誕生日パーティー
今日は少し遠出をすることになっている。翔一が車を用意してくれるという。楽しみだ。
「玲奈……」
玲奈の自宅まで迎えに来てもらい、玲奈の顔を見た途端、翔一が少し困った顔をした。
「何? どうしたの?」
「……今日、素足?」
「うん。暑くなりそうだし、おかしい? ダメ?」
今日玲奈はワンピースを選んだ。サッカー生地のように見えるポンチ素材のワンピースだ。今年の流行の前面総ボタンで、全てリアルボタンなので、開けて着ればロングカーディガンのように着られる2ウェイタイプのワンピースである。丈は膝が隠れるくらい。もう30代なので、無謀な丈は選ばない。いや、選べない……。体の線を拾わないので楽だし、暑いからストッキングは止めておいた。でも海岸もあるくだろうと、靴は白のスリッポンタイプを合わせていた。ストロー素材の帽子も用意している。
「……いや」
いいとも、ダメとも、はっきりしない翔一のことは取り敢えず置いといて、車に乗り込む。既に外は太陽が照り出していたから、社内はクーラーが効いて快適だった。
「クーラー、寒くない?」
「大丈夫だよ。ねぇ、今日の横須賀、私初めてなんだけど、翔一さんは?」
「何度かね。玲奈、軍艦とか興味ある。まだ行こうかどうか迷ってるけど」
「興味あるある。ところで〜、誰と行ったのかな〜」
「……内緒、じゃダメ?」
本当に翔一さんは嘘が下手だ。まぁ、上手に隠される方が傷つくこともあるから、今回はこの回答で許してあげます。何より私が楽しみだから、十分だよ。
「ははっ、いいよ。元カノでも、気にしない。それより、ホントに楽しみ。よろしくお願いしまーす」
「では、出発」
はい、元カノです。すみません。でも、今までの誰よりも玲奈の反応が一番見たいから、僕も楽しみだ。
観音崎公園に到着する。梅雨入りはまだのようだから、天気予報は一日晴れとなっていた。海がキラキラ光っている。少し海岸を歩いて、灯台を巡る。日本最古の洋式灯台らしく、2人で映え写真を、沢山撮る。といっても、玲奈はインスタをやっていないので、UPする機会はないのだが、記念は沢山残したい。今日はどこに行っても、カップルが多そうなドライブ日和なのだと、この場所で実感した。
次は横須賀美術館だ。この間の葉山館も美しかったが、ここも海が眺められるガラス張りの美しい美術館だった。外が暑くなってきたので、館内が快適で、割とのんびり鑑賞した。翔一は特に傾倒している画家はいないとのことで、あれが好きだとか、これはイマイチなどと、勝手に査定しながら楽しんだ。面白いことに、好きな絵が割と同じで、内心大層喜んだ玲奈だったが、いちいちはしゃぐのも30代だと気が引けて、程々に喜んでおいた。
いよいよ横須賀港に到着である。少し早かったが、食事をしようと「どぶ板通り」に足を運ぶ。通りにあったアメリカンカジュアルのお店で、何を思ったか翔一は薄手の白いパーカーを購入した。ちゃんとMaid in USAらしい。
「パーカー買ったの? これから、暑くなる季節なのに? 日焼け止め?」
「いや……、今日必要なの」
「何で〜?」
と聞いたが、チラッと横目で玲奈を見たきり、それ以上の説明をせずに、そのパーカーを自分の腰に巻いて歩き出してしまう。まぁ、本人が必要って言うならいっか。今日は翔一も半袖だから、冷房避けかもね。と、すぐにその存在を忘れてしまった。
さすがにカレー屋やハンバーガー屋は多くの人で賑わっていて諦めようかと思ったが、早い時間が功を奏して少し待てば座れそうだったので、並んで無事席に着いた。
「玲奈、これ膝に掛けて」
座った早々そう言って渡されたのは、さっきのパーカーである。
「へっ、何で?」
「いいから」
「えー、白いから汚しちゃうー」
「汚してもいいから、掛けなさい。じゃないと、食べずに店を出るよ」
「えぇ〜」
珍しく、目が笑っていない。何だか知らんが、しょうがない。口を尖らせて、不承不承言われた通りにした。それさえすれば、後は特に怒っているわけでもなく、楽しくハンバーガーを頬張る。まぁ、きっと冷房よけのつもりなんだよね。今日は生足だから、女性は下半身冷やしちゃいけないとか、思っちゃってるのかな。うん、昭和男子だから、ありえる。まぁ、いっかー。
最後まで迷っていた軍港めぐりツアーは、当然玲奈は行きたがり、案内ガイドさんも楽しく、玲奈の大興奮のうちに終わった。翔一は何度目かのはずなのに、一緒に楽しんでくれた。
翔一の凄いところは、知っているだろう色んな情報を、先走りして説明することなく、ちゃんと黙っていてくれることだ。それで玲奈も純粋に楽しめる。賢い紳士で助かります。私だったら我慢し切れずに、すぐにネタバレさせてしまうに違いない。ありがとね。
「ちょっと、休憩する?」
「うん、ここのジェラート有名なんだって。食べるー」
「よし」
おやつの時間には、ちゃんと冷房の聞いた屋内で休ませてくれる。ほんと、優秀なツアーコンダクターさんである。が、テーブルに座った途端、またあのパーカーを渡された。
「う〜ん、しないとダメ?」
「ダメ」
「冷房そんなに強くないから、寒くないよ?」
「ダメ」
やっばりか。ここでも少し抵抗してみたが、許可は出ない。ちょっと、暑いんだってば。ま、ジェラート食べるんだから、いっか。
お土産を見たり、ショッピングを楽しみんでいるうちに、そのまま夕方になり、港から2本程入ったバーに行くという。店は既にOPENしていた。ネオンの灯りがいかにもアメリカっぽく、実際外国のお客さんも沢山外から見えた。
「ここ?」
「玲奈、今日ね、ここで僕の友達の誕生日パーティーがあるんだ。彼に紹介してもいい?」
玲奈は驚いた。全く聞いてなかったし、サプライズもいいとこだ。でも、凄く嬉しくなる。翔一の友達の誕生日に誘ってくれることも嬉しかったが、それよりも友達に紹介してくれることは、1番嬉しいことかも知れない。
「うん、嬉しい。ありがとう。会えるの、楽しみ」
「よかった」
そう言って足を踏み入れた。
ここはジャズバーだ。正面に1段高くなったステージがある。内装は、黒い柱に黒い壁。吹き抜けの高い天井に、今時珍しくミラーボールが回っている。右手の壁側にはカウンターがあり、洋酒やビールサーバーなどが並んでいる。ステージにはライトがあるが、店内は比較的暗く、客席はテーブルも椅子も全て黒で統一されていた。カウンターと各テーブルの上にはスポット照明がかなり上から当たっていて、手元のグラスや料理はしっかりと見える造りになっている。もうステージには人がいて、ベースとギター、ピアノに女性のジャズ歌手が音を奏でていた。さすがに禁煙ではないらしく、煙が所々でくぐもっている。
奥から今日の主役らしい男性が、2人を出迎えた。髪は意外にも黒。アゴの先にだけヒゲがあり、一見するとストリート系かと思うような、見るからにミュージシャンぽい顔をしている。
「ワッキー、久し振り! わざわざ、サンキューな」
「よっ、誕生日おめでとう。晴れて35歳か?」
ワッキーって呼ばれてるんだ。玲奈は拳同士を合わせて挨拶している2人を、興味津々の顔でワクワクと見ていた。
「そうだよ、同級生だろうが。元気だったか?」
「お蔭さんで。何とかやってるよ。お前の活躍は、皆んなから聞いてる」
「どうも。おっ、可愛い子連れて〜。紹介しろよ」
「佐渡玲奈さん。こちら、ジャズピアニストで僕の中学の同級生、高岡憲次」
「佐渡です。お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう。どうぞ楽しんでいってください。こいつ、なかなか彼女紹介してくれないから、ゲイなのかと疑ってたけど、これで晴れてストレートって分かって、安心しました」
と玲奈に握手を求める。それに応えつつ、玲奈もとっておき情報を披露する。
「あらっ、私も疑ったことあります」
「おぉ、そうですか。また、何で?」
「憲次〜、お前ひと言余分。玲奈も、変なところで意気投合してるんじゃないの、まったく」
嫌がる翔一を横目に、「あのですね」「ほうほう」などと、こそこそ説明しようとしだしたら、翔一が「近い、近い」と無理やり2人の間に割って入った。冗談ですよ。貴方が紳士過ぎて疑ったなんて、言いませんよ。もちろん、憲次もちゃんと冗談だと分かっていて、拗ねた1人を残して、2人で大笑いした。
まずは食事のためにテーブルに付く。その途端、またパーカーが登場した。
「玲奈、はい、これ」
「ん〜? ちょっと、暑い」
「はいはい、我慢して」
「なんで〜!?」
「いいから」
も〜。やっばり、翔一が有無を言わせない感じで指示してくる。なんだろなぁ、なんかマナー違反でもしてるのかなぁ。玲奈はしょうがないと諦めた。どうしたことか……。
誕生日パーティーだけあって、まずは憲次のステージが30分程続いた。バラードから、しっかりしたテクニックに裏づけされたピアノセッションなど、玲奈も圧倒される演奏だった。
翔一によると音大在学中にアメリカに渡り、そこでジャズの魅力に取り憑かれてしまったとのことだった。本来クラッシックとジャズは、対極を成しているといっても過言ではないほど、求められるものが違う。そこの葛藤を抱えたまま、何とか音大を卒業した後、すぐにアメリカに単身渡り、今でも本拠地はアメリカにあるとのことだ。今回は、日本から大きなイベントのオファーがあり2ヶ月程滞在することになったため、それを知った音楽仲間や友人達が、このステージを企画したらしい。後半は、その音楽仲間達が交代でステージに立った。
まずプレーヤーの挨拶があり、演奏が始まる。ボーカルがあるもの、トランペットやギターが中心のインストルメンタルのもの、ギター1本で弾き語るアコースティックなものまで様々あった。何人目かに、男性が1人でステージに立った。白いシャツにGパン姿だ。ピアノには憲次が座った。
「おっ、今日は彼も来てたか」
隣で翔一が口にする。
「誰?」
「谷也修二。オペラ歌手だよ」
「ちょっと、畑違いじゃない?」
「憲次の学生時代の先輩。憲次、ちゃんと音大出てるからな。彼のこと、すごく尊敬してるって言ってた。何度か彼のステージで共演したらしい」
「へぇ。音楽って、色々繋がってるんだね」
その憲次が、今までとは違う音楽を弾き始めた。ホントだ。クラッシックも弾けるんだ。と思った瞬間、谷也が歌い始めた。まだ会場の所々で小さな話し声が聞こえていたのが、一瞬のうちに静まり返る。高い声の質だと玲奈でも分かる。張りがあってビリビリと耳の奥が振動して、マイク握ってないけど、どこにあるんだろう……。途中から、女性が加わった。ステージの端から登場している。2人ともシャンパングラスを片手に歌っていて、玲奈も聞いたことがある曲だ。男女が交互に歌い、途中で一緒になる。すると、2人の声が溶け合って、ワンワンと耳のビリビリが増幅する。オペラって、こういうものなんだとびっくりしつつ玲奈は聴いていた。途中、多分「乾杯」と歌っている。英語だか何語だか玲奈には分からないが、グラスをその度に上げているから、多分そうなのだろう。観客から手拍子が上がった。3番(?)まで繰り返して、最後に男性の方が高い音を伸ばして、グラスを上げた。
ヤンヤの大喝采が沸き起こる。憲次と握手を交わし、2人はステージから降りた。
「『こうもり』だな。シャンパンの歌」
「すごい。翔一さんクラッシック詳しいの?」
「いやいや、たまたま知ってただけ。彼は世界的なテナーなんだよ」
「隣の女性は?」
「奥様。仲良いだろ、あの2人。いつ見ても仲が良い。奥さんの方が年上なんだって」
「へぇ、見えないね。でもほんと、仲良さそう」
遠くから眺めていても、仲の良さが分かる。会場から「アンコール」と声が掛かり、谷也がもう一度ステージに上がる。
「では、アンコールに応えて。妻に捧げる歌です」
とマイクを置いた。ヒューと口笛まで吹かれるが、特段照れるわけでもなく、逆に奥様のほうをしっかり見て、1度微笑んだ。奥様を見ればステージを降りたすぐのところで、谷也を見つめてにっこり応えていた。
ピアノが静かに和音のリズムを刻み始めた。アヴェ・マリアと始まった曲は、何年か前にテレビCMとして流れていた曲だ。玲奈でさえ分かった。さっきまでここは確かにライブハウスだったのに、あっという間にコンサートホールに変わってしまう。吸い込まれるように、皆が息を詰めて聴いていた。
隣で座っていた修一が、玲奈の手を握る。玲奈も曲を聞きながら、更に恋人繋ぎに繋ぎ直した。彼の声を聴いていると、この隣の人と出会えたことは、全て決まっていたことなんだと思えてくる。ずっと一緒にいたいと自然と相手のことを思い描いてしまう。不思議な感覚だった。
静かに最後のピアノの音が終わる。一瞬の間を置いて、ワッと拍手が沸き起こった。「ブラボー」と声が掛かる。色んな人から何度も掛かる。誰もそれに文句は無かった。これが本当の「ブラボー」なのだと、玲奈は人生初の「生ブラボーコール」にも納得した。
「玲奈……、大好きだ」
「うん。私も……」
翔一が玲奈の手を握り締めながら囁いてくれた。玲奈も自然と応えることができた。あちらこちらのカップルも、何だかしっとりした雰囲気になっている。もう一度奥様をステージ上に呼んだ谷也は、皆の拍手に2人でお辞儀をしていた。
次は、サックス奏者がステージにスタンバイを始める。
見事な夕焼けに包まれていた横須賀の空は、すっかり夜の喧騒に変わっていた。
何度か憲次のアンコールもあり、1時間30分程のLIVEは幕を閉じた。憲次が最後に挨拶をする。
「では、ここからはダンスの時間と致します。ホールを開放いたしますので、生バンドで皆様どうぞダンスをお楽しみ下さい。本日はありがとうございました」
玲奈達が座っていたテーブルが、椅子だけを残し片付けられていく。椅子は壁際に全て並べられ、会場の真ん中がポッカリと何もない空間になった。曲が始まれば、どこからとも無くカップルが真ん中に集まってきて、皆ダンスを優雅に踊り始めた。その中には、憲次が若い女性を伴って参加していたし、先程の谷也夫妻も踊っていた。外国人も多くいるから、自然に人が溢れていく。踊りはこれと言った決まりはないらしく、綺麗なステップを踏んでいる人達もいれば、チークダンスのように引っ付いているだけの2人もいる。何だか映画を見ているようで、玲奈はその空間を思う存分楽しんでいた。1曲目が終わり、拍手が起こる。すぐに次の曲が始まり、休憩する人がいたり、新しく加わる人がいたり、どんどん入れ替わってダンスをする人がいなくなることはなかった。
「玲奈、踊ろう」
翔一が席を立って玲奈を誘う。何、いきなり。翔一さん、踊れるの!?
「えっ、無理。私、踊ったことなんてない。ほんと、ムリ!」
「大丈夫。ゆっくり回ってればいいから」
「えー」
引っ張られるようにフロアに出る。手の位置はどうだっけ、足のスクエアは「スロースロークイッククイック」で……などと高校生のときに習ったことを思い出しているうちに、新しい曲が始まる。すると、驚いたことに翔一が綺麗な姿勢でステップを踏み出した。それに引っ張られるように、玲奈の体も動く。翔一のリードで自然にステップを踏んでいた。踊れる……。何……!?
後ろへ引くべき足は、翔一の膝でグッと押され自然に下がる。それで次の足は翔一の体重が移動されているから、それに引っ張られるように、これまた自然に横に動く。次にこちらが足を出すべき時には、出す足の反対側の太ももで押され、出す側の背中をグッと引かれることにより、自然に足が出るのだ。体を回すときはこれを大きくすることで回れる。下半身を使うから、胸の辺りが離れたままの姿勢でも動く順番が分かるのだ……。すごい!
「上手、上手」
翔一が小さく声を掛ける。こんな木偶の坊状態の私を「操作」しつつも、まだ話せる余裕があるって、どゆこと!? 何者なの、翔一さんは!
とにかく体の力を抜いて、翔一に委ねることにした。踵だけは着かない様にして、あとは下手に逆らわずに任せているうちに、こちらも段々分かってくる。そうすると、今度は翔一がもっと大きく回り出して、動く範囲も広くなっていく。何が「回ってればいいから」なのよー! もう、後で承知しない!
曲が最後の方になれば、少しは翔一の足を踏むことも無くなってきてホッとしていたのだが、今度は片手を上げられ、反対の手で体を押され、クルッと私だけが回されるまでになる。これ、テレビなんかで見たことあったけど、まさか自分がやる羽目になろうとは、思いもよらなかった。
曲が終わる。確か、お互いに挨拶するんだっけ……。翔一が優雅に胸に手を当てて挨拶をする。周りの女性を見よう見真似で玲奈も腰を落とした。
「玲奈、上手だなぁ。すぐに覚えるし、少し練習すれば、すぐ上手くなるよ」
「もう、翔一さん! 私、真剣に怒ってるよ。何が、『回ってればいいから』なのよ! 心臓が口から出るかと思った。何回か、足も踏んだでしょ! もぅ、信じらんない」
翔一が笑いながら壁際まで玲奈をエスコートする。玲奈を椅子に座らせて
「飲み物もらってくるよ」
とカウンターに向かって行った。何嬉しそうに笑ってるの! ウーッ! オオカミになったかのように内心唸っていた玲奈に、誰かが声を掛ける。
「次、踊っていただけませんか?」
玲奈は目を見開いて、身動きできない。目が褐色で背の高い男性が手を差し伸べてきた。 ぅわっ、何? 冗談じゃない。ムリムリムリ、もうムリ。
「ごめんなさい。少し休ませて」
にっこり笑って言葉にすれば、「では、また後で伺いましょう」と外国人の彼は、すんなり去っていく。顔ばかりか日本語まで綺麗で、玲奈の心臓バクバクが収まらない。ここは、イギリスなのか。ジェントルマンの国なのか。もう、何から何まで緊張の連続だ。
「はい、どうぞ」
戻ってきた翔一が差し出したグラスを、奪う様に飲み干した。
「はー……」
長い長い溜息をついて、やっと人心地付く。次の曲が始まったらしい会場は、また熱気が戻ってきた。緊張が解けてきたのか、ぼぉっと意識が緩み出す。さっきの飲み物にアルコールが少し入っていた。私だけ飲んじゃった……、などと一応反省しつつ、そのまま会場を眺め続けた。隣からそっと頭を撫でられて、条件反射のように、ぼぉっとそちらに向いた。
「玲奈、もう大丈夫か」
と声を掛けられるが、返事ができない。怒りを通り越して、魂が抜けていた。誰、このイケメン……。
「れーな」
「……」
「そんなに楽しかったなら、もう1曲踊る?」
「はぁ!?」
くっくっと笑いながら、翔一が放った言葉に、魂が戻ってきた。何、何、何ー! 思わず手が出ていた。両手を拳に握り、翔一の体を叩く。横から何度も、叩く。
「ごめん、ごめん……」
翔一は声に出して笑いながら、その手を両の掌で受け止めている。いつまでも玲奈が終わらないから、玲奈を抱きしめてしまった。それで玲奈は手が動かせなくなる。周りからはきっとじゃれているようにしか見えなかっただろうが、玲奈にしてみれば、真剣に別れてやろうかと思ったほどだ。
「もう、別れてやる……」
「えー、僕は楽しかったけどなぁ」
「何が、どこが……」
ブツブツと独り言のように低い声で唸る。
「玲奈と踊ることが、ぜーんぶ、僕は楽しかった!」
そう言ったかと思うと、今度は両腕で玲奈の首や肩を抱え込むように、真剣に抱きしめた。
「だから、他の男とは躍らせません」
そう耳元で囁く。ちょうど近くを、さっきの褐色の瞳の彼が、他の女性と踊りながら移動して行く。翔一がその彼をじっと見ながら囁いていることに気が付いた。さっきの、見てたのか……。
それでも湧いた怒りは簡単には収まらず、「ゴラァ、こっちは真剣に怒っとるんじゃい!」と口に出掛かったところで、翔一が抱きしめていた腕を緩めたのと同時に、優しい香りがフワッと漂った。それで、やっと少し平常心が戻ってきた。腰に手を添えられたまま、横にいる翔一の耳元に小さく話しかける。音楽が流れ続けているので、そうしないと聞こえない。
「ねぇ、これも今日の予定の内だったの?」
「そうだって言ったら、殴られそうだな……」
と、また小さく笑いながら、今度は翔一が玲奈の耳元まで顔を近づけて答えた。
「元カノ達は、上手に踊れたの?」
「こんなこと、玲奈にしかしない。君なら、きっと一緒に楽しんでくれると分かってた」
「はぁ!?」
「ほら、やっぱり、楽しそうだ」
「もう〜」
「ははっ、分かった、分かった。そろそろ帰ろうか」
「うん!」
やっと安堵して、笑顔が戻った。
帰途に着いた玲奈は、それでも翔一にお礼を言う。
「今日はホントに楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ」
翔一がなぜダンスがあんなに上手いのか、聞けば大学時代にダンスフロアのあるバーでアルバイトしたのがキッカケだと分かる。ちゃんと教室に通って、踊れるようになったそうだ。男性は少ないし、翔一はイケメンなので、かなりチップも貰ったらしい。
店からの貸し出しホストとして時間制でダンスの相手をすることもあったとのことで、そういう場合は指名料も頂けたらしく、ボーイだけしている人の5倍は収入があったと笑っていた。ちゃんとイケメンを有効活用しつつ学生時代を過ごしたらしい。まぁ、この顔でダンスまで踊れては、モテて当然か……。頭痛のことが無ければ、きっと私など出会うことも無かっただろうと考えながら、さすがに2人共疲れていたので、口数が少なくなっていった。家に到着したころには、玲奈は助手席で眠ってしまっていた。
「玲奈」
起こされると同時に、翔一は玲奈の頭を引き寄せた。そのキスは、待ちきれなかったと全身が語っている。翔一の右手が玲奈の足に伸び、スッとそのまま内側を辿って行く。玲奈は思わずその手を押さえた。
「ちょっ、ダメだよ、翔一さん」
「玲奈……、今日、僕ずっと我慢してたんだよ」
と更に手を滑らそうとする。
「えっ、ずっとって……」
「玲奈、ダメだよ、素足は……。僕、玲奈の足、大好きなんだよ。なのに、そんなワンピースで、開いた裾から歩くたびに君の足が覗いて……。座ると服が足にまとわり付いて、余計足を目立たせる。他の男達が君の足に見惚れてたの、知らないだろ。頼むよ……。これからは、それは止めて……」
「……そんなの、ぜんぜん気付かなかっ……」
――今日、素足?
――汚してもいいから、掛けなさい
――はいはい、我慢して
あっ……。玲奈は昼間の翔一を思い出す。だから……。玲奈は改めて驚いた。
「僕、女性をこんな風に束縛したことないよ。人生で初めてだ。でも、今日はほんと参った。頼むから、そのワンピースも、もう外では着ないで欲しい……。他のをプレゼントするから、お願いだ」
「……」
切羽詰まった顔でそう嘆願された玲奈は、翔一の手を押さえることをやめた。
「家に、寄っていきますか?」
「いいの?」
玲奈はにっこり笑って、小さく頷く。
「車、あのコインパーキングになるけど、いい?」
「もちろん……」
先に玲奈は車を降り、玄関の前で翔一を待つ。部屋番号を伝えるのを忘れた。翔一が部屋の前までやって来たところで、玄関を開けて中に入った。
「玲奈」
入った途端、後ろから抱き締められる。そのままスカートの裾だけ上げて、手でゆっくりと愛撫が始まってしまう。足だけなのに、キスもしていないのに、玲奈も体中が火照り出す。
「翔一さ……ん、ダメ。部屋に、上がって……」
このままでは、身動きも取れない。玲奈は何とか振り向いて、翔一の両手を取って部屋にあげる。そのままゆっくり寝室まで連れて行った。
ベッドに座れば、翔一が足を愛し始める。これ程翔一が足フェチとは気が付かなかった。こんな足で良ければ、いくらでもどうぞ……。玲奈は翔一の頭をそっと抱え込んだ。
翔一は玲奈のワンピースを脱がさずに愛し続ける。背中の素肌の柔らかさまでも、両手で確認するかの様に愛おしむ。
玲奈は悦びの中に引きずり込まれながら、何度も頂点を迎えた。それでも翔一は愛し続ける。玲奈の余韻が終わる度に、それは何度も繰り返され、気が遠くなる思いで、翔一の最後を一緒に迎えた。
「翔一さん。このワンピース、メルカリしちぁおうか」
帰る翔一を玄関まで送りながら、そう聞いたら、
「いや、また、僕の前だけで着て」
と言うなり、惜しむかのような熱いキスをされた。今夜のことは、きっと玲奈も忘れることはできないだろう。どんどん、翔一の体から、離れられなくなっていく……。
降り出した雨の中、翔一の車が走り去るのを、ベランダから見送った。