星の傷痕
ともかく、ともかくだ。まずはこの場から離れなくてはならない。冷静になって考えてみれば、あの規模の魔法だ。魔獣が寄ってこないはずがないし、何なら街の方からも調査隊が送られてくるだろう。逃げねばならない。少女…アナは気分を良くしたせいかすやすや眠っている。緊張感のないことだ。ああクソ、背負って逃げるのはなかなか応える。まあとりあえず街を目指そう。あんなデカブツが出るとは思わなかったがここは町からそう離れてはいない。風魔法の応用であと一日あればつく。今日は眠ろう。昼間は日が照り付ける荒野も、夜は凍えるほどに冷える。逃げた後、落ち着ける場所を探して、休みを取りたい。今はそのことで頭がいっぱいだ。
「のんきにまあすやすやと。よく寝れたものだな。」
アナの顔を見ると、幸せそうに眠っている。顔は整っていて、スタイルもそこそこだ。美しい銀髪は見る者の心を癒すだろう。ウェーブがかっていて、いわゆるお嬢様結びをしている。男の背中で一夜を過ごすというのは流石にまずい。早急に対応することが求められる。
そして、日が明ける。まどろみの淵から世界が起き上がる。
私は日が明ける少し前から起きて、荷支度をしているところだ。
「いい朝ね。ところで、この臭い布は何かしら。」
不満気だ。仕方がないだろうに。そのまま寝かせたら寝かせたで文句を言う姿が容易に想像できる。
恐らくは何を言っても聞かないのでまあ朝食でも出しておく。お楽しみの食事だったが仕方あるまい。必要な犠牲というやつだ。
「んん~っ!」
お気に召したようだ。
「ところで、アナにはおそらく身寄りがない。私は町に向かう途中だ。どうだ?私と一緒に来ないか?このままここに君を置いていくのは私としても寝覚めが悪いからな。」
「なによ?私に気でもあるのかしら?まあ可愛いし仕方ないわよね!いいわよ、ついていってあげる。」
なんともまあ自信過剰というか図太いというか。
「行くぞ。ついてこい。」
「あっちょっと待ってよ!行くからぁ!」
足を速める。
それにしてもこの少女、どこから来たのだろう。髪型や服装、どうみても育ちが悪いとは思えない。チェンジリング、あるいは神隠しのようなものだろうか。荒野の中にいてはちぐはぐに過ぎる。
「アナ、君はどこから来たんだ?なぜあそこにいたのかわかるか?」
昨日の会話では答えは得られなかったが、日を明けた今ならあるいは。
「全然覚えてないわ。基本的な知識はあるけれど、それ以外はなんにもないの。」
駄目だった。
「それにしてもオズウェル、なぜ急いでいるの。昨日のアレで脅威は排除できたんじゃない?」
「覚えているのか…?魔術のことを多少かじっていれば間違いなくわかるはずだが…」
首をかしげる様子だ。
「まあいい。魔術はこの世界において重要な役割を担う。人の文明の利器としての魔術は、我々の暮らしに進歩と豊かさをもたらす。魔術はマナを必要とするが、その説明はまた今度しよう。知らなくても生きていけるしな。所で魔術だが、今も使っていることがわかるか?足の疲れが薄いだろう?」
「あら本当ね。これも魔術?」
「ああ。風の魔術を応用している。こうしたように、日常で使える便利な道具、というのが魔術の一つの側面だ。で、急いでいる理由はもう片方にある。魔術は、時を重ねるごとに力を増す。多くの人間が研究し、その最奥に近づこうとするからだ。ところで、彼らはその方法を秘匿する。自分だけの魔術があれば、それは独自性を持つ。また、より優れた魔術を保持していれば、とうぜんそのものが持つ力は大きくなっていく。かの国の王族なんかはそこから成り立っている。まあ、多くの国では高度な魔術が開示されていたりするがね。結局マナがあるものしか打てないことは明白だからな。マナにも大きく血の歴史は関係する。」
「へー。」
興味なさげだが、続けることにする。
「彼らにとって最も避けたいことは何か、わかるか?」
「方法がばれることかしら。優れたものが多く広まれば、それは価値を失うもの。」
「その通りだ。彼らは自らの魔術を最奥に近づけようとするとともに、その隠匿に大きく気を払う。高度な魔術が民衆の手に渡るなど、あってはならないことだ。まあここ数百年でその動きは弱まってはいるがね。ところで、昨日のアレは覚えているか?」
「ええ。あの星が降る魔術ね。あれがどうかしたの?」
「どうかしたのも何も、アレは間違いなく高度な魔術だ。理由は不明だが、君には間違いなくアレを撃つ力がある。そして君にはその魔術の残滓がのこっている。そんな野蛮な連中があんなものを見逃すはずがないだろう?だからまずいと言ってるんだ。もし君が使ったなどとバレてみろ。間違いなく刺客が君を殺すぞ。」
首に手を当てるしぐさ。震え上がる小動物のようなアナ。
「まあ街に入れば安全だろう。街に入るまでに魔術の残滓は消えるだろうし、容易に手を出すことはできんはずだ。まあ不安要素は、といえばそこまでに私たちが見つかるということだが、相当のやり手でなければそれは難しい。安心していろ。」
「それはそれとして、だ。これから先のことを考えたとき、君はその魔術について理解する必要がある。無論、私も無関係ではないだろう。手伝えることはすべてするつもりだ。それを鑑みて、昨日の件についての君の所感が知りたい。」
「あれね…私は"繋がった"感触があったわ。こう、糸のようななにかであなたとつながっているような…」
繋がった感触…私と繋がった感触、か。聞いたはいいもののなかなか解せない。私の存在が必要だった?あるいはもう一度…いやそれは…
「ちょっと。何考え事してるのよ。そんなのよりアレ見なさいよ!」
またもや巨獣。今度のタイプは素早い奴だ。大蠍、とでもいうべきだろうか。巨大な前腕。鋭利な尾。古代よりサソリの持つ毒は恐れられてきた。…もっとも、そんな強い毒をもつ種は希少だが。
奴らは私たちが思うより恐ろしく速い。まずよけることは無理と来た。であれば真っ向から勝負を挑むほかあるまい。いや勝ち目はとんでもなく薄いが。やらぬよりはましだ。虫のように死ぬつもりは毛頭ない。
奴が走り出す。
「待ちなさいよ!」
私も風となって走り出す。
短刀を三本投擲。いずれも風で急所にヒット。
「何ッ!?」
通らない。刃が通っていないのだ。弾かれた。残る武装はただの剣だ。仕留めるには最大限近づかねばならない。決死の一撃だ。もし狩り切れなかったら敗北は必至。走り出し、その命を絶つ。
が、無意味。かの怪物は、恐ろしく硬い外皮を備えていたのだ。
「まず…ッ」
思わず諦めそうになる。
「負けないで!」
ああ、その声に意味などないのに。それでもまあ、応えて見せようか。覚悟を決める。
勝たなければならない!
瞬間、彼は光に包まれる。繋がる。彼女と、繋がる。みなぎる力。星辰の魔法。
行ける。どこからともなくわいた力。都合がよすぎるとは思いながらも、その力に頼るとしよう。流れ込む記憶。大サソリを相手にして、的確な攻撃を叩き込むための技。その技は、私に力を与える。
「ぜぁぁぁあぁぁぁ!」
両断。二撃目。三撃目!
両断、両断に次ぐ両断。地を蹴る。そしてこの化け物に終わりを与える。とどめだ。
「キシャアアアアアアアァァ!」
奇声と共に、倒れ行く巨体。
狩り切った。ああ、とんでもなく疲れた…体が重……い………
地面が近い。空が離れていく。身に余るその力は、この身を蝕んでいく。ああでも、気分は悪くなかった。昨日の終わり、アナが意識を失うのとはまた逆に、今度は私が意識を沈める番だった。