テキーラに兄貴がいるんだって
「え、嘘でしょ。彼って、お兄さんいるの?」
賑わうバーの中にあって、私の驚きはすぐにかき消えそうになった。
「あなた知らなかったの? 彼と親しかったじゃない」
それはそうだ。海を隔てた異国の地で、同じ大陸の人と出会うのは珍しい。故郷は違えど同じく洗練された者同士、どこか彼とは気が合う部分があった。
自分なりに彼とは親しい者と思っていたが、彼に兄がいるなんて話は初耳だった。それを彼と親しいとは思えない相手から聞かされるのは、少しだけ複雑な気分だ。
「それで名前はなんて言うの?」
きっと彼の兄の名前もエキゾチックに違いない。わずかな好奇心を言葉に乗せれば、友だちはやや伏せ目がちに答えた。
「ええ、なんだったかな。忘れちゃった」
ちょっととぼけたフリして、そうして友だちはボソリと続けた。
「スモーキーな香りが、大人って感じの人だったな」
「それって、」
言いかけて、私は続く言葉を呑み込んだ。柑橘の香りを纏う彼女は、この町きっての人気者だ。つきあいの浅い私ですら、彼女がいろんな相手と一緒にいるところを見かけている。そこに一人の異国人が加わったとして、何ら不思議はない。
「待った?」
「え?」
噂話をすれば彼だ。
焦げた肌は健康的で、いつも陽気な彼の傍らには、小麦色した肌の健康的な女性が並んでいる。
彼の言葉の先にあるのは友だちで、彼女は自然と微笑んでいる。
「大丈夫よ、この子と話してたから。ごめんね、約束があるから私は行くわ」
「あ、うん、そうなんだ。うん、また、またね?」
首を傾げつつ見送った。
彼の両腕にぶら下がる彼女たちの姿に、もはや何も言うまい。しかし、
「ごめん、ちょっと待って!」
慌てて追いかけた私に、扉の前で三人は振り返った。
「あの、あなたのお兄さんの名前って」
「兄貴の名前? メスカルだよ。――そうだ。今度、ピスコにも紹介するな」
「う、うん、ありがとう、テキーラ」
今度こそ彼らに別れを告げた。
テキーラ、コアントロー、ライム、きっと素敵な一夜になるに違いない。
席に戻って、私はグラスに残っていた液体を一気に飲み干した。
燻されたような独特な香りと、喉を焼く激しさ。
メスカル――、彼の兄の名前を胸に刻んで。
メキシコ料理店で、このお酒ってなんですかと聞いたところ、
メキシコ人の店員さんから
「テキーラのお兄さん」って言われたのを忘れないために描きました。
実際は、テキーラもメスカルの一部らしいです。