語り口
小説に限らず、あらゆる映画やアニメや劇でも、最も注目が集まるのは、ストーリー、物語だ。
「あのストーリーは良かった」
「ストーリーが駄作だ」
「結局、こういう話でしょ」
「よくみるストーリーかな」
まあ、感想とかあげる時も、まずはストーリーの話をするのが常だろう。
しかし、小説家というものに、なってしまってみると、まあ、しがない底辺作家であっても、ストーリーそれ自体よりも重要に見えるものが出てくる。
キャラ?
世界観?
いえ、物語の語り方です。
ありていに簡略化すると、プロットとも呼べます。
伏線、情報をいつ開示するか。
《物語の魅せ方》とでも、呼べるものです。
同じ物語でも、語り方ひとつで、面白くもつまらなくもなりますよね。
ストーリーテリングもしくはナラティブとでもいう技術です。ミステリーでも恋愛でもハラハラさせるためには、どうなるのか分からないサスペンス状態を保つ必要があります。その時、バシッと言葉を書き過ぎると、ストーリーは変わらないとしても、聴いている側、読んでいる側は、続けて読む気が失せてきます。
こうストーリーを宙吊りのような不安定な状態で持っていきつつ、ラストまで、どうなるんだろうと思わせる語り方が、物語の内容よりも、重要である時は多い。
読んでしまったあと、見てしまった後では、なーんだ、と感想を思ってしまっても、それまで続いて読ますことができる能力は素晴らしいものです。
『ひぐらしの鳴く頃に』とかは、謎が明らかになれば、ああ、そういうこと、ですが、かなり見せ方は素晴らしい、『ルートダブル』も、『シュタゲ』も。
全てが明らかになり、伏線が回収され、何が起こっていたのか分かるというのはミステリの魅せ方ですね。
恋愛小説だと、揺れ動く心情を、やきもちする感じを、与える必要がありますね。ライバルキャラの存在、家同士の障害、という実際的なものから、過去のトラウマや恋愛下手同士とか、登場人物の性格や考え方によるぎこちなさ。
まあ、物語の語り方を、プロットだけに還元するのは良くないですね。プロットは、時系列の入れ替えや視点の変更とかで、ストーリーを並べ替えるものなので、語り方よりも、もっと限定的ですね。(プロットやストーリーの定義は、色々と定義の仕方があるでしょうが)
葬式→回想シーン→現在
と単純に時系列を動かすことがプロットだったとしても、こうなると、語り方そのものも変わらずにはいられない。真っ直ぐ、現在だけで書くと、回想のような語り口が割り込む隙はないわけだ。
まあ、回想や過去は、少年漫画でも人気が落ちるし、なろうでも、やらない方が良いと思うけど。なろう小説は、現在の時間軸を中心にした方が良いですね。まあ、回想になると、結果がわかっている時が多いので、ハラハラ感が薄れるので。
情報の開示の話も、もう少し詳しく載せておこう。
情報の開示というと、読者への開示と登場人物への開示の二つがありますね。
『読者が初めて知る時』『登場人物が初めて知る時』、が一致するかどうかは、書き方によります。
時系列移動、視点変更を巧みに操れば、かなり、面白くなりますね。まあ、やり過ぎると、叙述トリックの方にいく可能性もありますね。
『どうして、裏切ったのか』みたいなのは、主人公視点に構えていると、読者も、【なぜ】となって面白そうですね。
読者は知っているけど、登場人物は知らないというのは、スパイや悪役の計画とかを、他の視点で書いておけば、できますね。サスペンスですね。テレビとかだと、良くみますね。
ストーリーテリング、ナラティブ。
物語る仕方を変えるということ。物語をどういう切り口から見つめるか。
つまらない今日あった出来事でも、相手に面白く聴かせる技術。どこから話初めて、いつオチを開示するか。
恋愛とかだと、《出会い》《知り合い》《気付き》とかで、何かの隠していたことに気付いたり、相手から何かを告白されたりして、動き出す。
《気付き》の描写の語り方ひとつで、良くも悪くもなる。《気付き》は手遅れのもあれば、対決を強いられるものもある。まあ、どのみち、それに対する《行動》が生まれるわけだけど。
ヒロインと出会い、仲が良くなったら、幼馴染に好きだと言われーーと、ありきたりにストーリーだけ抽出しても、語り口はそこまで見えては来ない。
語り口とは、描写の仕方も当然含んでいる。いや、描写そのものでもある。描写が情報を伝える手段なのだから。ヒロインの仕草や主人公の心情まで、ありとあらゆる情報は描写、説明、セリフの三竦みだ。
ん、となると、物語を語る仕方は、もはや全ての技術の複合体のようにも思えてきた。というか、実は小説そのものか。
どうやって話を紡ぐか。
読者でいると、その話から、ストーリーとかキャラとか世界観とかを抽出しているわけだ。本体からある一定のブツを取ってきている。ストーリーなる原寸大の何かが、そのままあるわけでもない。
ストーリーは語り方の中に埋もれている。読者は、自然とそれをスコップしている。キャラのスコップは、もう少し意識的にスコップしている。世界観になると、なかなかスコップしづらく、全体から薄く取っていく感じ。
プロットのスコップは、意識的にするのは、かなり努力する必要がある。まあ、文学作品やミステリだと特に。プロットの全体像を把握したければ、全部を引き伸ばして、入れ子構造や時系列の並べ替えを広げてみるしかない。それに、情報開示と伏線の場所を理解していく必要もある。骨が折れる考察になるに違いない。暗号解読に近いなぁ。
まあ、しかし、物語の魅せ方を、大きく取ることができるといっても、もっと演出というか、魅せるというものに焦点を当ててみたい気もする。
底辺作家が深海ぐらいにいた頃はーー。
「その時は、まだ誰も知らなかった」
「彼は、その言葉の意味を知ることが遅すぎたことを後悔することになるのだった」
みたいな神視点の、なんかよくわからないナレーション風の言葉を書いとけばいいか、と思ったものだ。なんだか雰囲気出ている感があるじゃん。
こういうのも決まれば面白いですけどね。
書籍化作品にもこういう書き方を入れているものはある。
「いずれ2人は戦場で再開することになる」みたいな未来の予言的な文の挿入は単純に思いつく魅せ方ですね。
まあ、一番問題なのは、心情描写をどう魅せていくのか、という問題だ。単純に、綺麗だった、とか、怒っていた、と一文字だけ書くのは語彙力的にもナンセンスですけど、無駄につらつらと繋げればいいというものでもない。
感情が動いているのが分かるように描写しないといけない。
語り口と言った時、視点や時系列とかは分かりやすいものだが、心情を、どう切り取っていくか、となると、???となってしまう。
ほんと、なにも言わないんだから。
なんで怒ってるのか理解しているのかしら。
って、どうして、また、あんなやつのこと考えてーー。
とか、拙い文を書いてみる。
怒りの対象への心内文をパッと書いて。
その対象への文句のような文を書いて。
自分に対する省察の文へと移って。
まあ、こんなこと考えながら、書かずにノリで書く人も多そうだけど。ノリで書くと、どこに行ってんだが、と四方八方に心情描写が、飛んでいくタチなんですよねー。ある一定度の感情の方向性が保てない場合が多いし、書きすぎてしまう時も出てくるので。
いくらか、こういう心内文や心内会話を書いて、説明的な文や行動の描写へ変更して、と考えてーー。
こういう心情描写を書きすぎると、恋愛だと、もう終わりは決まっているだろう的な感じになり過ぎる。絶妙に匂わせる描写をしないと、いけないんだろうけど、いまだに良く分からない。
このギリギリを攻めるジリジリ感が、上手いよなぁ。ラブコメとかどっちにくっついてもいい、と思うし、それはやはり、両ヒロインが拮抗しているからなんだろう。
まあ、一強のヒロインだと、また魅せ方が変わってきますが。
同じ物語でも、語り方で変わるということ。
《なぜ》で引っ張るミステリ。
《ハラハラ・ドキドキ》で引っ張るサスペンス。
《どっちつかず》で引っ張る恋愛。
引っ張ていくーー最後まで読んでもらえるように。まあ、先延ばしというか、引き伸ばしという技術にも応用されやすいですけど。
描写が上手く決まれば、不安定な物語の現在性が出てくる。全てを決めてしまっていると、物語の現在性を忘れてしまう時がある。キャラが動き出さずに、なんだかルートがあまりにも固定されているような。
踏み固められた生い茂った中の山道のような薄らとした道で、案内されている時に、心は踊るのかもしれない。真っ直ぐ開けすぎた道は、途中で歩みを止めやすく、集中を欠けやすい。居眠り運転を誘発しかねない。
日常の体験も、見方を変えれば、語り口を変えれば、面白くもなるしつまらなくもなる。
「今日は弁当じゃあないんだね?」
「寝坊したから」
「夢の中では作ったんだけど」
「二次元の嫁が起きてなくて」
「目覚ましの機嫌が悪くて」
「馬鹿には見えない弁当なんだ」
「弁当のやつが、机から落下したせいだ」
「炊飯器が仕事をしてなくて」
まあ、これは語り口というより、セリフ遊びの部類ですけど。
語り口を見ていると、やっぱり、言い切らないことは、小説の描写では重要ですよね。それは、最後の描写のシーンに持っていって盛り上げたいということなのだろう。
恋心に気づくシーンとかも、淡く描かれるわけですね。