ネット小説とは、フィードバックの速い新聞小説なのでは?
眠い……。
眠いよぉ〜。
新聞で連載している小説を、新聞小説と呼ぶ。
元は、雑報から進化して坪内逍遥の意見から、新聞小説が始まったらしいけど。もしかしたら、間違っているかも。
新聞小説は元は歴史物が人気だったようだけど、夏目漱石あたりから現代のことを書く小説に変わって、現代小説だから、時代の変化やその時代の出来事を取り入れた小説になっていったらしい。そして、読者の影響も受けるから、読者の意見を気にしながら、執筆するスタイルに。あとは、新聞での連載が終われば、熱が冷めないうちに、すぐに出版するようにしていたようだ。
活版印刷技術のフル活用ですね。
読者というものが、かなり力を持ってきたのが、現代の小説でないだろうか。
以前は、文壇とかができて、大正期は大衆小説と凌ぎを削っていたようだけど。もしくは、大衆小説を書きながらも、文壇向きの小説も書くという。
文壇とかは、作家や批評家を主たる相手として、書いているようだけど、大正期あたりから婦人雑誌やブルジョワ化で、読者層が変わり始める。
読書する人は、娯楽としての読書を求めるようになる。漢籍とかを、読書して、文字をありがたがり、さらに声に出していた人たちが、全く異なる層が、読書層に入ってくる。
読者が誰か、ということが、かなり意識され始める時期です。それは、雑誌というスタイルからも分かる。雑誌は、ターゲットを絞って、その層に受けるように編集されるのが当たり前です。婦人雑誌しかり、プロレタリアートの雑誌しかり、保守系雑誌しかりーー。
そして、今、ネット小説では、作家は、編集者も兼ねていています。どこの誰に向けて、書いているのか、は以前以上に、意識していますし、小説が受け入れられるか否かは、PV,pt、書籍化作家ならば、初動売上で、すぐにわかります。
フィードバックの速さは、メリットもあればデメリットもあります。ネットで情報が速く手に入るのと同じく、いい面もあれば、悪い面も。
フィードバックが早ければ、それだけ打ち切りにする速度は上がりますが、代わりに、ウケない小説に無駄な努力を注ぐことはなくなります。もちろん、売れない、見られない小説イコール駄作とすぐに、決めつけてしまい、可能性を潰してしまうデメリットもあります。
ただ、おそらく初期の作者には、ある種の洗礼のような感じで、よく響くのかもしれません。自分だけ自分の作品を名作だと思い込んでいても仕方ないので。芸術や創作は、独りよがりになりがちです。そこが、いいのですけどね。
フィードバックの速さ意外にも、ネット小説ならば、他者の作品のフィードバックも見られます。しかも、書店で書籍化されている作品以上に、精緻なポイント、ブクマという形で、小説のランキングが分かります。
書店に置いてある本だと、どれが、累計何十万部ぐらいはわかりますが、シリーズだったり、マンガ含めだったり、かなりぼんやりとした数値になります。また、ジャンル別の違いもありますし、古典と呼ばれる本も判断に困るところです。特に、古典のうち、今も読まれる作品は、どれなのかは、把握するのは難しいです。一応、置いてあるだけで売れてないだろうと感じる本もあります。
まあ、古典は読んで損にはならないと思いますが、文体やストーリーを参考にできるかは、読む側の力量でしょう。丸投げーー。
ただ、他者のフィードバックを見られると、それらを比較してしまって、似たような作品を作ってしまう可能性が、新人賞以上に、発生しがちです。新人賞は確認しても、五冊ぐらいでしょうし、それ以上は情報もないので、真似しようとも思いませんし、真似したら、逆に受からないとわかってます。
ネット小説は、似たような作品が氾濫しやすいです。もちろん、検索システムも、それに関わっていますね。検索されないといけないならば、人気のタグを探さないといけない。人気のタグを探して、それを付けたならば、そのタグの内容を付加しないといけない。
似たような作品がさらにできるというシステムですね。
新聞小説以上に、連載の中で、読者を意識させられますね。見えない読者です。まあ、新聞小説書いている作家も、見えない読者に書いていたのでしょうが。
そして、見えない読者は、ポイント、ブクマ、タグという形で、現象していますね。感想やレビューもありますが、効果は今ひとつな気がします。
読者層、作家の読者意識、そして、なろうシステム。
この三竦みの兼ね合いで、バブルのように、一気に、人気の小説枠が作られて、そして燃え尽きていくのでしょう。
そして、この流れが、どこまで続くのか。
このバブルの商品は、タグという形で、現れます。新しい効果的なタグの出現がなければ、しぼんでいく運命でしょう。
ある種、ジャンルに近いですね。
セカイ系、空気系、ループもの、サヴァイブ系、異世界転生、異世界転移、チート、悪役令嬢、ざまぁ、もう遅いーー。(少しジャンルのカテゴリーの枠の大小がありますが、SFやミステリほど確立される枠には見えない。ロマンティック・コメディぐらいの枠だろうか)
セカイ系は、エヴァからまどマギで収束したイメージですが、少女絶望系という派生は、まだしているようですけど。
こういうシステムの改良の場合、読者に訴えるか、作者に訴えるか、なろうシステムに訴えるか、の批判の仕方があります。
もうエッセイで出尽くしてそうですね。
しかし、こういう構造は、内部批判から崩れる場合はあまりない気がします。構造は、内部の批判者に対して、安定的です。
批判は危機ではないから。
よりよいプラットフォームが成立したならば、おのずと変わっていくのではないだろうか。
KDPやカクヨムのシステム、もしくは、他の何か。
もしくは内部の構造を維持しているタグの出現が少なくなればーー。成果が少なくなれば、変わらざるを得なくなる。ユーザー数の減少や、書籍化の減少など。
人も一緒ですね。批判よりも、危機が、もしくは危機感が、突き動かすのは。
実際、危機感を抱くのは、なろう運営者でしょうけど。
作家や読者が、危機感を強く抱くようには思えない。ふわふわと、別のところに移動するだけなのでは。
でも、新聞小説も、まだ残っていますし、残り続けるのかもしれませんね。
文学は滅びるのもあれば、残るのもありますから。