積ん読も読書
鍛えられたなろうユーザーならば、タイトルやタグやあらすじから、だいたいの内容を予測することができる。そうでなくとも、第一話、第二話ぐらいまで読めば、損切りというか、ブラバ判断を冷静にできるレベルの猛者が多い。
そう鍛えられたなろうユーザーは小説の目利きがかなり効くようになっている。さながら、新人賞の原稿の大半を、1-5ページ読めば没にできるように。
もし、つまらない、とか面白くない、とか言いながら、全話読んでいるとしたらーー、まあ、素人さんだろう。応募原稿全てに目を通すという費用対効果の悪さ。
さて、鍛えられたなろうユーザーは、こんな素敵な選別能力を身につけているので、本屋で、まさか積読本を買ってしまうなんてことはないはずだ。
買うときは、面白そうと思って、やっぱダメだ、なんてならないはずだから。なろうで鍛えられた審美眼で、美味しい小説をスパッと見抜いているはずだ。
「また詰まらぬ小説を切ってしまった』
(あれ……、またつまらぬ小説を買ってしまった……)
え、うん、それでも、わたしの周りには積読本ばかりだって?
いやぁ、商業出版されている本は、どれも素晴らしいから仕方ないですよ。
でも積読本の10ページぐらいは、もう読んでいるでしょう。その時点で、すでに読めてしまったということではないですか。
そう積読本にもランクがある。早く消化したい積読本、できれば読みたい積読本、空いている時間があったら読む積読本、肌に合わないけどベストセラーだったから買っておいた積読本、もはやいつ買ったか分からない積読本ーーーー。
この仕分けができるレベルになっているはずだ。実際は、やってなくとも、無意識ではだいたいしてしまっているはずだ。
そう、我々は、積読状態でも、もう読書をしているのだ。だいたいの優劣をつけれてしまうのだ。全てを読まなくとも、その本の位置を確定できるのだ。
ここに、図書館分類学のミニチュア版が誕生する。
我々は積読の技術を学んだのだ。
なろうユーザーたちよ、君たちに、積読マスターの称号を授与しよう。
え、速読マスターの称号が欲しい?
では、100万字以上の小説を読んであげてください。きっと読み終わって感想でも送りつづければ、いつかは速読マスターの称号が進呈されるであろう。
積読が読書になる理由。
1、積読本は少しは読んでいるから。少なくとも、表紙と帯とタイトルはーー。
2、積読本の中身を想像することがあるから。目次とあとがきを見ると完璧だ。
3、積読本を読むか、他の積読本を読むか考える中で、本やジャンル一般の理解が深まるから。本の比較。
4、読書中の本と積読本が運命的に出会うことがあるから。引用、パロディ、紹介ーー。
5、積読本を読んだふりするから。全く読んでいないとは言えないプライド。
よーし、ブクマをいっぱいつけて、積読するぞぉ!!
おおーーー!!。
積読、飛ばし読み、斜め読みーー、それも、また読書じゃよ。少し知っていると全く知らないでは、全然違うのだ。タイトルを知っていれば、検索ぐらいはできる。
『知ってるつもり 無知の科学 』とタイトルを思い出して、遊べるくらいのことができる。え、この本、今、80ページぐらいで寝かしてる。熟すのを待ちます。本って熟成するんですよー、積読マスターの皆さんはご存知のように。
飛ばし読みや斜め読みは許さない、そんなことで読んだとは言えない、俺の小説を誤読している、許せない!!
うん、言いたいことは分かる。けど、まあ、文字とは誤解を招きやすいものです。話している途中で誤解されるとイライラしますけど、まあ、書き言葉は受け手の事情も分からず送っているので、いささかミステイクもあるのです。
そして、まあ、わたしも飛ばし読みや斜め読みはするときはあるので、なんだか全部に目を通せ、とは強く言えない。読んでいても、登場人物の名前を忘れることもありますし。誤読なんだけど、誤読の経験なんて、まあ、大量にある。誤読したことがないという人から、まずは石を投げなさい、と言いたくなる。
もちろん、スロー・リーディングや遅読したい本もあるので、そちらはそちら。
まあ、実際は緩急ですよね。一冊のうちでも、きちんと読むところと読まないところーー重要なところと重要でないところ。