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「ハーヴィス卿?」
声を掛けても返事がない。扉に向かって一歩踏み出すと、靴音が反響した。
途端、何かが這うような音が聴こえて咄嗟に後ろへ飛び退く。そのまま風魔法で床から足を離して宙に浮くと暗闇の中から低い笑い声が聞こえた。
「ははっ、反応いいじゃないか」
「魔力の感知にはちょっと自信があるんです」
火魔法を発動し、手のひらに炎の球体を作り出す。炎の明かりで周囲が照らされ、ダークブルーの髪の隙間から私を見上げる青い瞳と目が合った。
「……そろそろ、弟さんの姿から戻ってはいかがです? ライネル伯爵」
「……」
「それとも、悪魔と呼んだ方がいいのかしら」
「何を言っている?」
ハーヴィス卿の顔をした相手は嘲笑うような笑みを浮かべる。
その表情に、私は違和感を覚えた。
――彼は……ハーヴィス卿は魔法使いの子供が欲しいとは言ったけど、私の都合を無視した自己中心的な押し付けをしてきたけど、それだけだった。
悪魔退治の協力者として紹介したのは炎青さんで、ハーヴィス卿自身は私を直接危険なことに巻き込むつもりはなかったのだと思う。だから店で話をした後は私から手を引くと、関わることをやめようとした。
この邸に来た時、驚いたと同時にすごい怖い顔をして睨んできたもの。
伯爵家の存続をあれだけ願っていたのに、他人に害が及ぶとわかれば諦めて手を引くことを選ぶ程にリオルド・ハーヴィスは優しい人間なのだ。
私は彼と親しいわけではないけど、他人をそんな風に嘲笑うような人間ではないのは知っている。
それに、決定的な根拠があるもの。
『本物のリオルド・ハーヴィスは今クロードと一緒にいるよね?』
私の隣に水を纏って精霊姿のディーネが現れ、悪戯っぽく笑う。
相手はディーネの出現に一瞬驚いた表情を浮かべたけど、すぐにまた余裕めいた笑みを浮かべた。
「――なるほど、それがウンディーネですか。本当に契約していたとは」
顔に黒い靄が掛かり、それが消えるとプラチナの髪が現れた。ライネル伯爵の姿に戻った相手を複雑な表情で見ている私に、優しい笑みが向けられる。
「騙すようなことをして申し訳ありません。貴女は弟の姿の方が話しやすいかと思いまして」
「貴方はユウェル・ハーヴィスであると?」
「ご覧の通りです」
爽やかな笑みを浮かべ、軽く両手を広げる。
……相手がそうしたいなら今はそれでいい。私が今聞きたいのは別のことだから。
けど、反響音からやけに広いであろう室内の全体が見えない以上は床に降りない方がいい。そんな警告が隣のディーネから伝わったのもあって、私は浮いた状態のまま話を切り出した。
「伯爵。依頼の魔石はどう利用されるのでしょう?」
「以前にお伝えした通りです。山間部の村へ――」
「村人はもういないのに?」
冷静に言ったつもりだけど、思ったより怒気を孕んでいたかもしれない。
伯爵は笑みを崩さないまま、だけど冷めた目を向けた。
「……先日、件の村を見に行きました。伯爵が言ったことが本当なのか、村は存在するのか。確かに、村は存在しました」
一昨日、邸に行く前に宿をとって街の人から話を聞いた。
北西の山間部にあるという小さな村の存在。場所柄、人の出入りは少ないけど村を知っている行商人がいて話をしてくれた。
――あの村は数ヶ月前に滅んだ。
その話が信じられなくて、風魔法で飛んでいって……。
「村に生きた住人はいませんでした。あったのは……」
村の一角にあった石碑群。何百と連なった石の意味がわからなくて、たまたま訪れていた人が花を手向けていたのを見て――それが全て村人の墓なのだと気付いた。
その時のことを思い出して胸を押さえると、私の代わりにディーネが答えた。
『君、あの魔獣使いを利用して村人を餓狼に喰わせたね? 魔力の代わりに、命を使った。生命力を魔力に変換して補った』
あの魔獣使いが餓狼を伴って来たのも北西からだった。村を襲った後、彼らは次の目的地としてこちらへ――リーゼ村に向かっていたのだ。村のみんなの命を奪うために。
そう思うと寒気が走った。あの男は既に何百人もの命を奪っていたのだ。
『彼女が渡した魔石も、召喚用のエネルギーになるわけだ。邸に残った土魔法も跡形もなく無くなってたしね』
そう。祈祷祭の時に私がディーネを止めるために放った巨大土魔法。自然になくなるには時間が掛かる大きさだったはずなのに、祈祷祭後に忽然となくなったらしい。それもきっと伯爵が魔力を回収したのだろう。
「レイラ嬢の魔力は素晴らしいですから。あの魔石は貴女が作ったものでしょう? 秘密にしたいようでしたので嘘に乗ってあげましたが……もういいですよね?」
そういえば、魔法使いの仲介人なんて説明をしていたわね。笑顔が白々しすぎて自分の設定なんてすっかり忘れていたわ。
目の前で魔法を、精霊を伴っている時点で自分の正体を誤魔化すつもりはない。伯爵も、もう取り繕う気はないようだ。
端正な顔に陰が差し、歪んだ笑みが浮かぶ。
『レイラ!』
「……っ!」
ディーネの言葉と同時に、下から黒い影が伸びてきた。逃げても追ってきて、自在に操れるのだとわかる。
これは闇魔法よね、ハーヴィス卿が見せたのと同じ魔法……つまり、捕捉用の魔法。
捕まった後は――そこまで考えていると、体が固いものにぶつかった。止まった私の体をディーネが支えて影から逃れる。
「あ、ありがとうディーネ……」
『ここ、広いけど屋内だから魔法を使うなら外に出た方がいい。周囲が禍々しくなってる、取り込まれちゃうよ』
「そうね。でも、出入口は伯爵がいるし……他に出口があるのかしら」
とにかく、何も見えない状態で暗い空間に留まるのは危険だ。私は影から逃げながら火魔法を発動し小さな炎を周囲に散りばめた。
天井から床に掛けていくつもの炎が点り、辺りの景色がうっすらと浮かび上がる。
石造りの壁に高い天井。家具も調度品も一切ないがらんどうの地下室の奥で、唯一鎮座しているのは――一際大きな水晶だった。
透明な巨大水晶は人一人分は余裕で入ることが出来そうな大きさだ。
(水晶……違う、これはまさか魔結晶!?)
ルミナート王国で見たことがある、巨大結晶。ルミナートで見た時は常に光魔法の結界が発動しているから銀の煌めきがあったけど、この結晶は無色透明――何も魔法が入っていない状態のものだ。
これに魔法が入れば、小さな村一つ分くらいはどうにか出来るレベルの大魔法が行使可能となる。それぐらいの魔力量が集まれば、悪魔召喚なんて悪い夢物語が一歩近付くことになってしまうほどに。
『わっ!』
「ディーネ!」
影がディーネを捕まえ、思わず手を伸ばした途端に背後から別の巨大な影が頭上に広がった。
風魔法に魔力を乗せて加速し、壁にぶつかる形で何とか逃れた。
「……っ!」
『レイラ、大丈夫!?』
「え、ええ」
良かった、ディーネも無事だった。
ライネル伯爵は驚いた様子で私を見ていたけど、すぐにまた余裕めいた笑みを浮かべた。
「魔力操作が上手ですね。現代の魔法使いはそこまで器用ではなかったはずですが。精霊のおかげでしょうか?」
「っ……今度は、私の命を使って魔力変換するつもりですか!」
影の追跡から逃れながら言うと、彼は肩を揺らして笑うと優しく微笑む。
「いえ、そんなもったいないことはしませんよ。貴女は生きていてもらわないと」
「……!?」
「貴女を生きたまま結晶に繋ぎ、その満ちた魔力を死ぬまで供給してもらいます。邪魔な意識は壊してただの生きた人形にしますが……もちろん、死ぬまでのお世話は私が伴侶としてきちんとやりますのでご安心を。母体としても使えるので、魔力の高い子供もたくさん作って増やしてもらいましょう」
酷く優しい笑顔で甘く囁くように放たれた言葉に肌が粟立つ。
その隣でディーネが低い声を発した。
『……レイラに手を出したら怒るよ? もう手遅れだけどね』
「はは、祈祷祭のようにしますか? それは恐ろしい、あの時はこちらも焦りましたよ」
『あ、そう。手下の教育がなってないせいだよね』
「それを言われるとなにも返せません。本当にアレは使えませんでしたね、貴重な魔法使いの彼女を殺そうとするなんて愚の骨頂。死んで正解です」
もしかして、魔獣使いの男のこと? あの後で行方がわからないとは聞いていたけど、あの男は死んでいたのね……。
私にとっては最悪な男だったけど、伯爵からしたら仲間であったはず。悼む気持ちのない言葉に嫌な気分になった。
「ああ、でも一つ使える点がありました」
「……」
「彼の魂、回収して魔力に変換しましたので多少の足しにはなりましたね。人間は色々と利用できて大変有難い資源です」
彼が伯爵の顔で言葉を発する度、気持ちが沈んでいく。それは内容のせいかとも思ったけど、今はっきりわかった。
「貴方は、もう人間ではないのですね」
命を軽く扱う言動、人間を“資源”と言い切れるのはもう人とは違う生き物なのだと。
気付いていたはずなのに、私は本当の意味でようやく理解した。
炎青さん達の話を聞いて、私の中の伯爵とのあまりの違いに混乱してわからなくなった。だから、人づてではなく私は自分自身の目で見て、本人の口から聞いて、真実を知って――そうしないと私はわからなかったのだ。
もしかしたら、伯爵は洗脳されているだけで悪魔を追い払えば元の彼に戻るのではないか、と。そんな甘い考えもあったのかもしれない。
でも、もうダメだ。
彼は違う。廊下で後ろを歩いていた時も彼に影がなかったのを目の当たりにして、相対して改めて肌で感じてわかってしまった。
「おや、随分哀しそうな顔をされる。以前にも貴女のような表情をした女を思い出しますね、顔は違うのによく似ている」
「……誰のこと?」
「ええと……ああ、そう。そこにいますよ。いえ、“いた”と言うべきですかね」
周囲を警戒しつつ伯爵の視線を辿る。その先にあるのは巨大結晶だ。
意味が分からず近くを飛んで――あるものに気付いた。
結晶の中心部にドレスを着た状態の白骨体が入っていたのだ。
「っ……!」
『レイラ!』
驚きで集中が欠けてよろめく体をディーネが支えてくれる。
首の骨に残された宝石の散りばめられたネックレス、劣化しているもののドレスもレースや金の刺繍などが施されている。これは平民ではなく、貴族の女性……?
「それは婚約者でしてね、魔力も多少あったので入ってもらったんです。まあ、貴女ほどではないので延命させず閉じ込めましたが」
「婚約者……?」
サーシャさんが言っていた婚約者の女性? まさか、病死でなく伯爵が手を下したというの……?
「そんな、どうやってこの方のご両親を欺いたんです!?」
事故や破損が酷い場合を除いて遺体がないまま葬儀が行われるはずがない。
「顔を変えれば代わりはいくらでも作れますよ? 死人に口なしですから」
爽やかな笑顔で答える相手に嫌悪感を抱き、思わず睨む。
「肉体は時間が経てば結晶が吸収してくれるのですが、骨と服は残ってしまうのですよ。取り出すのが面倒でそのままでしたが、貴女に繋ぐ時はきちんと取り払いますから」
優しい笑顔で残酷な言葉を吐いていく。整った外見だけどひどく歪で、私は不快感を隠さず眉を寄せた。
「貴方の言い分はわかりました。だからもう黙って、不愉快だわ」
目の前にいるのが心を持たない人外なら、私は躊躇わない。
だから、ごめんなさいハーヴィス卿。私は貴方のお兄様を――。
『レイラ』
「……ディーネ、力を貸して。あいつを止めるわ」
「はは、こんな地下では貴女の魔法も威力が落ちるのでは?」
「そうですね。いい加減暗いところにいるのもうんざりしてきたので、さっさと出ることにします」
唯一の出入口である扉は伯爵が立ち塞がっている。
けど、別にそこから出る必要もないのよね。ないなら作ればいいだけの話だから。
片腕を上げた私を見て、魔力の発動を感知したのだろう。何をする気かわかったのか伯爵から初めて笑みが消える。
「まさか、ここを吹き飛ばすつもりですか? そんなことをしたら邸の人間は――」
伯爵の言葉に私はわざとらしいくらいの笑顔を向けて、返事の代わりに行動で応えた。




