誰もが重要だと語る『冒頭』の重要性について、もう一度語ろう
小説の冒頭について、数多く語られてきたが、まだ腑に落ちてない人のために、『冒頭』が、なぜここまで強調されるのかを、三つの理由を述べます。その後、小説家になろうにおける『冒頭』の役割について、小説における冒頭の役割と異なる点をあげます。
文学における冒頭の名文の紹介や冒頭の機能については、割愛します。
もっとも重要である理由は、小説の冒頭は、読んでもらえる可能性が一番高いから、です。これは、あまり文章の書き方で書かれていることはないが、ビジネス書やアカデミック・ライティングにおいては、たびたび見かけるものです。人は、冒頭を見た瞬間に、自分が読むべき文章か、読むべきでない文章かを瞬時に判断します。したがって、冒頭で失敗すると、二文目は、もちろん、第一話の最後の文も読まれることはありません。
冒頭は、第一話を開いてくれた読者、全員が目を通す部分です。ここで、引き込めなければ、あとの文がどれほど良くても、読まれることはありません。文章が読み通されることは、前提になりません。文のほとんどは読まれることはありません。
読者は、一文を読むことによって、次の文章を読むかどうかを決めています。そして、読み始めてくれたならば、ある程度は慣性の法則で読み進めてくれます。
次に重要な理由は、冒頭が最も集中力をもって読まれるし、印象に残ることです。読書をした人ならば、分かると思いますが、徐々に疲れてきて集中力は落ちていきます。第139番目の一文が重要で、もっとも強調したいものだったとしても、読み飛ばされてしまう可能性があります。これに対処するためには、第二話の冒頭、もしくは、冒頭とは違う機能をもつ第一話の最終文にもって来るという方法がありますが、それでも、冒頭の印象には負けてしまいます。冒頭は、どれほど労力をかけてでも、読者を引きつけうる最上の文章にすべきです。
次に冒頭が重要な理由は、冒頭は読者に準備をさせ、記憶に残っているということです。冒頭によって、読者は、これから始まる物語の種類を予想して、それに関する情報を準備します。SF、ラブコメ、ホラー、どれにしても、それを読むために必要な知識を無意識のうちにひっぱてきます。車を運転するときの知識のように、意識していなくても、その知識をセットします。その準備が、きちんとしているほど、作品世界になめらかに入っていけます。もし、冒頭ですでに読者が、何のジャンルかも分からずに、疲弊するようならば、その冒頭は、作品世界への没入を妨げています。
冒頭が記憶に残るということは、作品イメージに多大な影響力を持っているということです。読者は、冒頭によって、物語がどういうものか予想するわけですから、当然、作品の世界観が、関係していきます。
《なろうにおける冒頭》
なろうにおいては、冒頭は、元来の小説ほどの重要性はないです。
小説の冒頭の重要性を、読書してくれる可能性、読書の印象、読書準備、という三点で語りました。しかし、なろうにおいて、この重要性を満たしているものは、タイトル、あらすじ、です。
タイトル、あらすじ、が、なろうにおける冒頭です。当然、既存の小説でも、タイトルやあらすじ、帯、表紙、置かれている棚のジャンル、作家名で判断されています。なろうでの共通点として、タイトルとあらすじのみに絞りますが、これらのタイトルやあらすじで、どれほど本の内容が伝わるでしょうか。読者は、書店で売っているという理由から、ある程度開いて、冒頭を読んでくれます。なろうでは、そうはいきません。
なろうでは、まず、冒頭そのものに読者を持ってこなければなりません。そのためには、タイトル、あらすじーーここでは論点にしていませんが、タグやランキングーーで、引っ張ってこなければなりません。読者は冒頭の前段階で、どういう文章を読もうとしているのか、準備を済ませています。記憶に最も残るのは、長いタイトルである場合が多いです。
なろうの冒頭は、タイトルやあらすじからの滑らかな作品への導入というものになります。もっとも、それでも冒頭の影響は強いので、他の文章よりも、格段に重要であることは変わりません。ですが、状況説明のような柔らかな出だしで書籍化している作品もあるように、秀逸な冒頭でスタートを切っている必要はないです。冒頭が、自己紹介や朝や季節についての短文であっても、タイトルのインパクトで、読者を確実に引き付け切っているからです。