花園の兵士ーーバグ・ディスコード・ゼロ
レインは落ちていく。
撃墜されて、バラバラになった装備と一緒に。
《逆巻く氷の華》が、舞っていく。
誰も彼もがーー砕けていく。かつて人間だった人たち。《妖精部隊》の少女兵士。
魂は上に、身体は下に。
空と大地に引き裂かれて。
花弁は飛んでいく。
風の吹く方へ。
「お姉ちゃん、起きなさい」
レインが重いまぶたを開けると、妹のナーヴェ。黒髪の幼い顔立ちの下に、妖精部隊の《強化ドレス》がコンパクトフォームの形ーーナーヴェのものは首飾りの形ーーになっている。水色のアジサイの模様をした大きめのアクセサリー。
「起きたから、静かにーーあと、5分」
レインが時刻を見る。7:00。妖精部隊の宿舎の朝礼は7:30。ご飯と支度を考えると、かなりギリギリの時間帯。レインは寝ぼけ眼で、自分の《強化ドレス》の雪の髪飾りを取る。割れそうな雪の結晶の形をしている。フィオーレはアクセサリーの形態でも、かなり頑丈なので、割れる心配はない。レインのフィオーレ、フロスト・ペタルの冷たい感触を手にして、目が覚めていく。
「今日、出撃だっけ」
「自分の出撃日程ぐらい確認しておいてよ。今日は訓練。まったくーー」
妹の小言を聞き流しながら、妖精部隊の制服を着る。空に溶け込む群青色の制服。フィオーレを展開すれば、意味ないのに。これは迷彩服の名残りなのだろう。しかし、下がスカートなのは誰の趣味なのか。まあ、これもフィオーレを展開すれば、関係ないがーー。
最後に、くるぶしまで覆う無骨な軍靴を履いて、ようやくベッドから出る。ナーヴェが少し呆れている。手の届く範囲に明日の着替えは基本なのに、と言いたくなるのはこらえておく。
「さっさとご飯食べてきなよ」
「あれ、ナーヴェ食べちゃってるの」
「うん、当たり前でしょ」
仕方ない。ひとりで行くか。
レインは、洗面台の鏡の前で、顔を洗い、髪を直して、髪飾りをつけた。
食堂に着くと、もうだいたい食事は終わっている。長い机は、ガラガラだ。今頃、食べに来ているのはわたしとーー。
「マリア」
レインは明るく声をかけて、まだ食べ始めたばかりのマリアの隣の席に座る。金属製のプレートに、卵とベーコン、黒パン、豆類のサラダ、野菜スープ。軍隊の朝の味気のない栄養満点食。レインは、嫌いでもなく好きでもない。毎日の日課のように。
「今日はいつも以上に遅い」
「ナーヴェが起こしてくれなくて。そっちのルームメイトは?」
「死んだ」
「新人は蕾のままで落下か」
戦闘があったのは、アフリカ西岸のカナリア諸島の一つ。アメリカ大陸を征圧した蟲ーーバグーーとの最前線。曰く、宇宙から来た未知の生命体、、アメリカの遺伝子操作の失敗作、テロリストの生物兵器、社会主義圏の負の遺産。
どちらにしろ、人類の危機で、世界は、いまやパニック巨大昆虫映画の中だ。ここ、エウロパ連合共同体も対岸の火事ではない。
「でも、大陸一つで満足して欲しいよねぇ」
「蟲に、そんな道理は通用しない」
「あははーー」
「終わらせるには」
終わらせるにはーー、女王蟲を撃つしかない。このバグった世界を元に戻すには。そんなことは、もう二十五年前から分かっている。蟲に落ちたアメリカ本土に核攻撃をしたときに、一匹のクイーンを倒せたから。上層部によると、残り三体らしい。人工衛星から、クイーンとおぼしき蟲を探知した結果。
レインは、喋っている間に、素早く食事を終えて、マリアよりも早く食堂を出て行った。マリアの食が進んでないからーー、そういう日もある。今日の訓練、マリアは休みかな。ルームメイトの死で、1日ぐらい休暇申請は通るだろう。
「咲き誇れ、強化ドレス」
妖精部隊の全員が、フィオーレを展開。少女の肩甲骨から透明の翼が生えて、それぞれ特徴的なフォルムの外殻に覆われる。
レインは、比較的軽装のスピード特化型。一番死にやすいフォルムだ。五年生存率は、5%未満。ひとえに、レインが生き残れているのは、スピード型の幻想種だから。妖精部隊の中でも、本当に妖精に近い形をしている。神話や御伽噺のようなーー。
他の種は、もっと現実の蟲に近い。なぜなら、妖精といっても、蟲の蟲核を利用した戦闘装備なのだから。花というのは、何かの皮肉にも思える。花のように美しい乙女たちは、実際は蟲をまとって、蟲と戦う。花が落ちるのと同じくらい、大量に落ちていく仲間たち。
妖精。
花。
可憐な形容も、真っ赤に染まった遺骸の前では、何も意味がない。道路に落ちた花びらのように踏みつけられた薄汚れた存在。
レインの氷の武装、そして、ナーヴェの水の武装。
二人は、妖精部隊ウィンターの二枚看板、ダブルエースだ。
だから、もう訓練なんて意味がない。実戦経験がありすぎて、一応蟲が攻めてこなければ、こうして訓練をするが、新人たちは全く付いてこれないし、ウィンターの仲間との連携も完璧。実質、レインたちにとっては、ただのお遊びだ。
雲を突き抜けて、飛行して、静止する。レイン以外だと、寒くて、すぐにでも降りたくなる高度だ。そうでなくても、空気の薄さに耐えれないフェアリーも多い。
デタラメな彼女に付いてくるのは、ナーヴェだけ。ナーヴェも幻想種だ。妖精と呼んでいい素敵な透明な水の翅。半透明の白い外殻。可愛くないのは、右腕の鉤爪部分。貫通性の高い水を速射する強靭な兵装。
「なに、訓練から逃げてるの」
「高高度での戦闘のために」
「こんなところは、戦闘機に任せておけばいいでしょ。それぐらいの資源はあるんだから」
レインは、雲の下を思い出す。
まだフィオーレを手に入れて、数ヶ月で動きの鈍い新人たちを。訓練と言いながら、本質的には、こっちは教える側に回るのだ。もう何度やったことか、レインは嘆息する。
正直、嫌だなあ。
どうせ、すぐに死ぬ。
それだったら、街に出て、美味しいものでも食べていた方がいいのに。こんな最前線に即席で送られるということは、適正はあったけど、弱いから間引いているだけだ。きちんと訓練所で鍛えてきたらいいのに。ジブラルタル基地区に送られても困る。赤道以南のアフリカよりはマシな戦闘区域だけど、新人がいてもいい場所じゃない。それに、味方の誤射は、敵より始末が悪い。
でもーーーー、街も億劫か。妖精部隊と言っているのは公的機関の要請。裏では、半蟲半人、蟲付き、寄生虫、亜人、蝶人、好き放題な差別言葉のオンパレード。ジュースを飲んでいたら、「蜜でも吸っているのか」と言われたこともある。ネットでは、私たちの戦闘映像がエログロとして流出していたりもする。挙げ句の果てには、私たちはいずれ蟲になるんだ、とかのデマまで。羽化とか成蟲化とか変体とか言いながら。ある男権主義的な宗教によると、私たちフェアリーは地獄の業火に焼かれ続けるらしいーー、全く人類サマサマだ。誰の後ろで、安全な暮らしをしているんだか。妖精に人権はなし、か。いつのまにか消えているんだから。
「ほら、行くよ」
ナーヴェに手を引かれて、急降下していく。雲間を突っ切り、二匹のフェアリーが舞い降りる。そして、今日も新人いびりだ。第一に、死なないこと、第二に死なないこと、第三に死なないことだ。
いま、わたしはひとり落下していく。
アフリカ西岸の蟲の群れの中へ。妖精ヘイトの国々が破られた防衛線の一角で、無謀な作戦のために、緊急発進して。
ウィンター部隊は壊滅。ツバサの生えたムカデが浮遊している。わたしに狙いをつけたのか。
レインは、気力を振り絞って、ムカデの牙を避ける。そして、ムカデの巨体に弾かれて、落下を続ける。
下から衝撃。ワームが地面を突き破って来たのだろう。
終わりーー、レインはそう思った。
けど、水の鉄砲がワームを貫いて、巨大なワームが倒れてい。わたしの体は軽くなる。
「ナーヴェ」
「バカ、バカ、バカーー」
語彙力がなくなっている。余計なことを考えたくないからだ。言葉を選んでいる余裕はない。次々と襲ってくる蟲をかわしていくナーヴェ。水の妖精は、蜃気楼のように掴まれない。
「お姉ちゃん、水の中に入るよ」
大西洋の中にダイブしていく。蟲は水の中まで追ってこない。ナーヴェが、水の中で息をできるように、周りの海水を球状に押し広げる。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ううん、フロスト・ペタル、壊れちゃった」
砕けた雪の髪飾り。もう跡形もないとも言えそう。しばらく戦闘は無理かな。レインは髪飾りの残骸を握りしめる。
「そ、身体は」
「な、なんとか」
そう答えた時に、ナーヴェが険しい顔になる。大西洋の海にさらに分けいっていく。どんどん深く沈んでいく。空気のガードが薄くなる。
「え、ナーヴェ」
「核兵器っ!もうすぐ落ちる」
アフリカ大陸を蟲の生息地にしないための最後の最低の策。大量破壊兵器による人間もろともの吹き飛ばし。レインたちフェアリーがまだいるし、人間も戦闘しているのに。
小さな、やもを得ない犠牲。歴史のシミ。本のページで潰されたムシ。
大きな光。熱線。
衝撃が海面から伝わってくる。ぐらぐらと頭が回る。えっーー、ナーヴェ、自分の周りはーー、空気が水圧がーー。
水面に浮かんだのは、1人だけだった。
レインは、あたりを探る。向こうは赤く染まって、キノコ型の雲ができていた。
海の中へと潜る。
何度も。
何度も。
何度も。
潜って、息を吸って、潜ってーー。
まるで人間みたいに。哀れに必死になって。
それでも。
ナーヴェは見つからなかった。
代わりに、ナーヴェのフィオーレ、アジサイの首飾りだけが海面をたゆたっていた。向こうでは、黒い雨が降り始めていた。数匹生き残った蟲たちが、まだ空を飛んでいて、空軍のパイロットが何機か戦っていた。しかしパイロットは、何度か銃撃をして、去っていった。思ったより生き残りが多いのだろう。つまり、人間は、またーー。
レインは、とにかく海を波に逆らって泳いでいく。できるだけ遠くに。熱も光も放射能も届かない地点まで。
ナーヴェーー、わたしを助けて。
ミサイルが見えた時、レインは思いっきり水中に潜っていった。とにかく限界まで。助かるために。けど、やっぱり、人間の身体ーー、フィオーレの助けのない生身だと、どうしても浅い。
第二の光の柱。
すぐに衝撃が来る。
そう身構えた時、ナーヴェのフィオーレが展開、いや、レインの砕けたフィオーレと混ざり合っていった。
蟲核が共鳴しているーーー。
雪の結晶の束ができていく。アジサイの花の一つ一つが雪の結晶へと変わっていく。
そして、気づいた時には、氷の膜が身体を守っていた。
西暦20××年。
アメリカ大陸が雪に覆われた。極寒の年は、全ての蟲を機能停止させていた。大西洋と太平洋にまで寒冷は押し寄せた。
妖精の悪戯。
冬の悪魔。
寒波に飲まれていく。
氷。
圧迫、閉塞、闇。
飛来した未知の物質は、虫の想像力に共鳴して、巨大化していった。
今は、一人の少女の想像の中へ。
全てが凍てつく氷の中へ。
氷の華の大地へ。
銀幕。
凍土。
吹雪。
幻想の中へ。
涙。
白。
雪。
無の中へ。
緩やかに、緩慢に、熱せられず、徐々に冷たくなってーー