平和の礎(第3部 / 新たな挑戦への準備)
「まず考慮すべきは、組織の急速な拡大に伴う課題です」
アルカディウスの指摘に、一同が頷く。
「人材不足、資金配分、品質管理──成長に伴う問題は避けて通れません」
ザイラスが手を挙げた。
「技術部門からの提案があります」
元帝国幹部の男性は、慎重に言葉を選びながら話し始める。
「記憶技術を応用した『技能継承システム』の開発はいかがでしょうか。優秀な料理人や管理者の技能を、短期間で多数の人材に継承できます」
「興味深いな」慶一郎が身を乗り出す。「具体的には?」
「例えば慶一郎様の料理技能を情報として抽出し、それを料理学習センターの訓練用プログラムに組み込むことで、わずか数日で一定水準の料理技術を身につけることが可能となります。ただし、技能のみを単純にコピーするのではなく、その技能を習得する過程で感じた喜びや挫折、達成感といった感情的な経験も情報として継承する仕組みを考えています」
エレオノーラが懸念を示す。
「しかし、技能を機械的に複製することで、その人らしさが失われる危険性は?」
「そこが重要な点です」ザイラスが説明を続ける。「完全な複製ではなく、基礎技能の迅速な習得を目的とします。リーザ殿の管理経験、レネミア様の外交術なども同様に、技能と共にその背景にある人間性も継承するのです。その上で、各人が独自の発展を遂げるのです」
マリエルが愛のペッパーミルを軽く振る。香辛料の粒子が空気中に舞い散り、会議室に思慮深い雰囲気をもたらした。
「アガペリア様の教えでは、『技能は愛と共に継承されるべき』とあります。単なる技術移転ではなく、その技能に込められた愛も一緒に伝えることができれば...」
慶一郎の目が輝く。
「情報料理の応用だな。技能だけでなく、それを身につけるまでの努力、喜び、挫折──すべての感情を含めて継承する」
「素晴らしいアイデアです」レネミアが賛同する。「そうすれば、技能を受け継ぐ者も、その重みと価値を理解できるでしょう」
議論は次第に熱を帯びてくる。MHAOの理念を損なうことなく、効率的な組織運営を実現する方法について、活発な意見交換が続いた。
「もう一つの課題があります」
アルカディウスが新しい議題を提起する。
「外部からの圧力です。我々の急速な発展に、警戒心を抱く勢力も存在するでしょう」
会議室の空気が少し緊張する。
「具体的な脅威は確認されているのですか?」エレオノーラが尋ねる。
「まだ情報収集段階ですが」ザイラスが答える。「複数の諜報網から、『ユートピア連邦』という組織の名前が上がっています」
「ユートピア連邦?」慶一郎が眉をひそめる。
「詳細は不明ですが、『完璧な社会の実現』を掲げる巨大組織のようです。我々の『調和による平和』とは、根本的に異なる理念を持っているかもしれません」
レネミアが外交官らしい冷静さで分析する。
「理念の違いは、必ずしも対立を意味しません。まずは相手を理解することから始めるべきでしょう」
「その通りです」マリエルが穏やかに同意する。「アガペリア様も、『すべての存在は愛されるべき』とおっしゃっています」
慶一郎は調和の炎を見つめる。炎の中に踊る魂素粒子が、まるで未来の可能性を示しているかのように見えた。
「何が相手の真意であれ、我々は自分たちの道を歩み続けよう。愛と調和の力を信じて」
その時、会議室の扉が静かに開かれた。現れたのは、MHAO の事務担当者として働く若い女性だった。
「失礼いたします。緊急の報告があります」
彼女の手には、正式な外交文書らしき封筒が握られていた。
「ユートピア連邦より、親善使節団派遣の申し入れが届きました」
会議室に緊張が走る。
「いつ?」アルカディウスが即座に尋ねる。
「明日の夕刻に到着予定とのことです」
あまりにも突然の知らせに、一同は言葉を失う。
「明日?」レネミアが驚きを隠せない。「通常、外交使節団の派遣には事前調整が必要なはずですが...」
ザイラスが文書を受け取り、内容を確認する。
「『多元調和連合機構の素晴らしい成果を視察し、相互理解を深めたい』とあります。文面は丁寧ですが...」
「何か気になることが?」慶一郎が尋ねる。
「使節団の規模が異常に大きいのです。総勢五百名とあります」
エレオノーラの表情が曇る。
「五百名...それは使節団というより、小規模な軍隊の規模ですね」
「しかし、正式な外交手続きを踏んでいる以上、拒否するわけにもいきません」レネミアが外交官としての見解を述べる。
マリエルが愛のペッパーミルに手を触れる。
「アガペリア様に祈りを捧げてみます」
聖女が静かに祈りを始めると、会議室に神聖な香りが漂った。その香りの中に、かすかな警告の気配が含まれているのを、慶一郎は感じ取る。
「マリエル、何か感じるか?」
「はい...」聖女の表情が心配そうになる。「アガペリア様から、『注意深く、しかし愛を持って迎えなさい』というお言葉をいただきました」
慶一郎は深呼吸をする。調和の炎が静かに揺らめき、魂素粒子が複雑なパターンを描いている。
「分かった。万全の準備で迎えよう。しかし、敵意ではなく、理解の姿勢で」




