イータ・ノーヴェンバー・ダブル
パンッ。
ドチュッ。
「命中」
遠い距離で、二つの音が同時に鳴る。スコープ越しに倒れていくのは、大きな蟲。頭部を打ち砕く大口径の弾丸は、人間の肉体全てを破壊する威力で、巨大な蟲を死滅させた。
ゴーグルを頭の上にあげて脱ぐのは、まだ幼い少女の顔。
「群れの中核を撃ちました。これより退避します」
ペアのラズロウが、通信を入れる間に、銃をしまう。
「あいかわらず、いい腕」
「やったら逃げろ。無駄口を叩かない」
「この距離だ」
「まだ、近くでは交戦中よ」
フェアリーは去りゆく。
都市の荒廃した蟲の巣穴から。
植物と蟲の庭園から。
人間が去った夏の午後の終わりの地球から。
「最近は都市が綺麗でいいわね」
軍の施設に還ったシェイラは、ラズロウと食堂に来ていた。固いフランスパンとドロドロに溶けたじゃがいもと玉ねぎのスープ。
「もう喰い終わったんだろう。人間の死骸も」
「おかげで、食事が楽でいいわ」
腐臭は鼻にこびりつくし、人間の遺骸は、食事を不味くする。
「行方不明者が大量」
「探す人がいなくなるから大丈夫よ」
「シェイラは、ずいぶん冷めたよね」
「もう何年、蟲の駆除をしていると思っているの」
「まだ2年」
「もう2年よ。出撃回数が多すぎ。いくらでもわいてくるんだもん」
狂った世界の歯車が回りに回って、凄惨さを、胃袋に閉じ込めて、綺麗に漂白されて、緑化されていく。
人間の大地は、蟲の大地へ。植物は、以前の大繁栄をもう一度噛み締めている。熱帯の雨林を焼き払うことをしなかったのが悔やまれる。
「なんで、蟲を食べないのかな」
シェイラはスープをつつく。
スプーンに、じゃがいも色。薄いクリーム色。
「硬いし、中身なんてスカスカだからなぁ」
「食糧難」
「蟲は肥えさせても、食えない」
「もう生物として間違ってるよねぇ」
「人間様がピラミッドの頂点を独占できる時代は終わったということよ」
「食われたくないなぁ」
「食われる死に方って、人間、いつから珍しくなったんだろうね」
「西暦ぐらいからじゃない」
「人間同士で争っていれば、食い合わないし」
「共食いしないのに争うバカな男ども」
「奴隷という労働力が欲しかったからじゃない」
「いずれにしろ過去のこと」
「そうだね、過去のこと。現実が現実していると歴史の研究なんてできないよ」
「まだ、本を読んで、文字に埋もれてる贅沢な人なんているの」
「戦争中に技術は進むんだ」
「無駄な本を読まなくなるからじゃない」
歴史なんて知らない。僕らの国境の無駄な境を、蟲は考慮しないし。もう、かつてのナショナリズムなんて消えている。チンケな同族意識を、狭い範囲で確立するための作業が、実を結ばないから。世界市民は、自動的に、完膚なきまでの幼年期の終わりに、ファースト・コンタクトで、ぶち壊れた世界の中心に、楔として落下した。地球が宇宙船地球号だと、理解せざるを得なかった。
環境問題の遠大な距離とは違う目の前の危機ーーバグ。蟲たちは、平らげていく。人間の作ったバベルの巨像を。
シェイラは、ライフルを手に、食堂を出る。
ラズロウが武器を近くに置き続けるシェイラを笑う。
そのことに気づいても、別に振り返る気もしない。
シェイラは、武器を近くに置き続ける。
それが、存在の意義なのだから。
冬の計画が進んでいた。
ウィンター・プラン。
蟲を死滅させるために、地球を氷河期にする計画。
完全なるシミュレートから出る核の爆発。それにより、地球を閉ざす。蟲が生きれないように。
要するに、私たちの地球が、恐竜を死滅させたように、灰と冷気で全てを終わらせるということだ。地球の環境の大変化により、耐えられない生物が、地層という名の歴史に、無理やりに埋められる。
シェイラは、その弾丸を撃ちに行く。
フェアリーは、必要な蟲の中枢に、クイーンに目掛けて、核を装填した巨大な弾丸を射出する。
死が怖いときがあるのは何故だろう。
シェイラは、時間という空想の象徴が、ただ時計という時間的な物理に還元される甘さを知っていた。
音もなく動いていく時計。かつての優秀な時計技師の作品。ああ、アンドロイドは作られる時代にはならなかったか。
シェイラは、時計を見るのをやめる。
合図は、ラズロウがくれる。
私たちの母なる心臓を砕く弾丸の一つ。
これで世界は救われるのか、それとも終わるのか。
いつも私たちは、何を願っているのか。
翼が形状を変えていく。フェアリーのドレスが展開していく。
弾丸の時間だ。
つまりは、地球と弾丸が出会う。ボーイミーツガール。
シェイラの引き金が、引かれる。
冬が来る。
長い長い冬が。
私たちが生み出す氷河期が。
パンとスープが贅沢なる時代が。
時代という言葉が忘れられる日々が。
ほら、光が世界を照らす。
そして、星は見えなくなる。
ああ、熱い。
この大地が、今、一番、熱いんだ。




