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桃多浪

作者: 渡辺正巳

 昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。


 おばあさんは川で洗濯をしていましたが、特に川の上流から何かが流れてくるわけでもなく、いつも通り家へ帰りました。台所で夕飯を作っていると、日が暮れるころにおじいさんが帰ってきました。


「お帰りなさいおじいさん、たきぎは売れましたか」


「町へ行ったけれどもちっとも売れなかったよ」


「そうですか、ごはんにしましょう」


 それからおじいさんとおばあさんはむっつり黙って夕飯を食べました。ふたりは見合い結婚なのでもともと話や気が合わない上に、過去におじいさんが二度ほど浮気をしてからは、会話が全然無いのです。この日もふたりの間には重い沈黙が横たわり、おじいさんがたくあんを噛むポリポリという音だけが虚しく響き渡っていました。茶碗から立ち上る湯気は、冬の寒さに底冷えする板の間の空気の中へ、静かに消えていきました。


どんどんどん


 突然玄関戸が叩かれました。おじいさんはちっ、と舌打ちし、おばあさんに目配せしました。すると今度はおばあさんがちっ、と舌打ちを返し、箸を置いて立ち上がりました。玄関へ行って戸を開けると、そこには派手な陣羽織を羽織った頬の赤い青年が立っていました。


 青年はもう大人の顔立ちをして、筋骨隆々の立派な体格をした偉丈夫でしたが、まだ月代は剃らずに前髪を垂らしていました。にきびの多い顔面はギラギラとあぶらぎり、すさまじい眼光をしています。


「おう……」


 青年はぼそっとおばあさんに呟くと(どうやらそれが彼なりの挨拶のようでした)、巨体をかがめて玄関をくぐり、のっそり家の中へ上がりました。おばあさんは玄関に立ちすくんだまま、恐怖にわなわなと体を震わせました。おじいさんはあんぐり口を開けて、口に含んでいた、たくあんの噛み砕いたものをこぼしました。


「おう……」


 勝手に板の間へ上がった青年は、さっきまでおばあさんが座っていた座布団にどっかり腰を下ろしました。そうして、


「おう……めし……」


ぼそりと言い放ちました。


「ひっ」


 おばあさんが引きつった声をあげ、バネではじかれたように慌てて台所へ行き、おひつを持ってきて、自分の食べかけの茶碗にご飯をよそおうとしました(貧しいこのお家には、茶碗が二つきりしか無いのでした)。


 すると青年はおばあさんからおひつを引ったくり、おひつに入っていたしゃもじをスプーン代わりにして、おひつから直接ご飯を食べはじめました。しゃもじに半合はありそうなお米を山盛りにしてのっけて、がば、と開いた口に一口で放り込んでしまいます。それを目にも止まらぬ速さで繰り返し、がば、がば、がば、と、たった三口、ものの一分で、おじいさんとおばあさんの明日の朝ごはんを食べてしまいました。


「ひええええ……」


 あまりの恐ろしさにおばあさんは卒倒し、板の間へ倒れかかろうとするのを、すんでのところでおじいさんが受け止めました。おじいさんは涙を光らせた目を、キッと青年に向けて、声を張り上げて言いました。


「おい、わりゃいったい何しに来よった? 金はねえ! 金は、ねえど! おめえが全部、持っていってしまったろうが! おめえが、鬼ヶ島へ鬼退治に行く言うて、三年前に出て行ってから、やれ草履が擦り切れただの、鬼ヶ島までのフェリー代がねえだの、今月の携帯代が厳しいだの、しょっちゅう家に帰ってきては、そのたんびにおらとばあさんのなけなしの貯金を絞りとって、おらたちは来月から生活保護だど! おまけに帰ってきたときはいつも犬だのキジだの猿だの、大酒のみの薄汚い仲間を連れてきて酒盛りしおって、ばあさんがおめえの入った桃を拾ってきたあの日から、わしらの不幸が始まったんじゃ! もう、鬼退治をする気などないんじゃろうの! このごくつぶし! 役立たず! ウドの大木! NEET! 水風船! かさばる段ボール! スーパーに並んでいる魚の眼をしているな! 出てけ! 今すぐ、出て行け! おめえが世の中にいるとそれだけ世の中が悪くなる! うわ、殴るか? 助けて誰か。お願いです、出て行ってください、このとおり」


 育ての親が、もう一人の親を抱きかかえたまま、板の間に土下座しているのに背を向けて、青年はそっと家を出ました。外は寒く、木枯らしが大きな体に凍みました。丸い月がぽかんと藍色の夜空に浮いて、その月を見上げた彼の目から涙があふれ、ひとすじ頬を伝いました。


 おじいさんとおばあさんにかけた迷惑と、焼いてもらった世話を思い、一念発起して三ヶ月前にとうとう鬼ヶ島に行った彼は、三ヶ月間に渡る鬼との激闘に辛くも勝ち、ようやくこの日、勝利の報告をしに生家へ戻ったのでした。帰りの道中で路銀も尽きて、空腹でまともに声も出なくなった彼は、家に着いて食べ物を目にした瞬間に理性を失って、一も二もなくご飯に飛びついてしまった自分のあさましさを悲しみました。


 青年はとぼとぼ暗い夜道を歩きました。道の脇に生えたススキがさらさら鳴ります。名残おしく、ふと後ろを振り返ってみると、すっかり小さくなって見える家からおじいさんが飛び出してきて――戸口に塩を撒きました。

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