本のしおりに『好き』と書かれていた、いまさらな夜に
わたしには、幼馴染というには、あまりにも疎遠になった男の子がいた。
誰にでもたぶんいるんだと思う。小学生の頃はよく話したり遊んだりしていたのに、なぜか中学になって、気安く話しかけることができなくなって、そのまま、ずっと石のようになってしまった関係の一つ。
躓きの石というより、誰もが当たる壁。思春期の、なんとも言えない沈黙の圧。話しかけるだけで、恋だとか愛だとか噂されて冷やかされて、お互いに距離を取るようになる。周りが男女で話すことに過敏になっていって、面倒になったわたしは、本を読んで、そのアドレッセンスの時期を、何事もなく――つまりは、ただ静かに、嵐が過ぎ去るのを待つように、通過しようとしていた。
幼馴染だった男の子も、本を読んで、同じように、淡々と、過剰に燃え上がる夏のひとときを、読書の秋に決めたようで、周りに興味なしと無関心に、本の世界の落ち葉に埋もれていったようだった。
そうして、何事もなく、わたしの思春期の第一期は、終わったのです。中学生、たいへんよく読みました。余は満足ですじゃ。
だったのですが、秋になって、冬。
今さらながら、初心に帰る想いで、かつて幼馴染の男の子に貸したこともある古い本を開いてみると、一枚のしおりが目につきました。
そこまで気にせずに、しおりを取ってみるとーー。
あろうことか、『好き』と書かれてある。
ドキッとしたのは言うまでもなく、過去からいきなり鋭い一撃を食らった気分でした。冬の雪が溶けて、秋の落ち葉も取り去れば、ずっと隠れていた春の芽が生えていたような。
それで、はてさて、これは・・・・・・。
『好き』、字は丸くないし、わたしの字ではないのは確か。でも、これは誰の字なのだろう。幼馴染だった男の子のーー。でも、貸したのは、小学生の五年ぐらい。そんなときに、こんなこと書くだろうか。そこまで男子小学生は進んでいるのか。
いやいや、恋愛ばかりにふけるものではない。こう、この本が好き、とか、このページ良かったよ、みたいな意味……かも。判断不能。
当時の記憶なんて、もうあやふやで、困ったものだ。でも、確かめる必要もないのかもしれない。いや、確かめようもないし。
もし実は幼い頃の自分の字だったり、弟の字だったり、お父さんだったり、はては従兄のいたずら。そう可能性はいっぱいだ。わたしは別に筆跡鑑定士ではない。それに、この考古学的な文字の意味の理解なんてやりようがない。
他の本のしおりもとりあえず確認してみようか。手がかりは多い方がいい。小学生の頃、読んだ本を、ダンボールからも出して、続々としおりを確認するという初体験。ドキドキしながら、しおりを見つけては、両面を確認するけど、成果はゼロだった。オンリーワン、ホールインワン、一発で一個だけ。
結局、このしおりは、何なのだろうか。『好き』だけでは、ちんぷんかんぷんだ。実はこういうしおりで、初めから書かれていたとか。そんなわけないけど。ああ、気になる。気になります。
この本のしおりを幼馴染だった男の子に訊いてみる。いや、でも、それで、本当はずっと好きだったとか言われたらーー、ってへんな妄想。都合良すぎ。少女漫画の見過ぎ。いやいや、わたしは別に幼馴染だった男の子をそこまで好きなわけではないし、たまにチラッと見ちゃうぐらいで全然意識なんてしていないけど、好きって言われるのは悪くないし、そんなに好きだったら、なんというか、なんというか、うー、うーむ、いやいや皮算用。妄想に妄想で応えるな。
とどのつまり、これは見なかったことにしよう。うん、わたしは知らない。見てない。覚えてない。こんなものに振り回されるなんて、それこそ思春期。わたしは第二の思春期、高校生の時期も、しっかりと空気のように、浮かれることなく、中学と同じように、繰り返すだけ。恋愛も冒険も、小説の中だけのお話で、わたしには関係ない。だって、しんどそうだし、そこまでパワーはでないのです。
しばらくして、やっぱり、気になる。人とは謎に対して無力なもの。そこに、よく分からない未知のものがあると好奇心が疼いてしまう。チラチラと何度も、幼馴染だった男の子のことを見てしまう。別に、恋愛的な意味はないけど。
時間が解決するという言葉はあるけど、しかし、時間が問題を大きくする面もあるよね。気になって、気になって、仕方ない。無視しようと思うけど、考えないようにしようとするけど、「シロクマについて考えるな」と言われると、逆に、考えてしまうという脳のバグ。抵抗は無意味なのだろうか。身体の成長を止められないように。心臓を意識して止められないように。無意識という、自我に従わない、わたしの八割。
どくんどくん、と『しおり』はわたしの中で脈打って、波紋を広げるのです。
一枚のこの葉も、澄んだ湖に一つぽつんとあると目立ってしまう。
ポエムみたいに言葉を紡いで、わたしは、自分を客観視しているようなフリをして、あらかた言葉は、堂々を巡りおえて――――、仕方なし。たまには、現実で、行動するのも致し方なし。わたしも、現実の中で生きる一人の修羅なのだ。内面の人格のぶつかりあいを、調整して、上手くまとめて、鎮火、平定。完了といったら、完了です。
作戦は簡単。ノートを借りるというものだ。ノートを借りて、字体を確認する。
できるだけさりげなくそっけなく何事もないかのように。できれば、現代文か古文のノートがいい。数学はダメ。記号と数字だから。できるだけ文字が多い、端的にいえば、サンプルの多いノートが吉。
――――――――――と、考えるだけ考えて、一ヶ月。
勇気とは、どこから出てくるものなのでしょうか。物語の主人公は、潔いほど、きれいさっぱり、行動に起こすけど。いや、時間は省力されていて、行動のみを見ているからか。わたしは、じっくりと、最善の好機を狙うタイプだからね。そういう言い訳。マイセルフ。私は私のペースです。
「んんっ、あっ、そ、その、ノート、貸して、くれない、ええっと、その、ちょっと、間に合わなくて、書けなくて。その、いい、かな」
誰だ、この緊張しすぎな女。思春期か。小学生の頃の友達に、いったい、わたしは、なにを身体を硬くして、心臓をドギマギさせて、嫌な汗までかいているのだろうか。
「ん」とか、一言で貸してくれたけど。どうしよう。とにかくゲットを喜んでおけばいいかな。今日、返せとは言われなかった。放課後まで、返すように言われないか、気になって気が気じゃなかった。
まぁ、とにもかくにも。この二ヶ月以上、わたしを悩ませている小学生の頃の自分ミステリーをクリアーにしよう。そうしよう。
しおりとノートを照らし合わせる。ちょうど、『好き』という文字もある。幸運だ。
『好きです』、うーん似ているような気もする。まぁ、可能性としては一番高いわけだし。
なんだか、頭が湧き上がっているように感じる。なにも考えれないような、考えないようにしているような。
ちょっと文字を真似て書いてみる。こう『好き』と。ちょっと違う。ペンをクルクルと回す。あれ、なかなか似ない。
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好きーーーー。
って、なにやっているの。わたしっ! こんな子供の漢字の練習じゃないんだから。『好き』うん、結構似てる。こんな感じで、逆だと、『嫌い』か。ちょい違う。『嫌い』
好き嫌い好き嫌い好き嫌い好き嫌い好き嫌い好き嫌いーーってもういい。
なんで花占いみたいなことをしてるの。あ、でも、このしおりの裏に、『嫌い』も書いておこうかな。なんだか、いい裏表。ふふっ、一人で何やってんだろう。我ながら、同一人物が書いたとしか思えない出来栄え。自己満足。意味のない作業です。『好き嫌いしおり』完成。
わたしは、バカだ。大人はこんなことしない。はぁ。腕が痛い。忘れよう。一人相撲がひどい。
いいじゃない。この言葉が、わたしを好き、とかの意味でも、時効でしょ、もう。どんな意味だったとしても。文字に縛られて生きているわけでもない。人は、現実の時間の中を生きているのだ。そうじゃない。
この件は終わり。本当の、本当に、終わり。ミステリーは未解決。わたしの心の中に沈んでいきなさい。重りをつけれたらいいのに。
行動、完了。停止します。
わたしは、まったく、もう気にしていないので、しおりが挟まっている本を、普通に、教室で読むことができる。もともと、初心に帰るつもりで、この本を読む予定だった。なのに、一枚のしおり、たった数文字に、心を動かされて、冷静さを欠いて、ああ、過去を自分だけが知っているっていいことだ。知られていたら、わたしの心は、干上がって、真っ赤になる。
「の、ノート。次、授業、だから」
片言になっている幼馴染。そうだよね。わたしたちの疎遠になった関係上、それぐらいの言葉がちょうどいいだけで。緊張するのも当たり前。
「の、ノート、ありが、とぅ」
緊張もすこしはほぐれた。ほぐれている。少なくとも、わたしも、同レベルの緊張のはず。あんまり、見ないで。バッグから、ノートを探すわたしを。なんか、近いから。近いから。近いんです。
「その本・・・・・・懐かしい。読んでみてもいいか」
「えっ。うん。いいよ」
あっ。なんか、NOと言えない日本人を素でやってしまった気がする。というか、そんな気安く、本を見ようとするの。わたしもノートを突然、借りてしまったけど。別に、これは、これから、仲良くしていこうという、いじらしい合図というわけではないよ。疑問を解決するために、仕方なしの手段だっただけで。
幼馴染の男の子が、本をぱらっと開けば、どのページに向かって、本が一直線すると思いますか。
アンサー――――、しおりの位置。
別に、しおりの位置に、エッチなシーンとかグロシーンとかがあるというわけではない。ああ、こんなワンクッションを思考にねじ込むのは、まっすぐ考えることをできるだけ避けたいという自己防衛。無意味だけど。
しおり――『好き嫌いしおり』。
幼馴染は、しおりの位置で、ピタリと硬直してしまっている。わたしは、表情を読んで、しおりの意味を再解釈するチャンスをつかむべきだったのかもしれないけど、恥ずかしさで、下を向いて、本当はすでに見つけてしまっていたノートをぐっと持って、沈黙の重みに、じっとりとした時間が長く長く――。
これって、好きに対して嫌いって返したと思われてる。それとも、いや、今、しおりは、『好き』と『嫌い』どっちを上にしているの。どっち、どっちなの。
「借りても、いいか」
「・・・・・・うん」
下を向いたまま、わたしは返事をして、すぐにガバッと起き上がりノートを一緒にリリースした。わたし、汗ばみがやばい。なんで、借りるの。なんで、いったい――――。
その後、今日一日、何にも授業に集中できませんでした。今日って、何曜日だっけ、昼ご飯、何食べったっけ、あれ、いつ帰ってきたの。
わたしの思春期の第二シーズンは、どうも第一シーズンほど落ち着いてはいなさそうだ。できれば波乱は前兆だけで終わってくれないかな。
幼馴染の男の子は、いったい何を考えるのだろうか。好き嫌いと書かれたしおりに。変なやつと思うのだろうか、それとも、かつて自分が書いたしおりで、ビックリしただけ。『好き』と書いた自分に身もだえるとか。なぜ『嫌い』と裏に書かれているか疑問に思ったり。それとも、自分で嫌いとも書いたかもと曖昧な記憶を探っていたり。ああ、もう、なんなの。たかが、しおり一枚、言葉一つに、なに。今まで何年、生きてきたの。
なにもない。なにもないはず。期待すれば、裏切られる。それが、恋愛の自意識過剰な思春期なのだ。小説から学べ。まぁ、小説だと、逆のことを学びそうだけど、反面教師という言葉もあるし。ドラマは、起きづらいからドラマなのだ。
本は、何事も無く、手元には帰ってきました。週末を過ぎれば、幼馴染の男の子は、普通に返してきました。読み終わって、わたしのもとに帰ってきました。おそらく、中に、しおりを格納した状態で。
開く気がおきません。きっと、小学生のときも、帰ってきたこの本を、そのまま、本棚にお返ししたのかな。開かずの本。
まぁ、今回も、別に、わたしは、見て見ぬ振りをできるのだけど。この本を、5年後ぐらいに開いて、ラブレターを見つけるみたいな。――って、だから、妄想。妄想。何もなかったら、どうするの。開けてみたら、空だったみたいなオチ。強欲なものへの教訓。
ええい、ままよ。
真実の残酷さから目を背けるな。女は度胸というものです。
しおり。しおりがある。好き嫌いしおりが――。
『好き』が○で囲まれている。『嫌い』には、特に何もなし。
わたしは、どう解釈すればいいのだろう。えっと、このページが好きということ。でも、挟まれているのは、章の間の空白のページ。好き、まる。これって、もうわたしのことが好きと解釈していいの。というか、これで、そういう意味ではないって言われたら、わたしは人間不信になりたくなるけど。でも、なんで、もっとハッキリ言わないの。単語だけ。前後なし。文脈なし。
しおりを手に取って、ペラペラと手で柔らかさを確認するように。近くで時計のカチカチと動く音がする。
もしかして、恋愛的な意味はない。もしかして、小学生の頃の君が、という意味。開いたおかげで、本は、謎を増やしましたとさ。
あぁ、ダメだ。時間だけが過ぎていく。足りない。言葉が足りない。でも、これって、こういう意味って聞きたくはない。なんか野暮だし。しおりに、ハートマークを書いて、本を新しく貸してみる・・・・・・。それで、また、○をされて返ってきたら、どうしよう。同じところをぐるぐると回ってるだけだ。
わたしの名前が栞や詩織だったら、うん、なんか、いい感じのメロドラマ風の小道具を利用して、求愛とできるけど。栞の語源とか由来とか調べてみるか。でも、小学生なのに、そんなこと知ってるものなのか。
なるほど・・・・・・、道に迷わないように、目印として枝を折っていたことが由来・・・・・・・・・・・・、わたしの名字は、折木・・・・・・・・・・・・うーん、深読みだよね。深読みだと思いたい。
ちょっとここで、思考に栞を挟みます。小学生よ、伝わらないって、背伸びしすぎ。
ずーんと沈んでます。これって、わたしの方から、何かアプローチをしないといけないのでしょうか。それとも、これまでどおりでいいのでしょうか。好きになられることから、思春期が始まるのは、女子のあるあるなのだろうか。好きになってくれる人のことが気になるという。
もう、向こうから、ダメ押しの一手を打って欲しい。そうすれば、わたしも心が決まるような気がするのに。でも、この本のやりとりもなかったかのように、読書、読書、読書。小学生のときから好きで、ここまで来ているなら、いまさら、この数日、数週間なんて、小さなもの、なのかな。
てゆーか、『嫌い』って裏に書いたのは、やっぱし、ダメだったかな。本人は、小学生の頃に告白したつもりが、実は、『嫌い』とも裏に書いていた、と思わせていたとしたら。そこだけは、訂正しておいた方がいいよね。わたしが裏になんとなく書いただけって。そう、そこだけは、訂正しておくのが、礼儀。『嫌い』とも書いていたなんて誤解を過去に持っていて欲しくはない。
よし、ちょっと声をかけて、必要事項を伝達するだけ。
一週間後——。決意と実行には、落差があって、多少は時間がかかるものです。移動教室のときに、いつものように、本を読んで、ギリギリまで動こうとしない彼に、一人忍び寄る。
「あ、あの、ねっ。その、しおりの裏の、その『嫌い』って文字は、わたしが、なんというか、勢いで書いてみちゃっただけ。その、初めは、『好き』だけ、書いてあった、から」
「嫌いは小学生で習わない漢字」
え、そうだっけ。ああ、じゃあ、訂正は、いらなかった・・・・・・。というか、わたしが書いたってバレていたのか。
「それに、好きの反対は、無関心」
うわぁ、なんか、衒学的。読書のしすぎ。ふふっ、あはは。
まぁ、返事はあとでいっかな。とりあえず、少し距離を埋めて、止めていた栞を進めてみようかな。
思春期の第二期は、始まったばかりなんだし。『好き』か『嫌い』かは、まだ先で。
感想一覧
良い点
厨二力全開!!wwwwwwwwwwww
いやぁ、かわいらしいですね♪ ふたりとも♪
こーゆーの大好きです♪
気になる点
幼馴染の男の子Sideも気になってしまいまする〜
投稿者: 漉緒
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2022年 09月08日 12時41分
設定
感想ありがとうございます。
青春のじれったさ、直接は言いづらい心情、誤解、困惑ーー、と一歩進むのにも時間がかかる時期ですね。
一応、女の子sideのみのつもりで書いたので、男の子sideがあるかは、モチベがあれば……。
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雨森ブラックバス
2022年 09月09日 05時06分