雪だるまが溶ける前に スノウシスター
「信じていれば、いつか夢は叶う」
アニメの言葉ーー。
わたしは、自分の部屋で一人、絵ぞらごとのアニメを見ていた。簡単に病気が治ってしまう世界は、まるで魔法のようで、わたしには遠い世界だった。
徐々に動かしにくくなる身体、今のうちに外に出ておかないと。もう歩けなくなるのだから。
でも、わたしは、なぜか、外に出たいという気持ちがなくなっていた。
お姉ちゃんは諦めたのか、外出しようとしないわたしに何も言わなくなった。
「もう、いいかな」
最終話を終えて、ハッピーエンドのエンディングが流れている途中で、テレビを消した。
わたしは、立ち上がる。足の骨からパキパキと嫌な音が鳴る。痛みは少し。まだ何も大丈夫。他の人に聴こえていないか心配だ。気体より固体の方が音を伝える速度が速いと、調べたことがある。だから、大丈夫だよね。
外を見ると、雪が降っていた。白い世界。窓に近づき、道路を見ると、道路にも積もっていた。この町は、よく雪が積もる。
けど、最後に遊んだのは、いつーー。
お姉ちゃんと雪だるまを作ったのを覚えている。
わたしは、なんだか、雪遊びをするのも悪くないな、と思った。
わたしの夢ってなんだろう。
もう、夢なんて病気が治ることに塗りつぶされて、忘れてしまった。
病気が治ったらーー、そんな仮初の夢に。
ひさびさの外は、肌寒い。わたしは防寒をバッチリ決めたかったけど、重過ぎたのでやめた。代わりに、お姉ちゃんの学校の制服を着て、その上に、ダッフルコートを重ねた。
レインブーツが作る足跡が楽しい。わたしの脚は、まだ動く。サクサクと、真新しい雪を探して、足跡をつけていく。砂浜の足跡と同じように、いずれは消えていく運命のーー。
コンビニ、商店街、ドラッグストア、踏切ーー、町は、全然変わっていない。わたしが外に出ていない間にも、何も変化しない。
わたしは、コンビニで少し買い物をして、近くの公園で一休みすることにした。
お昼前の公園には、人はいない。まだ雪が降っているし、平日だ。みんな学校に行ったり、働いたりしているのだろう。みんな、忙しなく、動いているんだ。
公園の屋根付きのベンチで、ぼんやりと雪を眺めていた。コンビニの袋から取り出した肉まんを食べて、過ぎていく時間がないように、感じながら、ただ雪の白い風景を見ていた。
「おっ、お前も遅刻か」
後ろから声をかけられて、わたしは振り向いた。
男の子がいた。わたしよりも背が高くて、茶髪に染めた髪、制服も上のボタンを開けてーー。
「……寒くないんですか?」
夏服だった。お姉ちゃんと同じ学校の男子の制服。
「うちの親が、男子は冬の寒さに負けるもんじゃないってな。まあ、家の布団で眠りすぎたせいだが」
それでも、ボタンは開けなくていいですよね。
男の子は、わたしと同じようにベンチに座ると、身体を擦り始める。
「わたし、遅刻じゃないですよ」
「はぁ、そのスカート、うちの制服だろう」
「これは、お姉ちゃんのです」
「ーーなんだよ、同類がいるかと思ったら、コスプレ少女か。いや、どっちにしろ、中学生か、まあ、もしかしたら、もしかしたら、高校生だろ」
「高校生ですっ」
ほんとうは、高校生なんて呼べない。
でも、みんな、年齢よりも、小学生、中学生って、そうやって自分や他人を認識していく。わたしは、ただの15歳で、一応、高校生だ。一度も、学校に通うことのない、席のない高校生。
「なんだ、てことは、やっぱりーー」
「遅刻じゃないです」
「サボりはいかんぞ」
この人は、どの口で、こんなことを言うのだろう。今から行っても、三限目の途中のはずなのに。
遅刻って、そこまで許されるものでした。学校に行ってないわたしでも、三限目から出席はおかしいと思う。遅刻の範囲からズレていそう。
「サボりでもないです」
「はぁ、だったら、なんだっていうんだよ」
「仮病です」
仮病。いい言葉です。
本当に、仮病だったら、どれほどいいんだろう。
「やっぱり、サボりじゃないか」
「いえ、これから風邪をひく予定なんです。あなたも、その予定ですよね」
「ーーなるほど、ナイスアイディアだ。ーーええっと、誰だっけ」
どうやら仮病仲間ができたようです。この雪景色に、夏服の少年と防寒がダッフルコートだけのわたし。
「宮野です」
「名前は?」
「教えてあげません。サボり呼ばわりする人になんて」
「お前、ホントに高校生か。なんだか、うちの妹を相手にしている気分になるぞ」
「わたしは妹ですから、妹らしくしていいんです」
「ああ、そういえば、お姉ちゃんの制服って言っていたな。お姉ちゃんはなんて言うんだ」
「宮野です」
「おい、こら。それは分かってるんだよ。下の名前を言えよ。じゃないと、コスプレシスコン少女って呼ぶぞ。というか、その制服、うちのだし、うちの学年で宮野って言えば、麻希しかいないが」
「ーー……その人は、わたしのお姉ちゃんです」
「ああ、やっぱり。少し似ているところあるもんなぁ」
「お姉ちゃんに、ちょっかいかけてるんですか」
「してねーよ。宮野は、おっかないからな」
「おっかない?優しいお姉ちゃんですよ」
「気が立ってるのか、最近、やたら怒ってる表情なんだよなぁ」
「ストーカーですか。あと、あなたの名前を教えてくれません」
わたしはコンビニで買ったノートを取り出す。
「安心してください。名前を書かれても、別に何も起きませんから」
「そんな心配はしてないが。まあ、いい。京也だ」
「名前は?」
「名前が京也だっ!分かるだろう、一条京也」
「一条京也さん。あとで姉に詳しく聞いてみます」
「おい、何もしてないからな。ただのクラスメイトだ」
「でも、話すことはあるんですよね」
「ああ、まあ、たまにな」
「お姉ちゃん、楽しそうですか。学校で」
「どうだろう。あんまし、笑ったところとかみないけど。でも、そんなの学校に行けば分かるだろう。あ、いや、学校は違うのか」
「そうですか……、そうですよね」
「っと、バカ話は終わりだ。俺は学校行くから。自分の学校行けよ」
京也さんは、雪の中を、場違いな夏服で走っていた。隣に座っている間も、かなり寒かったのだろう。あんな服装だと、ずっと動いていないと、すぐに凍ってしまうよね。
でも、京也さんか。
面白い人だったなぁ。
そうだ。
お姉ちゃんの知り合いみたいだし、最後に恋のキューピッド役でもやってみようかな。
お姉ちゃんの彼氏と一緒に3人でデートして、それから、それからーー、ハッピーエンドにはちょうどいい。
でも、まずはお姉ちゃんがどう思っているか、確認が先かな。
わたしは、コンビニの袋を見つめる。
2つの洗剤が、その中には姉妹のように仲良く入っている。
変えられない運命と、変えることができそうな運命。
「瑞希、今日、外出したの?」
お姉ちゃんが家に帰ってきて、晩御飯の支度をしている。炒め物のいい匂いがする。
「うん、お姉ちゃんのクラスの面白い人に出会ったよ」
「京也ね。あいつ、ミズキのこと、コスプレシスコン少女って言ってたわよ」
そういえば、結局、名前を教えていなかった。でも、それを定着させないで欲しい。そんな憶えられ方されたくないなぁ。
「お姉ちゃん、その人のこと、好き?」
「は、ハァ!?」
手元が狂ったのか、炒め物のピーマンが床に落ちた。
「ミ、ミズキ、なに変なこと考えてるの。わ、わたしは、そういう浮いた話に興味はないの」
うん、意外と好感度が高そう。まあ、わたしも気に入りそうなタイプだったし、お姉ちゃんもそうなのだろう。面白い人だったから、きっと学校でも人気はあるのだろう。
「だったら、わたしがもらっていいかな」
冗談だ。そんなもらえる身体じゃない。
それにもらってくれる身体でも。
「だめよ。あいつはね、ミズキにふさわしくないから。バカだから」
「バカなんですか」
「夏服で登校してきても風邪がひかない程度にね」
あきれた調子で言いながらも、姉はなんだか楽しそうだ。そんなお姉ちゃんの姿を見ていると、わたしも嬉しくなる。
「ねえ、お姉ちゃん、ほらデートしたいって言ったことあったでしょ」
そう、恋愛映画を観たあとだった。あの頃は、なんだか最後に大恋愛でもできたらいいなぁ、なんて思っていた。今は、どこか達観していて、少しずつ気づかれないうちに消えていく…ことに憧れている。
誰にも覚えられず、消えていけたらいいのに。とくに、お姉ちゃんが、わたしを忘れてくれたらいいのに。
「言ってたわね。そんなことも。それで、まだ恋愛は早いって言ったかしら」
「そう、でも、そろそろ十分に恋愛できそうじゃない」
まあ、身体は中学生に間違えられそうなメリハリのないボディなんだけど。こればかりはどうしようもない。
「ミズキ、デートがしたいの」
「うん、お姉ちゃんと一緒に。ダブルデート」
「ダブルデートって、私もあなたも相手がいないのに」
「京也さんを間に挟んでーー」
「あいつをー。ミズキ、ずいぶん気に入ったのね」
「運命ですから」
そう、運命だから、決まったレールを進んでいく。なにが起ころうとも、脱線しない最悪なレールを。
「おいおい、両手に花じゃないのか」
「ええ、ミズキはコッチ」
わたしたちはお姉ちゃんをはさむ形で、商店街を歩いていた。日曜日の商店街は、人通りが多い。活気があるところを歩くのは、本当に久しぶりのことだ。
「でもなぁ、マキと歩いているところなんて、クラスメイトに見られたらーー」
「あら、何か困ることでもあるの」
お姉ちゃんが、楽しそうに京也さんと会話している。やっぱり二人は息が合っていそうだ。
わたしは、二人の他愛もない話を聞きながら、ついていった。
新しくできたタピオカの店によったり、ゲームセンターで遊んだり、こうしていると、なんだか普通の高校生みたいな気分になってくる。
こうズキズキと足元が痛くならなければ、もっといいのだけど、やっぱりお医者さんにもらった鎮痛剤でも、午後になってくると痛みは増してくる。歩くのが少ししんどい。
「ミズキ、少し座ったらーー」
はしゃぎ過ぎているようだったわたしにお姉ちゃんは、そう言ってくれる。でも、今日だけは、普通でいたい。
「大丈夫だから」
「いや、俺はもう歩けん。少し座ろうぜ」
ドカッと豪快にベンチに座り天を仰ぐ京也さん。だから、わたしもアーケードに設置されているベンチに座ることにした。休むならコーヒーでも買ってくるわ、と言って、わざとらしく離れていった。
「京也さんは鍛え方が足りませんね」
わたしはそんな冗談を言いながら、ほっと一息ついた。商店街の人通りは、まだまだ多い。誰も彼もが自分のことだけを考えているように、足早に移動していく。目的地があるのかないのか、それも分からない。
「ミズキは、足が痛むのか」
「仮病です。ほら、ヒールや下駄で足を痛める少女って、なんだかドラマチックじゃないですか」
「なんだ、俺におんぶでもされたいのか。商店街でおんぶされたら、かなり目立つぞ」
「いやらしいです。でも、そういう時は、お姫様抱っこが基本ですよ」
「どこの基本だよ」
「乙女の些細な夢です」
「安っぽい夢だ」
「はい、安上がりです。でも、夢は一つとは限りませんよ」
「なるほど。でも、お姫様抱っこは、俺には無理だな。重そうだし」
「軽いですよ。鍛え方が足りないからです」
「はいはい、ミズキを持ち上げれるくらい筋トレしておくよ」
「はい、よろしくお願いしますね」
「なんの話しているの」
お姉ちゃんが、コーヒーを二つ持って帰ってきた。
「なんで二つ?」
「え、京也も飲みたかった?」
「おいおい、普通、3人いたら、3人分だろう」
「ごめんなさい。コーヒー飲めると思ってなくって」
「この姉妹は、二人揃って、イタズラ好きなのか」
「冗談よ。コーヒーは私とあなた。ミズキは、これでしょ」
お姉ちゃんはそう言って、カバンからペットボトルの紅茶を出した。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「コーヒー飲めないものね」
「飲めます。ただ苦くて好きじゃないだけで」
お姉ちゃんは、わたしと京也さんに、それぞれ飲み物を渡して、二人の間に座る。
「それで、何の話をしていたの」
「聞いてくださいよ、お姉ちゃん。京也さんが、わたしのことを重いって」
「ミズキは軽い方だと思うけど。むしろ軽過ぎて心配になるくらい」
「でもお姫様抱っこするのは難しいだろう」
「京也、あんた、人の妹になにをするつもりなの」
その後、京也さんとお姉ちゃんの不毛な言い合いを、聴きながら、わたしは紅茶をゆったりと飲んでいた。
デートの最後は、あの公園だ。わたしと京也さんとが出会った運命の公園。運命ってつければ、少しロマンチックな気がする。ただ、それだけーー。
「ミズキ、公園で何するの?」
「雪合戦です」
「おいおい、さすがに、俺はもうバテてるって。もっと楽なのにしよう」
「じゃあ、雪だるまで、諦めます」
「よし、雪だるまだな」
「京也さんは下の部分をお願いしますね。お姉ちゃん、大きな頭作ろう。下の雪玉を潰すくらいの」
「この姉妹は。見てろよ、俺の雪玉に、ちょこんと小さい頭を乗せさせてやるからな」
「あはは、楽しみにしてますね」
わたしとお姉ちゃんは二人で一つの雪玉を作って、転がしていく。思うように転がらない雪玉を、どうにかゴロゴロと太らしていく。
とても懐かしい気がした。子供の頃はよくこうして二人で遊んでいた。何も気にせずに、また明日もお姉ちゃんと遊べるんだって。
「ミズキ、どこまで大きくするつもり」
「まだまだです。負けられません」
「勝負じゃないのに」
お姉ちゃんと一つの雪玉を作っている。こんな機会、もう二度とないかもしれないから。いつまでも、いつまでも、ずっとこの雪玉を転がしていたい。それこそ、この町の雪が全部なくなるまで、永遠に。
「おーい、そろそろ、合体させよう。って、大きいな。これは俺のやつを上にした方がいいか」
「ふふん、まだまだですね。京也さん」
「でも、京也のも、持ち上げるの、大変そうよ」
「……」
二つの大きな雪玉を前に、三人とも固まっていた。
「京也さん、鍛えているし、大丈夫ですよね」
「いや、これは無理だろ。別にもう一個頭を作った方がいいな」
結局、雪玉を新しく二つ作って、二体の雪だるまが完成した。目や鼻を木の枝や木の実で、顔を描いた。あまりちょうどいいものがなかったから、不恰好だ。でも、そういうところがなんだか可愛い。
車椅子になった。
もう足はわたしの思うようには動かない。神様は意地悪で、こんな状態のわたしを生かしている。いっそ、身体全身を蝕んで、天国にまで連れていってくれたらいいのに。
胴体だけのない雪だるまのように、中度半端に残っている。
お姉ちゃんは、全然気しないように、車椅子を押して、わたしと出かけてくれる。
だから、お姉ちゃんのことが大好きで、わたしはわたしのことが大嫌いだ。
商店街。こう車椅子になってみると、なんだか全体が大きくなった気がする。
「京也さん、遅刻してない?」
「トントンね。朝が弱いのよ。もともと、暖かいところで育ったからね。布団から出たくないとか、子供よね」
「でも、分からなくもないよ。外に出るのは、勇気がいる」
「そんな大層なもんじゃないわよ。サボりよ、サボり」
「結局、お姉ちゃんと京也さんはくっつけられなかったなぁ」
二人とも、お互いのことを悪しからず思ってそうだったけど。
「ミズキ、そんなこと考えていたの」
「恋のキューピッドをやってみたかったんだけど。途中から、遊ぶのが楽しくなって」
「しょうがないなぁ、ミズキは」
恋のキューピッド役は、なかなか難しいみたいだ。他に何かできたらいいのだけど。今からでも、何か、最後に。
「お姉ちゃんは、何か夢とかないの。ほらお嫁さんとか」
「ミズキって、乙女よね。わたしは、そういうのないけど」
「ラブロマンスは、面白いのに」
「わたしは、ミズキと一緒にいれたら、それで十分よ」
「お、お姉ちゃんーー、それは、なんだかシスコンすぎない」
わたしは、少し涙が出そうになっていた。幸い車椅子を押しているお姉ちゃんには見られない。溢れなければーー、わたしは袖で自分の顔を拭う。
「そっかそっか、お姉ちゃんはわたしのことが大好きなのか」
冗談めかして、言っていると、堰が切れそうだった。
「なにそれ、たった一人の妹なんだから、当たり前でしょ」
「も、もう、お姉ちゃん、ストップ。ストップ。わたしを誘惑しても何も出ないから」
そう言って、顔を伏せているとーー。
「おいおい、何泣いてんだよ。お姉ちゃんが妹を泣かすもんじゃないだろ」
京也さんの声だ。この人は、今も薄着だ。まあ、季節として、問題はないけど。
「わたしは泣かしてないわよ」
「おー、よしよし、抱っこしてあげようか」
わたしと目線を合わせて、赤ん坊をあやすかのような態度。いつものふざけた京也さんだ。わたしが足が動かなくなっても、彼の調子は変わらないようだ。
「京也さん、お姫様抱っこしてくださいよ」
ふふん、わたしをいじめる仕返しです。
「えっとーー泣いている少女を、ここで」
「はい、わたしの些細な夢ですから」
些細な夢。
うん、きっと、これでわたしには十分なんだ。
思えば、大きな夢を描いたことはなかった。
ただ、お姉ちゃんと一緒にいられたら、心は満足していた。
できないことが増えても、二人でいれたら。
お姉ちゃんが幸せだったら。
「なに、ミズキ、こっち見て笑ったりして」
「ううん、わたしは幸せものだなぁって」
お姉ちゃんと姉妹なんだっていうことが、わたしの一番の大切なーー。