なろうでも昔はよかったとかあるけどーー
昔は、良かったーー。
いや、たぶん、昔を忘れただけではないか。そんなによかったのか??
主観的な判断で、今と昔を比較すると、今はあまりにも不利だ。それは、誰もが過去を美化し、なんだか過去の人々は超人か何かのような扱いを受けている。
昔の人はほとんど文字も読めなかったわけなのに、知的レベルを判断するときに、最上級の人だけを選んで、ほら、こんなに立派だったのに、となる。
第二次世界大戦後も、まずい資料は燃やされて、美談ばかりをもてはやしてしまう。
良いものだけを、よかった点だけ、選んで、選書を作れば、まるで、その作家は良作しか書かなかったように思えてくる。駄作の数々を忘れてしまうんだ。
エタルーー、昔の作家も、エタッてますよ。プロでもエタる。いわんや、アマチュアをや。
なろうの今と昔を比べるとき、書籍化された数々のエリート作品群を基準にしていないだろうか。飛び抜けて素晴らしい作品を基準として、批判し始めると、まあ、ダメだダメだと言いたくなるのはわかる。
成功した起業家のみを取り上げて、今の人たちはやる気も根気もないとか言われても、何か変な感じがする。軍国美談で、勇気を示した人の話を見倣えとなり、みんながこんな勇気を示してきた、となるとーー、ノルマがどんどん上がっていくように、インフレが進んでいく。その程度で云々とか言われる。過剰な自慢話みたいにーー、過剰な期待。
傑作以外認めない的な完璧主義の読者の誕生だ。
本好きというものは、バカみたいな作品を、楽しく読めるようにすることじゃないかなぁ、と思う時もある。(まあ、作者がひどい時はひどいんだけどね。それはわかる。いや、十分にわかる)
結局、映画好きと言われる人は、B級映画を面白く語ってくれる。ゲーム好きは、クソゲーをクソゲーなりに楽しむ。
まあ、何事も楽しんだもん勝ちという言葉があるように、日常から楽しい要素を見つけることも一ついいものです。
遊園地をくだらないとか言うのは簡単だけど、そうすると、目を背けているだけに見える。楽しめるものを見つけにいけばいい。楽しめる要素を発見しに行けばいい。
何かの中から意味を取り出せばいい。
意味を込めればいい。
別に遊園地でジェットコースターを利用して物理について考えてもいいし、土産物や屋で商品の陳列法を考察してもいいんですよ。
批評家も、まあ、なんかイチャモンつけるような批評家よりも、こんな作品あったよ、と紹介してくれる人の方がいい。くだらない作品なりに、良い点を見つける。ああ、そう読んだり、そう見たら、面白くなるのか、と。
過去の作品とか文化圏が違う作品だと、なんだこれ、となるのが普通だ。そういうときに、解説しながら、よくできている点を見つけて、教えてくれる。
そういうのが、批評家だと嬉しいなぁ。
現在のダメな点をバンバン指摘しても、まあ、多くの人は気付いてますよ。で、同感してくれます。
でも、まあ、それだけです。新しい発見というより、再認や追認が得られるのみだ。
うん、所詮、このエッセイもその部類だ。
snsのいいねとか、そういう同調意識と炎上で叩いて反対意見を叩くことがありがちですね。
そうなると、同じことの繰り返しになってくる。なにも発見はない。又は自分の主張を通すための根拠・データ探しになる。
物語は始まるのは、逸脱があるからだ。
物語を書こうと思ったら、自分の中にある考えから、少しズラすことも考える。ズレて書くのも、一つの面白さだ。
そして、物語を読むときも、このまま読むとつまらないと思うとなると、一旦読むのをやめたり、ええ、積読です、全く問題行為です、もしくは、主人公とは違う目線で読み始める。
まあ、昔は良かったとかになると、なろう以前のライトノベルに還れ、さらには文学に還れ、私小説に還れ、とどこまでも戻っていけますけど。
最終的には源氏物語や神話とかにでも戻るのだろうか。で、それが最高傑作だと。
うーん、ただのディレッタントな気がするし、どちらかというと、初めから昔はいいから、この作品はいいんだ、という点から始まってそう。もしくは、みんながいいと言っているからいいんだ、という発想。
まあ、初めて見た漫画やアニメなど芸術作品を最もいい作品としたくなるのは、人の常ですけど。
なろう、という場は、こういう作品が主流なんだという決まりができ始めて、それから今になって過去を振り返って、こういう流れで来たんだと位置付ける。
ほとんどの作品は忘れられて、アニメは世界系しかなかったかのようになり、なろうは異世界チートしかないかのようになり、延長作品を受け入れるのみになっていく。
そして、固定化のような縛りが、作者陣の方がよくわかる。他の作品はあまりにも受け入れられないから。
評価の基準は過去作品となる。
その目線で、過去作品は、全てのオリジンとみなされる。
同じだけど違うものーー、それが求められるようになる。その同じの部分は極めて強固になっていく。
楽しむ目線が、評価の目線が、画一化していく。多様な読者が一様な読者へと、場の作品の決まりが定まるほど、収束していく。
そして一部の作者や読者は、なろうという場を離れていく。
新しい場所で、昔なんかに縛られない場に逸脱していく。レトロなものが新しく見えるように新人賞に向かったり、別のwebサイトに行ったり、他の芸術ジャンルに向かったりーー。
新しい場所で、本当に新しいものを見つけに、そうやって飛び出すのは、神話のお約束ですね。