一日一悪同盟
「一日一悪っ!」
学校近くの河原で、立ち上がった沙織が高らかに声をはった。あたりはオレンジ色に染まっていて、カラスの鳴き声が、彼女の言葉の余韻につづいている。
「なに、それ?」
いちにち、いち…あく?
聞いたことない言葉だ。
ーー思えば、そもそも沙織と今、こうして話していること自体、一度もなかった状況だ。優等生で通っている私と、素行が悪くてよく注意されている沙織。
これもそれも、陸上の練習で足首の怪我をしたせいだ。手持ち無沙汰ーー、そう、放課後の時間をどうすればいいのかも分からず、河原でぼんやりしていたから、沙織に目をつけられたのだ。
「志穂は、真面目すぎっ。だから、悪いことしよ」
「やだよ」
悪魔の囁きだった。不良生徒が、優等生を悪の道に誘いこもとしている。教師や両親に言われなくても、自分でもそう思った。
まあ、悪魔は悪魔でも、小悪魔みたいだけど。
「えー、そんな制服なんて真面目に着て。一年生でも、もうすこし崩してるじゃん」
髪は茶髪でパーマをかけて、スカートは短い。バックにも、色々と小物のアクセが付いている。爪にもネイルを施してーー。
三年生でも、ここまでやる人はいない気がする。
うちの高校は、黒髪限定で、黒染めを強制するし、スカートも膝下10cm。ネイルなんて校則には書いてないだろうけど、普通に禁止だ。
「ほら、ちょっとリボンをゆるめて、ほら可愛いよ」
「自分じゃ、分からんないよ」
そういうと、沙織は、手鏡をカバンから取り出す。
長めされたリボンはブラブラと締まりがなく思えた。これが今時の可愛い?
私は首を振った。
「ええ、イヤか。じゃあさーー」
その後も、河原で沙織に制服ファッションをいじられた。なにが面白いのか分からないけど、沙織は生き生きとした表情で、私の服を無防備にしていった。
だから、しまいには、わたしもなんだか楽しくなって、気づけば沙織の髪をさまざまにアレンジして遊んでいた。
「私、悪いことしようって言われた時、ピンポンダッシュとか想像してた」
「いつの時代の人なの、志穂は」
沙織の呆れた声。
今は、もう足首のギブスは外れている。そして、近くのショッピングモールのフードコートに来ていた。寄り道というものだ。
今日は、授業によく遅れてくる沙織に、勉強を教えている。なんだか不思議だ。学校や家で教えればいいのに、こうしてわざわざ制服姿で、雑然とした場所で教えているのだから。
まあ、足首を怪我していた時に、よく手伝ってくれたお礼というやつだ。別に一緒にいたいとか、そういうのじゃないんだけど。
「どう、ポテトジェンガ」
沙織が、ポテトをやぐらのように積み兼ねていた。わたしは躊躇なく、一番下の一本を引き抜くと、ポテトジェンガは、たわいもなく崩れた。
「志穂、そういうゲームじゃないんだけど」
「ふへ、倒したらいいんでしょ」
くだらないことを思いつくものだ。以前の私だったら、食べ物で遊ばないとか言っただろうか。
それにしてもポテトを食べながら勉強って、やりづらい。手に油がつくしーー。
「志穂は、部活はいいの?」
「ん、んー、どうしようと思ってる。もう受験勉強に集中しようかって」
まだ怪我が完全には治っていないとして部活を休んでいるけど。戻るなら、そろそろ戻られないといけない。
「やめるの。ちょっと早くない。ほら、青春の最後のスプリントがあるんじゃないの」
「私、持久走なんだけど。というか、沙織、スプリントの意味知らないでしょう。また、ニュアンスだけで話して」
「いいじゃん。なんかかっこいいし。大会で走ってる志穂も見たいなぁ」
「煽てても何も出ないから。ほら、今は勉強しよう」
「はーい、志穂先生」
そこからは、しばらく真面目な勉強が続いた。あたりは、同じような学生服の生徒もいるけど、黙々と勉強しているのは、私たちぐらいだ。
真面目なんだか不真面目なんだか。
「この公式ってなんでこうなってるの?」
「証明なかった?まあ、そんなことより暗記してしまえば、問題は解けるけど」
「えー、気持ち悪くない、それって」
「沙織って、面倒なことに頭使いたがるね。みんなよく分からずに、解いてると思うけど」
「たぶん、それ無理。ほら世界史とか覚えられないし。ああいう、言われたものを、そのまま暗記って苦手なんだよね」
沙織は、手を止めて、ストローに口をつけてコーヒーを飲む。なにも入れてないブラックを飲んでいるのは、不似合いな気がした。もっと甘いものを飲みそうな印象だったから。
「まあ、仕方ないよ。受験のためって割り切るしかないよ」
「沙織って、結局真面目ちゃんのままだよね」
「自分では、結構丸くなったと思うけど。それと、真面目ちゃんってやめてよ。なんだか、不快だから」
「生真面目ちゃん」
「さぁ、おーりーー」
「おー、こわっ。ポテトあげるから許して」
そう言って、ポテトを掴んで、わたしの口に近づける。もう、とっくの前に、萎びていて、重力に負けきってる。わたしが、その長方形にされた力ないポテを見ているとーー。
「でもさ、規則とかルールとか、面倒だって思わない」
「それと、勉強は別でしょ」
「ふーん、別なんだ。ねえ、なんで受験勉強しようとするの」
「だって、必要だから」
今更、なにを言っているの。高校受験して、進学高に来たのは、良い大学に入るためじゃないの。
「必要、なの。なんでーー」
なんでってーー、それは、大学にいって、いい会社に入ってーー。
それからーー。
わたしの中で、どこにも行きつかない反芻がめぐり始める。堂々巡りというか、定型句というか。誤魔化しのような、でも、どうしようもない思考が。
考えたくないからーーそう言いたくなる。なにも考えずに楽に生きたいから。ううん、責められたくないから。レールの上を規則通りに進んで、問題を起こさずに。
「意地悪。ごめんごめん」
そう言って、沙織は、自分でポテトを食べる。
「冷めると、やっぱ、まずいよね」
苦笑して、沙織は、また問題を解き始めた。公式の導出から始まる長い式が続いていた。
わたしは、職員室に呼ばれていた。別に何か問題を起こした覚えはない。きっと沙織との関係について聞かれるのだろうと、漠然と予測を立てて、気持ちを落ち着けて、職員室へと入った。
担任の教師と話すと、ソファのある奥の部屋に行くことになった。
「志穂さん、あなた、沙織さんと仲が良いみたいだから、頼みたいのだけど、沙織さんに大学受験をするように説得して欲しいの?」
なんだろう。予想外というか、いや、沙織のことなのはあっていたけど。
沙織、受験しないつもりなんだ。
「それは、何か問題があるんですか」
沙織が受験したくないなら、それはそれでいい気もする。進学校としては、全員を大学に行かしたいのかもしれないけど。なんだか沙織らしいような気もする。
「普通の生徒ならいいんだけどね。沙織さんは、成績はトップだから。いい大学に入るように、あなたからも言ってあげて欲しいの」
ん?
トップーー。貼り出された成績の掲示板で名前を見たことはなかったけど。
「あら、志穂さん、知らなかった。あの子、模試とかは、いつも学年でトップだったのよ。学校の試験は適当に受けていたようだけど」
わたしは、自分より頭のいい人に教えてたのか。沙織も、そうならそう言ってくれたらーー、いや、言わないか。沙織のことだから。
でも、なんだか悲しい。嘘をつかれたってことはどうでもいいけど。沙織が遠くにいて霞んでいるようなーー。
肝心のことはなにも言わない関係ーーただの友達。そもそも友達だったのかな。
わたしは、先生の話をおぼろげに聴き終えて教室へと帰った。頭の中は沙織のことでいっぱいだった。すぐにでも沙織と話したかったけど、今日は沙織は来ていない。
「破られない規則なんてないよ。だって、太陽圏外に行くなー、とかって言うルールなんてないじゃん。よく破られるからルールを作ったんでしょ。だから、適度にペナルティを与えて縛ってる。規則って、どれくらい破れるだろうね」
ブランコを立ち漕ぎしながら喋る沙織の横で、わたしは、ただブランコに座って、地面を見つめていた。『一日一悪』は、続いていて、今日も多少の悪いことを見つけようとしていた。
沙織は、縛られるのが嫌い。自分で、いつも納得したがっている。『悪』とは、規則を破ることである。ズレること、他の人と同じじゃないこと。
「受験しないの?」
「あちゃー、きいちゃったか」
「どうして?」
「どうしてって。うーん、一年のモラトリアムが欲しいみたいな。学校で疲れたし」
「普通、学校がモラトリアムなんだけどね」
「ええ、刑務所みたいに刑期をこなしてる感しかないよ。一番通わなくて済む計画表立ててんだよ」
『チャイムの音だけは、どうしても好きにはなれない』、そう一度言われた記憶がある。わたしは、結構あの音色、気にいってたんだけど。
「それにしては結構来てたよね」
「うーん、まあ、志穂といるのは面白かったし、それだけ」
「だったら、わたしと同じ大学に入ろうよ」
「およ、なんですか。その、カップルで片方だけ受かってしまいそうなセリフ」
茶化して、逃げようとするいつもの沙織だ。
「わたしは、もっと沙織と一緒にいたい」
「うーん、でもなぁーー」
「嫌なら、今日の悪いことはスカートめくりにする」
「スカートめくりって小学生、あはは。それにスカートなんて、いま、立ち漕ぎしてるから、中、見え放題じゃん」
たしかに、近いから、沙織の下着はチラチラと目に入る。さすがに暗いから公園の外から見えないだろうけど。
「ねえ、ルームシェアしてくれる」
「ルームシェア?」
「そう、ルームシェアしてくれるなら、一緒の大学行ってもいいよ。同棲しようぜ」
「なに、そんなことしたいの。沙織らしくない」
「昔のわたしも言いそう。らしくないぜって」
沙織は、ブランコを止めて、わたしの方を見つめる。それから、おもむろにブランコを裏返す。
「よっと、オッケーなら、ここに名前書いて」
沙織は、ブランコに石を当てて、相合い傘のマークを書いていく。
「わたし、そういう趣味はないんだけど」
「ただの一悪だよ。今日は落書き。ほら、学校にもいっぱいあるやつ」
たしかに机の裏とか、見えにくい壁とかによく書いてあるけど。本当はいけないことなんだけど。でも、なんとかなく気持ちは分かる。
「さおりっと。あ、フルネームはやめときなよ」
「はいはい」
空いている右側に『しほ』と文字を書いていく。
「古典的だよね。今時、相合い傘の落書きって」
「志穂に合わせてみたんだよ」
こんなものがなにかを保障してくれるわけではないけど。ただの言葉。ただの図。ブランコの下の見られない所のーー。
だけどーー。
「石版に書いたんだから、校則より重いよね」
「ん、質量がーー」
沙織は、分かっているくせに、飄々(ひょうひょう)と冗談を返して、自分のバックを手に取る。
「さて、志穂先生、勉強教えてね。それとも、もっと悪いことでも教えるつもりかな」
沙織はスカートをぴらぴらと持ち上げてみせた。
はあ、全く仕方ないなぁ。