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一番意味分からなくて避けてきたのは、描写と説明の違いの解説、やっぱり失敗した


描写?

説明?

出来事?

場面?


 

 描写とは、『犬も歩けば棒にあたる』という文だろうか。

 これを説明すると、何かしていると災難もしくは逆の幸運に出会うということだ。災難の方が、多く使われると思われる。

 描写とは視覚的な表出を書いたものだろうか。描き写すと書いて、描写。

 「詩は絵の如く」というようなエクフラシス。

 ーー視覚的なことを言語で表すこと。

 当然、描写は、嗅覚や味覚や聴覚も含む。ならば、五感を表現したものが、描写だろうか。

 心情描写って、どんな五感だろう。



 絶対に描写と呼ばれるだろう部分は、セリフだ。

 セリフはセリフとして分離する考えもあるでしょうけど。


「おお、ロミオ、あなたは、どうしてロミオなの」


 これは、描写と読んでいいだろう。しかし、たいていの場合、描写と説明の違いを悩む人は、地の文だ(ということは、セリフは天の文か?)。

 


 「ここはグラウンド。校舎の西側にあり、廊下側の窓から、グラウンドでやっている体育のサッカー風景が見られる」


 説明でしょうね。


「美しい花がある」


 美しいとは、主観的価値だから、説明だ。

 ーー本当に?

 描写とは、客観的なものですか?

 主観的・客観的とは?


 ?????


 おそらく、私の単純な理解だと、描写とは説明できるもののことだ。

 「赤い花がある」


 どういう赤い花。枯れてる、鮮やか、花瓶は、何の花ーー、こういうふうに、描写されたものとは、説明を求めることができるものです。

 説明文とは、説明されていて、それ以上尋ねる気にならない文だ。つまりは、読者が、何もできない、もしくは何も尋ねる気が起きない文とも言える。


「彼が西側のドアから入ってきた」


 描写?説明?

 こんがらがるなぁ。

 でも、描写っぽくしたいならば、


「彼が西側のドアを勢いよく開けて、入ってきた」のように、少しの説明してほしい部分を付け足せばいいのでは。汗をかいていたとか視線を左右に動かしてとか、文をつけ足して、説明して欲しい部分を付け足してみる。

 描写とは、読者の想像の余地が残っている文のことかなぁ。


 今、メディア論とか読んでいて思うのは、描写か説明か、というものが、実は読者側の感覚で決まる点も無視できないのではないか、ということだ。


 つまり、『語り』という概念が描写と説明の違いの理解には必要だ。

 説明とは、読者に語っている感が強い文章だ。

「美しい花」と書いてしまうと、いったい、誰が美しいと判断したんだと、主観的な判断をくだす誰かを意識させてしまい、語られている感覚が増す。当然、一人称ならば、美しい花と書いても気にならないだろう。

 「赤い花」の場合、誰が赤いと判断したんだ、と疑問に浮かぶのは意地悪な読者ぐらいだろう。赤い、というのを主観的判断と捉える人は少ない。


 セリフが、確実に描写になるのは、読者に語っていないことが明白だからだ。もちろん、ナレーション的な語りは別扱いだが。


「ここはグラウンド。校舎の西側にあり、廊下側の窓から、グラウンドでやっている体育のサッカー風景が見られる」


 ここはグラウンド、と言われると、突然、話しかけられている気持ちになる。まあ、ならない人もいます。私も、まぁ、いいか、と思います。『○菓』も似たような表現ありますし、手っ取り早くて省エネ最高。説明は省略ともとらえることも、よく出てきますね。描写は、時間がゆっくり流れる。

 まあ、上の文は、語っている感満載ですね。

 有名な名言に、『showing,not telling』がありますね。『語るな、見せろ』です。

 ギリシャに遡ると、ミメーシスとディエゲーシスですね。まあ、こちらは劇でしょうけど。

 劇のように、目の前で、ありありと起こっているような表現が描写だろうか。説明とは、かいつまんで省略して、述べた文だろうか。



 

 まともな文を使ってみよう。


「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗にぬりの剥はげた、大きな円柱まるばしらに、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。」


 初めの一文が出来事や場面というものとして、次の一文は描写だろう。描写をして、次の文で説明。つまりは、描写を、カチリと置く。描写、説明、説明ーー。

 まあ、こんな流れではないだろうか。


 二文目は、想像の余地もあるし、目の前でありありと待っているようでもあり、語っている感も少ない(語っている感は読者による面も多いけど)。そして、これから説明してほしいと思う面もある。

 描写文と判断していいかな。

 というか、説明の余地があるということは、想像の余地があるのは当然か。どこまで説明するかは、作者次第。



 いやいや、でも、なんだか怪しくなってきた。

 僕の意識がなんかしっくりこない。

 そもそも、なぜ描写するかといえば、説明のためではないか。

 「駅への道順を説明する時に、純粋に、2ブロック先を左に、突き当たりまで進んで、右に曲がり、そうすれば左手に店が見える」


 これに描写風なコンビニがあってや赤いポストが見える風景を付け足せば、よりわかりやすくなる。

 ん、描写が説明の補足をしているとーー。


 あー、やばい。自分でも意味不明。

 こんな深夜に書いているせいだ。

 ここまでくると、説明と描写に文を分けること自体が間違っているのではないか、とも思えてくる。

 状況説明と状況描写の違いのように、そこにいない人やいなかった人向けに、語っているのが説明かな。


 描写と説明の玉蟲色。

 また考え直す。






【ちょっとした付け足し】


 説明の特性ーー正確性、客観性、分かりやすさ、出来るだけ短く。まるで成分表のように。取り扱い説明書のように。


 描写の特性ーー想像の余地、主観性、情緒。まるで現実のように。現場感。抑揚。


 なんだか、特性を因子分析みたいに、計量可能なものにまで還元して、数値間のパラメータで現すことが出来たらいいのに。テキストマイニングのようだ。

 

 

 こういう描写か説明かの区別の時に、基本、文を単位として使うのも変な感じがしますね。単語でも段落でもなく、いつのまにか、文を単位に勝手に想定している。

 まあ、正しいと思うのですが。


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