地獄の番人
◆ ◇ ◇
そこには、第二第三…第五までのケルベロスがいた。
繁殖していたのだろう。とまあ、逃げられる状況にはない。飛べばあるいは、と思ったが、それにも助走が必要だ。肚を決めて戦うしかない――!
「隠れていろ。」
短刀を抜き、構える。
「侵入、開始」
魔術を起動。そして、風に身を任せ走り出す。投げ針を取り出し、番人の鼻っ面に投げつける。番人は激高し、噛みつこうとするが…
「遅い!」
一蹴。首の付け根を鋭利な短刀で切りつけられる。毒には、何物も逆らい難い。それが不死であれ、大英雄であれ、毒の苦痛の前では等しく無力。故に、それは番人にも容赦はなく通用する。
「グルルァァ…」
倒れこむ一体目。続いて、二体目へと切りかかる。爪で襲い掛かる巨獣を正面から見据え、躱し、脳天にきつい一発を叩き込む。入った。倒れ行く番人。
「グルァッァアァ!」
なるほど。賢い獣だ。一人で勝てぬとあれば、数人でかかればよい。その判断が遅すぎたことを除けば。……もっとも、彼には元々それほどの力は持っていない。その力は籠手と靴によってブーストされた身体能力と、剣に宿る戦闘経験に引っ張られる形で身に着けた借り物の力だ。が、借り物でも力は力。全力でかかる。二体の巨獣の間を切りつけながら飛び越える。一撃必殺。
取り巻きは消した。残るはお前だけだと、剣を突き付ける。リーダー格と思しきその番人は、アナに向けて襲い掛かろうとする。なるほど、良い判断だ。この距離からでは、一撃を届けることは叶わないだろう。そして、かろうじて届いたところで意味はない。その巨躯にはあらゆる攻撃は通用しないとでも言わんばかりの肉体が、アナに躍りかかる。
「守るって言ったじゃないのお!」
「守るとも!」
が、相性が悪すぎた。ああ愚かしや。彼は己の同胞が何故地に臥したかを考えていなかったのだ。
短刀を投げる。風の魔術で加速されたそれは、深々と巨躯に刺さり。何物も耐えがたき死毒の呪詛は、番人から責を奪い取った。
「Grrrraaaaa…」
初めからアナを狙えば、勝てていたかも知れないというのに。傲慢はその身を亡ぼす。勤勉な死の番人は、その責務に胡坐をかいていたのだ。
「さてと、処理を済ませるか…」
そう思い、巨獣へと足を進めようとする。が、
「!?」
飛来する飛び道具。刃に刻まれた戦いの記憶はそれを退ける…!が、足りない。本人の実力ではないのだ。仕方のないことなのだろう。残りの一本を甘んじて受ける。大きく吹き飛ばされ、張り付けられる形となった。傷つけるためではない、強力な束縛。
「グゥッ!これは…釘か?くっ…抜けんぞこれ…魔力の使用も制限されてるか…」
「ちょっと大丈夫なの!?」
「近寄るな!隠れてろ!」
自らを打ち付けた相手を睨みつける。
所謂魔導服に、その体に似合わない大きさの筒…あえて言うならば、パイルバンカーと呼ばれる類の武装をした、桃色がかった茶色の髪の毛の少女。
何らかの方法で、打ち返した釘を回収すると、
「聖人の成人の骨から作られた釘を殆ど打ち落とすなんて…その短剣、ひょっとして神の武器だったりします?」
なるほど、褒められているぞ禿頭。
「まあそんなのはいいんです。その布、どこで手に入れましたか?」
下手を撃てば殺すぞ。とでも言わんばかりの勢いで問い詰める。
「これは知り合いにだな…」
「誰です?」
「プロメテウスの鍛冶屋のヴェルンドだ…」
どうせ答えなくてもほかの方法で聞きだされるのだ。敵意がないことをアピールする。
「まさか、アンブローズ繋がり…あの方、聖骸布まで持っていたんですか…あの人なら変なのも好きそうですしその変なのに聖骸布を与えるくらいはしそうです。それに、その変なのが変なのにまたそれを譲り渡してもおかしくない…アンブローズ繋がりならば下手に手を出すのは悪手。切り替えましょう切り替え。」
あの婆さん、有名人だったのか。というより、どういう言葉の使いまわしだ。
「ええ。有名人も有名人。魔術の世界では知らない人はいないくらいです。彼女は尊敬されてもいますが、それと同じくらい疎まれてもいます。だからまあ、有り体に言ってしまえば絡まれたくない厄介者です。ああ、失礼しました。私の名はナターシャ。冒険者ギルドで魔導士始めました。銀等級です。先ほどは突然すいませんでした。その、こんなところに派遣される人間がそれほど高位な武器を持っているとは思わなくて…てっきり泥棒かと…」
泥棒。まあかわいらしい響き。それにしてもあの布、聖骸布だったのか。聖骸布といえば、相当重要なものだろう。一度使った程度の布だと思ってはいたが、それほどの格式高いものだ。出回っているべきではない。しかし、
「先ほど君も"聖人の骨から作られた釘"といっていたが、骨は聖骸布より貴重な代物だ。そんなものをどうして君が?」
「あれはですね、全部を骨で作ってるわけじゃないんです。本当に一部だけの聖人の骨の欠片を、魔力の塊で包んでいるだけ。まあそれでも、あんな使い捨てみたいに使っていいものじゃないんですけどね…」
悪かったと謝る。それを見ていた…もとい、仲間外れにされていたアナは…
「ちょっと!どうなったのよ!説明しなさいよぉ!」
それが寂しかったのか、叫びながら割り込んできたのだった。
◇ ◆ ◇
「なるほどね、それでここに…」
どうやら彼女はあの番人を調査していたらしい。元々アレは近隣の荒野に住んでいたものの、めっきり姿を見られなくなったらしく、その時期がこの渓谷の異変と重なることに気付いた彼女がここに来たところ、私がちょうど戦っているところだったようだ。
「あのー提案なんですけど…あなたたち、私のパーティーに入りませんか?」
なるほど。手柄は彼女にも届くし、もとより無名冒険者がケルベロスを倒したといったとして、信用されないのがオチだ。とまあ考えてみたものの、彼女は見たところ善良である。そのようなことも考えていない可能性が高い。
「ほら、私にも報酬は入りますしあなたたちの信用も勝ち取れるし…」
違った。案外図太いぞこの子。
「ま、まあいい。とりあえずその方向で行こう。さて、問題が一つあるんだが…」
「何よ問題って。」
「ほら、行きは二人だったから抱いて走ってこれただろ?さすがにこう、二人…それも片方が初対面だとな…」
「大胆なんですね…意外と…」
何やら小声で言っているがまあいい。
ともかく、出立は早いほうがいいだろう。
今は焚火を囲んで食事を取っている。
「おいひぃ!」
「アナさん、お行儀が悪いですよ。ほら、拭いて拭いて。」
ナターシャに顔の周りを拭かれている。品性が足りない…
どうしたものか…そう考えつつ、頭を悩ませていた。
◇ ◇ ◆
「おい、早く歩け。」
「きついぃー。無理ぃー。」
少し歩いただけで弱音を吐く16歳(仮)の図だ。
頑張って頑張ってと、ナターシャが励ますのを後目に、歩き続ける。
仕方なく、三人で歩くことにした。後処理はギルドに任せることにしたのだ。そのためにも、早く帰らねば。一人を置いていく案もあったが、銀等級冒険者のナターシャは必須。私は移動係として必須。残ったのはアナだけ。「夜まで待たせるなんて鬼畜!」などというものだから、仕方なく。
歩き続けて数刻。渓谷は、思ったよりも街から近かったのだった…。
なんとか日暮れまでにつけたことに安心しつつ、報告に出向くこととした。これが半刻前までの出来事だ。
受付嬢に報告を済ませると、証拠確認も兼ねた素材回収をギルド側で明日行うということだ。今日は眠ることとする。とりあえず、ナターシャとは別れ、帰路につく。今日も濃密な一日だった。明日は何が待っているのだろうか。期待と心配を胸に、今日という一日に別れを告げる。
ふむ。仮にこれで称号付きになるとすれば、なかなかに速いスピードではないか。あるいはこのまま階級を上げていくことも夢ではないかもしれんなという、淡い希望も抱いて。