頭の回転を落す
スマホとかパソコンで書いていると、いつも思うのが、あまりにも早く書き過ぎていること。
考えたことをそのまま書いているので、書き過ぎているので、常に、流れるようにアクセスの良い言葉を選んでしまう。
そんな時に出てくる言葉は、よく使う言葉、ありきたりな表現になりがちだ。
ふと、止まって作家の味方の類語辞典を開く。ネットサーフィンで設定の確かめを行う。頭がショートして、回転率を上げ過ぎているのを落ち着かせる。
そう、羅列している時には、外国語の言葉は出てこない。思考が高速化しているときは、安きに流れる川のように、簡単な表現に引っ張られている。早いファストな思考は、処理工程を無視し過ぎている。
落ち着け、落ち着くんだ。
きっと、もっと、いい表現がある。もっといい構図がある。もっといい設定がある。
気分は、盤面を読み続ける将棋指しのようだ。
ふと、紙を前にだらだらと書いてみる。ノロノロと遅筆。
堰を止めたかのように、じっくりと流れる血流。
きちんと伏線を回収しているか、時間はあっているか、矛盾はないか。
たかだが、10万字をまとめ切れないのか。
ストーリーを話せているか。
熱を冷まして、ゆっくりと確認する。テストを提出する前の再確認。文字が多いことがいいことではない。文字数の魔力に引っ張られそうになるがーー、岩波の詩集でも引っ張り出すか。
全ての文字は流されていく。
覚えられている一行もなく。
絵画のように力強く。
焼き付けられる、一文を。
客観的に、あまりにも過剰さに満たされないように、クールヘッド、but,ウォームハート。
音楽家が、熱意を持って、静かに奏でるように。
筋力や瞬発力の勝負ではなく、柔軟性と正確性。しなやかにピンと張った弓の弦のように。
一つ一つ点を結んでいく。
複雑な模様ができる。鋭い直線、滑らかに曲線。
曼荼羅の調和。
全ての燃えるような感情を包み込んで溶かしていく。
メロディの中に溶けていく。
運動の中に静止がある。
絵画のような閉鎖性。音楽のような解放性。
完結と余韻。
指が思考しているのではない。
思考するのは、頭脳。
だから、何度も確認作業が入る。
指が間違う。指が踊る。勝手に動いてーー。訓練された指ならば、それでも上手く演奏するのだろうが、自転車に初めて乗る少年のように、全ての動作が無意識に任せられない。
奇妙な文章、不自然な文章、矛盾した文章、重複した文章、使いすぎの文ーーーーーーーーーーーーーー。
頭の沸騰を鎮めて。
さあ、考えろ。
制約の中で、踊る。鎖をかけられた状態で音を立てずに踊る。
流れていく川をーー。
荒馬の手綱を。
相対化し、客観化し、キャラの人生を見つける。
キャラは僕じゃない。
キャラは、一つの他者だ。
違う人生ーーそれは、まさしく人が生きるということ。
他者の苦悩。他者の行動。
きっと彼女ならば、こう言うな。
昔の僕なら、こう言うな。
モデルーー。
キャラモデル。
ストーリーモデル。
水泡のような言葉の群れ。
思考の癖。
また、同じ言葉を使っている。また同じキャラを用いている。また同じストーリーを奏でている。
もっと自作を批判し続けなければ。自分の作品を相対化して、離して見なければ。
使われてない語彙は何か。
使い慣れてない表現はないか。
自分の自動化プロセスが、機械のように文字を打っているだけではないか。小説という體をなす。
文字に支配されていないか。文字を操っているのか。
口が動いてから、思考が動いていないか。
ゆっくりと聞いているか。
反応的になっていないか。反射的じゃないか。
文を織る。
文を結ぶ。
文の技法の一つ一つを意識する。
まるで文法書のように。
キャラが勝手に動くのはいいが、文字が勝手に動かれるには困る。文字の暴れを止めて、制御しないと。
そう、それは作者が欲しがっている文字じゃないから。もっと岩盤の底にある、ゴミ山の底にある、埋もれている小さなカケラを探している。
自然な思考回路から外れたピースを。
頭を冷やした時に出てくる言葉を。
ネット上のコメントには出てこない言葉を。
透明で、動いていることがわからない言葉を。
遅い弾丸を。




