人形のようだった。

「いらっしゃいませ」

受付らしき女性が、機械的な笑顔で一行を迎えた。その声は美しく調整されているが、温かみが感じられない。

「私たちはリベリウス殿に面会を求めています」慶一郎が告げる。

「リベリウス様は現在、完璧栄養食の配給監督をなさっております。第七食堂にいらっしゃいます」

女性が指差す方向に向かって歩きながら、一行は建物内の様子を観察した。

至る所に「効率」「合理性」「最適化」といった文字が掲げられている。そして、通路の各所に設置されたスピーカーから、穏やかな音楽と共に一定のメッセージが流れ続けていた。

『感情の波動を抑制し、合理的思考を維持しましょう。個人的欲求は非効率の根源です。統一された行動こそが、真の幸福をもたらします』

マリエルが愛のペッパーミルに手を触れる。

「アガペリア様...この場所には愛の欠片も感じられません」

「それどころか」エレオノーラが天使特有の感受性で分析する。「積極的に愛を排除しようとする力が働いています。まるで感情そのものを毒だと考えているかのように」

セリュナの銀色の瞳が鋭く光る。

「人間の本質を否定する場所...許せません」

やがて、第七食堂に到着した一行が目にしたのは、想像を絶する光景だった。

巨大な食堂には数百人の人々が整然と座っている。しかし、全員が同じ姿勢で、同じタイミングで、同じ動作を繰り返していた。

彼らの前に置かれているのは、灰色の液体が入った容器だった。それが「完璧栄養食」なのだろう。

「味も香りもない...」慶一郎が愕然とする。

調和の炎で分析しても、その液体からは栄養素以外の情報が一切読み取れない。生命の記憶も、作り手の愛情も、食材の歴史も──何もかもが剥ぎ取られた、ただの栄養補給剤に過ぎなかった。

「これが彼らの言う『完璧』ですか」セリュナの声に怒りが込められる。

食堂の中央で、リベリウスが満足そうに人々を見回していた。彼の表情にも、先ほどまでの人間らしい感情は消えている。

「素晴らしい光景でしょう?」

リベリウスが振り返る。その瞳は、もはや人間のものとは思えないほど冷たかった。

「争いも嫉妬も、苦痛も迷いもない。全員が平等に、合理的に、効率的に生きている。これこそが人類の理想形です」

「理想形?」慶一郎の声が震える。「これのどこが理想なんだ?」

「感情による無駄がすべて排除されています」リベリウスが説明する。「食事に関する個人的嗜好、家族や故郷への執着、芸術や娯楽への非合理的関心──すべてが最適化されました」

セリュナが前に出る。人間の姿でありながら、その威厳は古代龍そのものだった。

「最適化?あなたは人間を家畜と同じように扱っているのですか?」

「家畜?失礼な」リベリウスが首を振る。「我々は人間を超越した存在に進化させたのです。感情という欠陥を取り除き、純粋に合理的な思考のみで行動する完璧な生命体に」

マリエルが愛のペッパーミルを強く握る。

「感情が欠陥?愛も、喜びも、悲しみも、すべてが人間の美しさなのに...」

「美しさ?」リベリウスが嘲笑う。「感情は判断を鈍らせ、争いを生み、社会を非効率にする害悪です。我々はそれを根絶したのです」

エレオノーラの周囲に天使の光が立ち上る。

「創造主が人間に与えた感情を、勝手に欠陥と決めつけるなど...」

「創造主?」リベリウスの表情が歪む。「そのような非合理的概念こそ、人類進歩の最大の障害です。我々は合理性の力で、そのような迷信を克服したのです」

慶一郎が調和の炎を燃やした。炎の温かさが冷たい食堂に拡散し、魂素粒子が美しいパターンを描く。

しかし、驚くべきことが起こった。

食堂にいた人々が、一斉に慶一郎の炎を見つめたのだ。彼らの瞳に、一瞬だけ何かが宿った。それは記憶の片鱗か、それとも失われた感情の残滓だったのか。

「何だ...?」リベリウスが困惑する。

一人の女性が立ち上がった。彼女の瞳に、涙が浮かんでいる。

「この炎の温かさ...思い出しました。母の手料理を食べていた時の、あの温かな気持ちを...」

「治療が不完全だったようですね」リベリウスが冷たく言う。「すぐに再調整を──」

「やめろ!」

慶一郎の怒声が食堂に響いた。調和の炎が激しく燃え上がり、食堂全体を包み込む。

すると、次々と人々が本来の感情を取り戻し始めた。

「私の名前は...そうだ、マーガレット」

「息子の顔を思い出した...」

「故郷の味噌汁の香りが蘇ってくる...」

食堂が混乱に陥る中、リベリウスの表情が怒りに歪んだ。

「害虫どもめ!我々の完璧な社会を破壊するつもりですか!」

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