BL本に出会いを求めるのは間違っているだろうか
本屋に行くと、いつも彼女がいた。僕が部活を終えて、時間潰しに店内に入ると、クラスメイトの彼女は参考書のエリアにいつもいる。参考書の立ち読みとは、なかなかのマニアだ。普通の女子生徒は、向こうで、若者向けの女性誌を読んでいるのに。
数学の本を開いて、真剣に問題と格闘している凛々しい姿は、まるで孤高の天才だ。ピクリともせず、開いたページに問題を凝視する彼女。
僕は、彼女を見つけると安心する。ほら、あるべきところにあるべきものがある安心感。彼女のスペースは、数学の参考書前なんだ。そして、僕は、漫画雑誌のスペースへ。
今日の僕は、いつもと違う。そう、僕はだいたい、閉店の1時間前には、この本屋を出てしまう。彼女は、その時まで、ずっと参考書前にいる。だから、彼女がいつ、この本屋を出るのか知らない。
気になる。
ただの好奇心だ。
もし心のうちを読まれたら、このストーカーと言われそうだが。
ずっとだ。
ほんとうに、ずっと彼女は本棚の前を離れない。そんなに参考書が面白いかね。
そうしていると、本日の閉店15分前のアナウンスが流れ、全てが閑散としていきそうなBGMが流れてきた。お決まりの選曲だ。これは、もう何かこの曲しか認めないというパワーでも働いているのだろうか。
そんなことを思っていたせいか、いつのまにか彼女は参考書のスペースからいなくなっていた。
しまったな。
僕は、すぐに、漫画雑誌を閉じる。出口とカウンターを見るけど、彼女はいない。ということは、まだ店内にはいるはずだ。参考書前から彼女が離れることがあるなんて、これはレアだ。
僕は店内を探し始める。本屋は、ちょっとした迷路だ。スーパーと一緒で棚で人が隠れてしまう。小さな子供ならば、かくれんぼでもして遊べそうだ。
いったい、どこへ行ったんだろう。
もう一度、彼女を見つけた時、彼女は2階から降りてくるところだった。彼女は、小さな文庫サイズの本を大事そうに抱えている。まるで表紙が見られないように隠しているように。
ーー二階?
二階は、たしか、ライトノベルとかコミックと百合やBL本とか。
そのとき、僕と彼女の目がばっちりとあってしまった。
彼女は慌てたのか、するりと抱えていた本を落とした。それはちょうど階段を落ちてきて、僕の目の前に。
僕は何気なく、教室で落としたけしごむやペンを拾うように、その本を拾いあげようとした。
ーーーー…………半裸の男同士が抱き合っていた。
僕は、腰をかがめて、拾う動作の途中で固まってしまっていた。
ああ、どうしよう。
『趣味って、ひとそれぞれだよね、アディオス』とか言えばいいのか。
『大丈夫。僕は、オタク趣味には理解があるから』や『へえ、百合じゃないんだ』と言って渡すか。
僕は、どうしようもなくなって、腰をかがめた状態で、頭を上に向けた。
階段上で固まっていた少女のスカートの中が丸見えだった。
そして、それは彼女にもわかってしまったようで。
「いやあぁああああああああああーー!!」
そう叫んで、彼女は階段を駆け降りて、本屋を出て行った。
その後、僕は、叫び声で駆けつけた店員に事情を聞かれ、さらに、階段から落ちて、折れてしまった本を買い取ることになった。
「ど、どうしてくれるの。もう、あの本屋行けないじゃない」
その日の放課後、僕は彼女を呼び止めた。あまり人の来ない四階の階段で、二人きり。僕は、一応、持ってきた本を返そうとしたのだ。
だがーー。
どうやら、ひどく嫌われてしまったようだ。
まあ、他人には知られたくない趣味だったろうし。
「別に、本屋の店員は誰が買ったかなんて覚えてないよ」
「あの本屋はセルフレジがあるでしょ。自然と買える場所はあそこだけだったのに」
「そんなこと言われても。ネットで買えば?」
「履歴が残る」
「じゃあ、そういうことで、本は渡したから」
君主、危きに近寄らず。うん、こうして去っていくのが一番だ。そう人間頭の中では何を考えているか。ムッツリ数学参考書少女とは、距離を取るべきだ
「あなた、どうして昨日は二階の階段前にいたの?いつもは、閉店の音楽の前には帰っていたのに」
うっ、ストーキングしていたからですけど、なにか。
うん、これは言えない。これを言えば、僕の社会的な立場が崩壊する。BL本を吹き飛ばす勢いで、犯罪者ルートにまっしぐらだ。
「最新巻の漫画を買っておくの忘れてね。ちょうど二階に上がるところだったんだ」
「それって、なんて漫画?」
「ーーそれは、そのぉ〜」
「どうせ、言えないようなえっちなコミックなんでしょ。お互い様でしょ。さっさと言いなさい。あなたも閉店間際に変態的な漫画を買うつもりだったんでしょ」
ひどい決めつけだ。
「どうしたの。やっぱり言えないんでしょ。いったい、どんな漫画を買う予定だったんだか」
実はあなたを探していました、なんて言えないよな。仕方ない。適当にマイナーな漫画のタイトルをあげておこう。メジャーなものを挙げたら、発売日が違いすぎて、何か文句を言われるかもしれないし。
僕は、先日読んでいた雑誌の中で、後ろあたりに載っていた漫画のタイトルを口にした。
「ほ、本当に、そのタイトルの漫画を読んでいるのっ」
彼女がなぜか半眼で僕を見つめてくる。
ちょっと待て、あれって、どういうストーリーだった。青年誌に載っているし、そんな変なものではないはず。読むことはなかったけどーー。
「ああ」
「へ、へぇ、じゃあ、どういうところが好きなの」
彼女は、問い詰めるというより、俯き加減で僕に尋ねて食る。いったい、なんだ、その態度はーー。
「えっと、絵柄とか」
「ふ、ふーん、そう、なんだ」
彼女は、さらに、俯いてしまう。なんか顔が赤くないか。
俺は、もしかして、かなりまずいタイトルを口走ったのか。まさかBLよりの漫画だったか。いや、そんなはずはないんだが。うる覚えすぎるが。
「そ、その作者、わ、わたし、なんだけど」
うん?
なんて言った。
この変態BL好き数学少女、こともあろうに、さらに現役漫画家宣言をしたか。キャラ付けが濃くなって、キャラ漬けになっていないか。
いいか、漫画家??
同人作家とかでなくて、商業誌の??
「あ、そうなんだ」
僕は、頭が混乱していて、淡白に返事をした。
「そ、それだけ!わたし、結構なカミングアウトしたんだけど。サインが欲しいとかないの」
いや、男子としては、BL本を買っていたことの方が驚きが強くて、漫画家というキャラ付けが薄れてしまってる。隠し味のように。
「サインが欲しい」
「とってつけたように!!」
いや、そうだけど。
女の子は受け取ったBL本に、サインを書き始める。
あ、書いてはくれるんだ。
でも、彼女も冷静さを欠いているようだ。
普通、サインは自分のコミックにしないか。
「これ、原作なの」
「へ、へぇーー」
おい、青年誌。BL本を原作にしていいのか。
まあ、たぶん原作をアレンジしているのだろうけど。
そうか、別にBL好き少女というわけではなかったのか。
「はい、大事にしてね。あ、あと、本屋で、その本、もう一冊購入してわたしにーー」
「謹んでお断りします」
というか、原作なら、作者にもらってくれ。読んだことなしに、漫画を描いてるのか。
「なんか読むと、結構BL色が強いらしくて、青年誌だから影響を受けないようにって、編集さんが間に入って、ストーリーとかキャラとかの設定を決めてるんだよね。でも、そろそろ、原作が気になってきてーー。ほら、わたし、まだ高校生だし、あんまり、こういう本を読むのは、教育的に、なんというか」
まさかR18原作で、高校生に漫画化させているのか。というか、あんまり赤くならないで。僕が何かしているみたいに見えるから。
ねえ、僕はこのサイン本を家に持ち帰る必要性があるのか。妹や母さんに見られたら、僕はどうすればいいの。
「ねえ、あなたって、結構漫画読んでるよね。ずっと漫画雑誌見てるし」
「漫画家ほど詳しくないと思うけど」
「わたし、漫画ってあんまり読まないの」
おい、漫画家。
なんだ、画力がありすぎるのか。
たしかに、あの漫画、絵柄はクオリティ高かったけど。なんだか玄人向け漫画みたいな雰囲気だったな。よくわからないけど、漫画っぽくないというか。
「妹がね、漫画が読みたいっていうから、適当に描いていたんだけど。勝手に、コミックの賞に応募しちゃって、それで当選して、なんとなく漫画家していたんだけど」
あ、天才だった。なんだ、その勝手に友人がアイドルのオーディションに応募したみたいなデビューは。漫画家って、そんな感じでなれるものなんですか。僕もなりたいです。
「でね、今やっている漫画って、そろそろ終わるでしょ」
うん、知らなかった。へえ、そうなんだ。
ごめん、全然読んでないんだ。
「で、終わったら新連載をオリジナルでやらないかって編集者さんに言われてるんだけど、全然、分かんないだよね。その、どういうのが読者が読みたいストーリーなのか」
編集に聞け。もしくは読者レターやファンレターで。
この流れはなんだ。
「ねえ、だから、君が読みたい話を教えてくれない?」
「なんでそうなるんだ。編集者と相談して決めればいいだろ」
「だ、だって、今までは妹が読みたいっていうから描いてたんだけど、今、原作ありで描いていても、なんだか変な感じで。それでね、思ったの、具体的な誰かのために描くのが一番だなって」
僕に白羽の矢を立てないで。
「また妹のために描けばいいんじゃ」
「それだと、青年誌で読んでもらえないみたいで。そっちはそっちで描いてるし」
妹さん、お姉ちゃんを休ませてあげて。二つの漫画を連載中になってるみたいだけど。
「ねえ、どういうのが読みたい?」
「いや、やっぱり、友情、努力、勝利じゃない」
「曖昧すぎ。もっと、具体的に」
「いきなり言われても困る」
「じゃあ、今度一週間後、聞くからお願いね」
こうして、僕と彼女の関係は始まった。
始まりはBL本。なのに関係は漫画家へのアドバイザー的なポジション。
数学好きで妹想いで、絵の天才。
僕とは雲泥の差の多才さを持つを彼女との二人三脚。
BL本に出会いを求めていなかったけど、間違った方向に進んでいます。
どうすればいいんだ、これ。
「だぁあああああああ!!ストーリーをもっとまともに考えろよっ」
「え、何か違った?」
天才少女は、かなりポンコツなストーリーテラーだった。うん、さっさと原作者付けろ。
というか、妹さんはよく、これで漫画を読めるな。
「妹さんの漫画見せて」
「はい、これ」
ペラペラーー。
ペラペラペラペラペラペラーー。
なんだ、この完成されたストーリーは。こいつに、こんな才能あるわけーー。これ、普通に商業誌で売れるんじゃないか。
「あのー、妹さんは、どういう方で」
「今は、小説家みたいだけど。ねえ、それより、もっと具体的にストーリーを教えてくれないと書けないんだけど」
なるほど、僕には、どうやらストーリーテラーの才能がないようだ。というか現役小説家と同じレベルでストーリーを具体化しろと要求していたのか。妹に、もう全部依頼すればいいのでは。