ポンコツ男爵令嬢の取り巻きは今日も憂鬱です
「取り巻き」とは、金持ちや権力者につきまとって機嫌をとる行為や、その人物のことを指すそうです。最近では異性に魅了・篭絡されて付き従っている場合にも使われている気がします。
そういった意味では、僕は断じてルイズ男爵令嬢に懸想している訳ではありませんし、男爵家は特別裕福でもないうえに子爵家の僕より爵位も低いので、定義的には彼女の取り巻きではないはずです。どちらかといえば世話係というのが適切でしょう。彼女はそう思っていないようですが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼女が学園に編入してきた日。教室で自己紹介を終えて自席につくと、隣に座っている僕に声を掛けてきました。あまり認めたくはないのですが、彼女は少なくとも見た目だけは文句の付け所がないほど可愛らしく、正直僕は少し浮かれてしまました。
しかも彼女は一緒にランチをしませんかと誘ってきたのです。ただ、その辺りから雲行きが怪しくなってきました。食堂で注文した料理が運ばれてくると、なぜかソワソワしだした彼女。なんと目の前で突然ポケットから謎の瓶を取り出し、僕の前に配膳されたレンズ豆と鶏肉の煮込みに、その見るからに怪しい液体を一瓶丸ごとドバドバと注いだのです。
「えっ!? ちょっと何をしているのルイズさん!?」
「……こ、これは私の育った村で愛用されている何の変哲もない調味料ですわ!」
「あんな毒々しいピンク色の調味料なんて聞いたことないよ!? まさか僕に毒を盛ろうとしたわけじゃないよね!?」
「酷いですわアラン様! ただの魅了薬です!! ……あっ……」
「……」
何とも言えない空気が二人の間に流れました。ちなみにこのポンコツ令嬢が握り締めていた空き瓶を確かめたところ、彼女が魅了薬だと信じていた瓶の中身は、ただの強壮剤だったことが判明しました。しかも塗るタイプの。誰かの心を思い通りにする薬なんて簡単に手に入るはずがないので当然です。
取りあえず食べ物を粗末にしたことを叱った後、なぜそのような奇行に走ったのかを問い詰めました。彼女が暮らしていた孤児院で、あるとき姉のように慕っていた女性から男爵家に引き取られる前日にこう言われたそうです。
『男っていう生き物は狼のようなものなの。ちょっとでも油断して隙を見せるとすぐに襲われてしまうわ! 特にルイズのような可愛い女の子はね。だから先手必勝でしっかり躾けて、飼いならして尻に敷くぐらいじゃないと駄目なのよ!』
その脅しをすっかり信じ込んだ彼女は、どうにかして男性を手駒にしなければならないという強迫観念に駆られたそうです。とはいえ、そんなテクニックも知識も持ち合わせていなかった彼女は薬局に出掛けて「男の人を夢中にさせるお薬を下さい……お母様からお使いを頼まれたので……」と注文したのでした。
店員の怪訝な顔を目にして、焦った彼女が付け加えた余計な一言のせいで男爵夫人が風評被害を受けてないことを祈りました。そして僕達が出会った日の異物混入事件に至ったのです。
彼女の話を聞いた僕は、取りあえず密かに安堵しました。彼女の標的が、もし僕でなく王位継承者である王子や、婚約者、あるいは僕よりもっと高位の貴族令息・令嬢であれば、ただでは済まなかったでしょうから。
そもそも、僕だって本来ならばもっと厳しく彼女を追求すべきだったのかもしれませんが、その時点で彼女が悪意を持たないただのポンコツであることが分かっていましたので、そんなことはしませんでした。別に叱られて涙目になっている彼女に動揺してそれ以上何も言えなかったのではありません。
取りあえず最低限のマナーと常識を身に付けるまで、彼女の手助けをすることを申し出ました。
「なるほど! 孤児院でお姉様が仰っていた『取り巻き』というものですね! とても嬉しいです!」
その時、なぜすぐに否定しなかったのかは分かりません。ですが、ひょっとしたら彼女が使う『取り巻き』という言葉は、僕の知っている『取り巻き』とは違って、そこに多少の好意的な意味合いが含まれているのではないかと僅かに期待してしまったからといった理由ではありません、絶対に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あっ……大変です、アラン様! 私の教科書がありませんわ! これが噂に聞く、元平民男爵令嬢いじめというものでしょうか!?」
「……ルイズ……歴史の授業中、扇子の代わりに教科書であおいでいるのを見つかって没収されたんじゃなかった?」
「ああ、そうでしたね! すっかり忘れていました……さすが、アラン様は私の取り巻きですね!」
僕に無邪気に微笑みかけるルイズを見て、ズキンと胸が痛みます。
たとえ彼女が何か失態をやらかしたとしても、きっと悪意がないことは誰にでもすぐ伝わるでしょう。そこに新たな出会いや恋が生まれる可能性だって大いにあります。そう考えてみれば、僕は、ただ彼女を独占したいがために取り巻きをしているだけなのではないでしょうか?
僕が傍から離れた方が、彼女は幸せになれるのでは?
そんなことをつらつらと考えていると、唐突に彼女が僕の手を引っ張りました。
「……アラン様は私の取り巻きなのですから、勝手にいなくなったりしないで下さいね?」
全く……ポンコツの癖に、彼女は時々妙に鋭いことを口にするのです。これが平民時代に鍛えられた野生の勘というものなのでしょうか。
当分彼女の取り巻きを辞めることは出来そうにないことを悟り、僕は少しだけ喜びの入り交じった溜息をこぼしたのでした。