50話目 アイデアについて、パクリについて、創作について
パクリパクリと結構、騒がれる時が、小説にしても、アニメとかにしても実写にしてもありますね。
まあ、月並みなことを言えば、「もう全てのアイデアやストーリーは出ているので、全てはその組み合わせの仕方」によるのですが。
「カ○ラを止めるな」や「黒子のバス○」とか、一番話題になったのは、京ア○ですが。まあ、パクリと騒いで、実際になんらかの犯行や裁判沙汰があれば一気に話題にはなりますね。
全く理解不能ですがーー。
さて、パクリと言っても、アイデアをパクられた、とか表現が一部似ているとか、動機やミステリーのトリックの類似とか、様々ありますね。
まあ、同人誌とかになってキャラを使っていると、明らかに盗作と言えるのですけど、盗作でも元ネタをはっきりさせている二次創作は、オマージュとかパロディとして、原作者も別に何も言わなかったり、周りもそれを楽しんだりするのですが。
さて、どこから剽窃になるのか、また著作権状の問題となるのか、は、曖昧なところもありますし、著作権者の対応にもよりますが(ディズ○ーとか厳しいところは厳しい)、たまに思うのがーー、表現媒体にすらしていない段階で、アイデアを盗まれたとかいう謎の言動、まあ、ちょっとした考えはあるのだろうけど、思いつき程度で、自分も同じことができたはずと考える人がいるなぁ。
もしアイデアだけならば、多くの人がすでに一度は考え付いているものが多いと思います。しかし、アイデアを形にすることができなければ、何かを言っても、愚痴にしか思えない。
ニュートンがリンゴを落ちるのを見て、万有引力を思いついたと聞いて、いや、俺もそう思ったことがあったぞ、くそぉ先を越された、とか考えても、きっと、その人にニュートンほどきちんと研究して体系化して、著述することができたのか、疑問に思います。
『名探偵コ○ン』とかで犯人はやっぱりアイツだったか、思った通りとか、悦に浸っても、別に推理もなにもなければ、乱暴な勘でしかなく、思考過程もなければ、あなたが現実で探偵的な行動をとって事件を解決に導くことはできないですよね。(まあ、コ○ン君は、本格ミステリからキャラクターアニメに移行して久しいですが)
まあ、決断や選択をしていないと、初めから分かっていました効果で、後付けして自己のプライドを守る無意識が働きますけどね。『最初から怪しいと思っていましたよ』
選挙結果とかも、終わった後に、俺は、こうなると思ってたという人は多いものです。
小説でありがちなのが、俺にもこれぐらい書けるという根拠のない主張。読書ばかりしていた人は、いざ自分が書くとなれば、筆が止まりますね。アイデアが全てと思っている人ほど、そうかもしれません。プロは一定の筆力を持っているので、アイデアを殊更強調する時がありますが、大抵の人はアイデア以外の部分でも普通に詰まります。マラソンも、プロは42.195キロ走れて当たり前ですが、素人は、そんな段階ではないのです。高山練習やインターバルとかする前に、普通にジョギングをして体力をつけるのが先ですよね。
え、俺は42キロぐらい走れる?じゃあ、まずは走って見せてくれる。タイムを競って日本記録を目指すのは、その後だ。
アイデアを考える時、大概のアイデアは海の藻屑に沈みます。というか、アイデアぐらい、メモ帳に溜まっているんです。どうしたら、これを活かせるだろうか、と、何か他のアイデアと組み合わせられないか、と蓄えているわけです。
そしてアイデアをこれと決めて書いてみても、いざ書くと、どうも上手くいかないというのは日常茶飯事です。
まあ、アイデア一つで、そこまで騒ぎ立てるのは、よほど素晴らしい独創的なアイデアで、もう完成形が近く、しかも完成形を売り出せば、確実に金銭でも手に入るという時ぐらいですけど、まあ、そんなものは、まずないでしょう。
実際、アイデアから商品化しても出たとこ勝負が多いです。ベストセラーだって、予測不可能なんですから。そこそこ売れるだろうものは、もはやテンプレとして出回っているので、誰もアイデアの主張はしないでしょうし。テンプレに微量の調味料を付与しただけですから、一ジャンルを形成するほどのアイデアではないわけだ。
というか、アイデアがガチで素晴らしければ、先に出されても後追いでも追いつける可能性は十分にあります。小説は似た作品を求める読者も出てきますし、一人の作家が全ての読者を楽しまるだけの作品数を書くのは不可能ですから。仕上げが近いならば、似てると思われてもパクりとは思われないでしょうし。
アイデアー商品化ー販売の結果だけ見て、成功したら、アイデアは思いついていた、とか、最初にそのアイデアを発したのは俺だ、と言っても、なんだかなぁとなる。科学者も、奥さんの言葉や街の人のちょっとした言葉から、思いついて、ユーレカしたりしますけど、その場合、科学者の功績が第一番になるのは当たり前だと思います。(科学は自然法則なので、先に論文を出した人物の勝者総取りもありますね)
まあ、このアイデアを形にするという能力が、アイデア発想以上に、大事な時は多いですから。アイデアというのは、何か最後の材料の雫の一滴というもので、それまでに蓄えてきた魔法の壺がなければ、乾いてしまうか、なにも意味もなく溶けてしまうものですね。
イノベーション理論でも、アイデアの99%は消えてなくなります。1%が試作段階を抜けて実際に完成品となるわけです。売れるかどうかは、また別で。
さて、なろう界では、パクり疑惑を売れた作品にしても無意味な気が多い。まあ、どの作品も似たり寄ったりな部分はあるのです。当たり前ですが。よっぽど、ストーリーからストーリーの展開の仕方、さらには、書き方まで似ているとならないと、パクりではないでしょう。登場人物の名前を変えただけレベルとかね。
使い古されたテンプレを大量にぶち込んで、似た設定や世界観でも、まあ、パクりとか主張するには、もうしょうもない気がします。なーろっぱは、もはや共有財産レベルですし。というか、誰でも思いつきそうなことをアイデアとして主張する人は少ないですね。突然始まる通行税みたい。
テンプレで萎縮していたら、何か書くたびに、このテンプレは、パクりならないか、とか躊躇することになりますね。それを恐れていたら、結果なにも書けなくなります。
ミステリ作家でも全てのトリックを調べ尽くしているわけではないです。物理的に不可能ですし。有名なものやマイナーでも界隈でよく知られているもの、最近使われたものとかは外すべきだし、編集者や知り合いの作家に訊いて、あまりに丸パクに近いトリックがないか探すでしょうが、海外作品も無数ですから、絶対に誰も書いてないという自信は中々持てないでしょう。そこはトリックを現代風にしたり、作家の個性でアレンジを加えて、全く別物に見えるように変えるわけですね。ミスリードを使って、既存の密室トリックを新しく提示するとかや特殊な能力や技術のある設定をちゃんと解説してそれを用いてトリックを作るとか。
まあ、パクりの問題は基本、アイデアよりも、表現の問題が多いですが。漫画のキャラの衣装が、どこかのブランドの服にソックリすぎるとか。まあ、これもパクったのか似てしまったか判断が難しい場合もありますが。服の形なんて出揃っている部分も多いですしーー。そういえば、背景の建物の形も少し話題になったことがありますね。なんだか、すでに嫌がらせっぽいですね。当然、面倒なので、多少変えて差し替えたりするのですが、クレーマー対応のように。
漫画も似た構図のページが数ページあったとしても、それは探せばあるでしょうとーーこれだけ漫画が出ていれば。よっぽどの数のページで立ち位置やセリフが一致しないと厳しい。ある種セオリーとなっている構図もあるわけだし。それは作家の独創というより、今までの知的財産の共有物に近い面があります。
まあ、パクりをあまり擁護すべきではないけど、実際、人は、真似てきてものです。絶対真似ることはダメだったら、挨拶も言語も全員バラバラになり、漫画家は一人だけとかのギルド的な工房に。
なんだか、こじつけのようなパクり騒動は、不思議だなぁ。あからさまなものは潰していいと思いますが。
まあ、騒動を楽しんでいる正義マンのフリした愉快犯に見えますが。火事場の見物人。
まあ、創作者としては、一つのアイデアにこだわりすぎずに、できるだけアイデアを数多く思いつけるように、アイデアを思いつく方の努力をすべきですね。
一つのアイデアが潰れたら終わりならば、きっと長続きしません。一つの商品に全てを賭けるような企業が続かないように。
作家志望の人は、作家になっても、一作で終わるつもりでないでしょうし。ただ盗作問題で加熱しすぎると、作家業で困る場合もありますので。
当然、実際に盗作してバレないだろうとタカをくくるのはダメですが。作家が読者を下だと思っても、読者層は数が凄まじいので、マイナーな作品でも誰か気づく場合がーー勘違いやこじつけというケースも多々ありますが。
アイデアに囚われすぎないためには反復思考や反芻思考の罠から抜け出る必要があります。だから、思いついたアイデアはさっさと書き留めて忘れるに限ります。このアイデア素晴らしいとぬくぬくと温めていると、そればっかり考えてしまって、実際は思考停止という最悪な渦に入っています。
まあ、アイデアからストーリー展開とかがザァーと次々に出ているならいいですけど、ストーリーどうしようとか思っているとーー、まあ、作品中に落とし込めるか活かせるか不明なわけですし、そこまでこだわらないことも重要。
実際、自分如きがパッと思いつくことなんて、他の人が思いつかないわけがない。思いついても使われないアイデアをーー使えるようにするのもまたアイデアですが。
まずはアイデアの量を出そうとする。量を出せば、色々と変える必要が出てきて、多様なアイデアがあるとわかるし、ストーリー展開もさまざまなルートがあるとわかる。
そこから、これはと思うものを組み合わせて、小説に使ってみる。
語彙力が力になるように、アイデア量も力になります。
アイデアの質をどう判断するか、は他のアイデアと比較なしには不可能ではないでしょうか。
文章の書き方の本には、削除の重要性が書かれてある。
アイデアも、失われたアイデアの夜が星を輝かせる。




