合コン
合コン
「玲奈さん、レモンハイでいいですか?」
「ありがとうございまーす」
今日は5対5の合コンだった。ひと通り自己紹介も終わり、皆の会話は始まったばかりだ。
「へぇ、じゃあその特許加工の製作を一手に引き受けてるの?」
「そうですよ。だから、意外と全国から注文があるんです。従業員は少ないですけど」
「少ないって言っても100人いるなら、総務は結構大変でしょ」
「よくご存知ですね。うちの会社、まだまだアナログなことが多くて。なんといっても熟練工さんが多いし、職人さんはデジタル苦手な人も多くて、携帯なんてガラケーの人、4割くらいいるんですよ。大変です」
「そうなんだ。若い人少ないの?」
「なかなか来てくれないですね。女性は割といますけど。美由紀の話だと、皆さんの会社はまだまだ新人さんが沢山入ってくるって……」
「それがさぁ、すぐ辞めてくんだよねぇ。何が不満なのか……。俺達氷河期にとってみれば、贅沢な話でさ……」
玲奈は相手の会社の話をすることで、その人の立ち位置をそれとなく確認する。やはり30代になると、会社での役職に差が出始める頃だ。それぞれに、思うところもあるお年頃である。
「そうですよね。皆さん、そこを掻い潜った精鋭ばかりですもんね」
と氷河期をくすぐる「決め台詞」を放つ。
「おっ、分かってくれる? 若い子ではなかなかこうはいかないから、嬉しいなぁ」
今、何気に、若くないってデスられたな……と苦笑いしながら、レモンハイを口にする。確かにこのメンバーは「イケメン」ではないが、皆、紳士的でそつがない。大手の素晴らしい所は、こういうところだ。ガサツさや荒さが削られている。イケメンじゃないから、旦那様にしても浮気の心配もしなくてすみそうだし、優良物件かもしれないなぁ。もともと、あまりイケメンに執着しているわけではないし……。それになにより、久し振りにちやほやされて、無条件に嬉しかったりする。本気全開、大歓迎だー!
「お代わり下さーい」
一方、翔一は新人歓迎会に出ていた。今年の翔一の課には、女性1人と男性2人が配属された。今の若者は仕事に生きがいを求めないといわれているが、なかなかに積極的な3人で、翔一もホッとしている。やはりすぐに辞められては、上司は何かと評価も下がる。それに辞めていく人が増えてばかりでは、会社の将来は暗澹たるものになる。若者は既に奪い合いなのだ。奪う方も奪われる方も、それなりに覚悟がいる。
「脇田主任、ほんとに最近調子がよさそうですね」
派遣の広瀬がビールを注ぎながら話し掛けてくる。
「広瀬さんは、ほんと良く人を見てるなぁ。僕、分かりやすいかな」
「いいえ、主任は分かりづらいタイプの1人ですけど、この1ヶ月くらいですか、何だか違うんですよね。彼女さんでもできたのかなって」
一瞬、玲奈の顔が浮かんだ。先日の出来事は、翔一には衝撃的だったからだ。それに、彼女と会うと体が軽くなることを、今では確信している。不思議だが……。
「いや、そうだといいんだけどね。広瀬さんこそ、社内にいい奴いませんか? あっ、ごめん、セクハラだね。申し訳ない」
とビールを注ぎ返して、詫びる。
「いいえ、大丈夫ですよ」
「気になる奴いたら、言ってよ。応援するから」
「ありがとうございます。その時は、是非よろしくお願いします」
この素直な柔らかさが、皆の人気の理由だな……と眺めつつ、新人に目を配る。
「おーい、新人にあんまり無理に飲ませるなよ。そこ、坂口! そんなにガツガツ近づくんじゃない! 佐和田さん嫌がってるだろうが……。セクハラだぞっ」
「ひどいな〜主任。ガツガツしてませんって。必死なだけですって」
と皆の笑いを誘っている。坂口はこういう場には欠かせない、盛り上げ役の気さくな奴だ。自分の役割も分かっている。まぁ、嫌われない様に頑張れよ。
途中、遅れてやってきた課長を交えて、もう1度乾杯をした。どの顔も笑っているか確認する。こういう場での立ち居振る舞いは、個人の価値観が1番現れやすい。だからこそ最大公約数として、皆が笑顔でいられることを翔一は気に掛けていた。今日は大丈夫だ。
1時間程経って、トイレに立つ。ついでに幹事と打ち合わせをする。
「ご苦労様。予算、大丈夫?」
「料理が少し足りないらしくて……」
「じゃ、僕が出すから、適当に追加して。後、つぶれそうな奴はいないな」
「大丈夫です。いつも、ご馳走さまです!」
今日は課長もいるので、2次会は課長にお願いしようと算段した。
「今日、よくないか?」
「なぁ、いいよなぁ。俺、仁美ちゃんネライ」
「お前は相変わらずデカパイフェチだな。俺は晴子ちゃん。可愛いー」
「えぇ、身長ちっちゃいだけだろー」
「いいんだよ、俺より小さい子なんて、珍しいんだから」
「だよなー」
男子トイレでの一幕である。翔一は手を洗いながら、知らない男性たちの会話に何となく耳を傾ける。合コンなのだろう。皆で打ち合わせる時間になったかな……と、トイレを出ようとした。すれ違いに入ってきた男性に、さっきのメンバーが声を掛ける。
「お前は、どの子」
「僕は、玲奈ちゃん。良く飲むし、気さくで話しやすい」
えっ……、レナ……? まぁ、良くある名前か……。いや、ないか? 翔一は足を止めた。
「えっ、僕も玲奈ちゃんだったのに、お前みたいなイケメンが狙うなら、無理じゃん。ちぇーっ。大体、お前何で今日いるんだよ。皆んな本気なのに、お前と違うのー!」
「悪いな。お前、美由紀ちゃんにしたらどうだ。さっき、話盛り上がってただろ」
「はー、もう。玲奈ちゃんがよかったんだよ。お前、どうせまた、お持ち帰り狙ってるだろ」
「2次会まで、来るならなー」
ミユキちゃんって……。翔一は慌ててスマホに手を伸ばした。
ピロンと玲奈のスマホが鳴った。
「先日は、ありがとう。今、LINEしても大丈夫ですか?」
わっ、ほんとに連絡来た。早くない? 遊んでる人なのかな。誠実そうに見えたけど……。翔一からのLINEだった。スルーしようか迷ったが、軽く返事だけしようと送る。
「今、飲み会で。すみません」
「外、ですよね?」
「はい」
「もしかして、2次会まで行きますか?」
何!? 関係ないじゃん。見た目によらず、しつこい?
「ちょっと飲みすぎているので、分かりません」
「何スマホなんか見てるの? 彼氏から?」
玲奈は慌てて画面を閉じる。いつの間にやら隣の男性が替わっていた。
「いいえ。彼氏がいたら、合コンには参加しませんよ〜」
一応笑って答える。この人、今日唯一の「希少な」イケメンである。でも、玲奈はちょっと気に入らなかった。なんだかスカしてる。自分がモテるって分かっていて「女は皆んな俺のもの」みたいな? どうして今日、この人いるんだろ。私だって真面目に探してるんだから、何だかバカにされてるような気がする……。
ピロンと、またLINEの音がした。
「2次会行くなら、これから僕と飲みませんか?」
へっ? 何?
「ねぇ、美由紀。ちょっと……」
斜め前で盛り上がっている美由紀を手招きする。イケメンの隣から離れて、美由紀にLINEを見せた。
「どう思う?」
「なんか、強引だね。ちょっと、イメージと違う」
「だよねぇ……」
次が来た。
「多分、すぐ近くにいます」
ギョっとする。思わず2人は顔を見合わせて、目で会話する。怖い……。
「1度外に出てみてくれますか?」
2人で恐る恐る個室から出た。店の外かと思い、テーブル席の間を移動していた時、
「玲奈さん」
と呼ぶ声がした。振り向けばそこに、翔一が立っていた。
「やっぱり、そうでしたか」
そう言って微笑んでいる翔一は、上着を着ていない。荷物も持っていないし、どういうこと……!?
「僕も今日ここで、新人歓迎会やってるんです」
「ええー!」
「どうして私達がいるって、分かったんですか?」
「合コンなんじゃない?」
「はい……」
「トイレでね、男性陣が話してて。2人の名前が出てきたから、もしかしたらって」
「……」
「お邪魔だったかな」
「いえ……、もう体調はよろしいんですか?」
「お陰様で。玲奈さん、飲みすぎは大丈夫ですか?」
えっ、名前だ……。ん? 飲みすぎって……、あぁ、さっきのLINEね。
「僕、送りましょうか? それとも、まだ飲みます?」
「でも、脇田さんも2次会あるんじゃないんですか?」
「課長がいるので、大丈夫ですよ。何度も助けてもらったままだから、お礼をしたかったし」
「玲奈、行きなよ。2次会希望者が多いから、私は行けないけど」
「うん……」
美由紀は玲奈を引っ張って、小声で耳打ちする。
「あのイケメン、嫌なんでしょ。あっちは、玲奈のこと狙ってるよ」
「えっ、そうなの」
頷きながら「だから、そっち行きな」と逃がしてくれるらしい。
「あの、じゃ、よろしくお願いします」
「よかった。じゃ、もう少しこちら掛かるけど、大丈夫?」
「はい。こっちもあと少し掛かります」
美由紀が代わりに返事をしたところで、翔一の部屋から声が掛かる。
「主任〜、課長がどこ行ったって、騒いでますー」
「今行く。じゃ、ごめん、戻るよ。あとは、LINEで」
スマホを掲げながら、そのまま個室に戻って行く。
「こんなこと、あるんだ。びっくりだね……」
「ほんとだね」
2人で呟きながら、こちらも個室に戻った。
「僕がよく行くラウンジがこの近くにあるんだけど、行きますか?」
「あの、いいんですか? 本当に2次会行かなくても……」
「ええ。次はカラオケなんです。課長が好きでね。僕は苦手で……」
「そうなんだ……。じゃ、飲み直しますか」
「強いんだな、玲奈さんって」
「強くはないですよ。でもお酒飲むと、楽しいから。ふふっ、嫌いではないです」
そのラウンジはビルの最上階にあり、夜景が綺麗だった。夜景側の席にするか、カウンターにするか翔一に聞かれたが、迷うことなくカウンターを選ぶ。
「カクテル作るところ、楽しいですよね」
「そうだね」
玲奈は改めて翔一が優しい人なのだと気付く。まず、話し方が静かで声が柔らかい。こちらの言う事にペースを合わせてくれている。この人といると、ケンカってないような気がする。
「悪かったかな、気に入った人いたんじゃない?」
「いえ……」
「男性陣はね、何人かいたよ、君狙いの人」
「えっ、そうなんですか……」
「うん。でもちょっと、お勧めできない感じだったから、連絡したんだけど」
「ちなみに、どんな……」
「背は僕ぐらいで、カッコいい人。ここにホクロがある」
といって、口の右下を指さす。あぁ、「イケメン」ね……。
「お勧め、できませんでしたか?」
「うん、ちょっとね」
「よかったです。私もちょっとお勧めされたくなかったので、助かりました」
「ははっ、そう。なら、よかった」
と、にっこり笑う。ふわりと優しい香りがした。柔軟剤かな。なんだか香りまで優しい。きっと家族思いのパパさんだ。
「あの、早く帰らないと、蓮君寂しがりませんか?」
「蓮、ですか? いや、僕に会えなくても、大して寂しがらないんじゃないかなぁ。一緒に住んでるわけでもありませんし」
「……そうなんですか」
単身赴任? パパは忙しくて、あんまり会えてないのかなぁ。
「じゃ、あの日は蓮君喜んでたでしょ」
「あの日?」
「スーパーで、えっと、亮太さんとお会いした時です。遠くからお見掛けしました」
「ああ、あの日は、蓮に妹が生まれた日でね」
「わぁ、おめでとうございます。よかったですね、女の子。間に合ったんですか? 生まれた時に」
「ええ、間に合いましたよ。蓮は寝ちゃってましたけど」
「立ち会われたんですか?」
「いいえ、とんでもない」
嫌がるタイプ? 立ち会いがダメな病院だったのかな……。
「じゃ、亮太さんには、もう1人姪っ子さんができたわけですね」
「ええ。蓮も亮太に懐いてるから、妹もそうなるだろうなぁ」
「いい叔父さんですね……。あっ、そういえば!」
と両手を胸の前で叩いて、何かを思い出したようだ。
「亮太さんって、今付き合ってる方いるんですか?」
「……」
亮太狙いだったか……。そうか……。
「多分……。でも、その人と結婚とかの約束をしたわけではないようですよ」
「じゃあ、チャンスがないわけでもないんですね」
「……積極的ですね」
「LINE教えていただくのは、難しいですよね……」
「さすがに、本人に了解を取らないと……」
「そうですよねぇ」
「……」
「あ、お兄さんなら、亮太さんの好みの女性って分かりますか?」
「まぁ、なんとなく」
う〜ん……、ちょっと玲奈さんは外れてるかな……。年上だって言ってたしな。
「この子なんですけど」
とスマホの画面を見せる。
「……」
「この、1番右端の子です。営業課なんですけど、亮太さんが気になってるみたいで。よく納品の受け取りを私がしてるのを知っていて、頼まれてたんです。連絡先をゲットして欲しいって。なかなか仕事以外のお話はしづらくて……」
「……」
「彼女にチャンスはありそうですか?」
スマホから顔を上げて玲奈を見ていた翔一が、突然笑い出した。
「……どうしました? まったく、圏外ですか?」
「いや、何でもありません。……可愛い人だから、チャンスは無くも無いと思いますよ」
まだ笑いながら答えてくれる。
「ホントですか!? よかったー。でも、ライバルがいるわけですね。前途多難だ……」
そう言ってムゥッと考えている横顔を見ながら、翔一は自分の気持ちに気が付く。ホッとしている……。
「今日は、どれくらい飲んだの?」
「チューハイ4杯ほど……、テヘッ」
テヘッて……。酔っ払ってるのか、強いのか、どっちだ……。
「シャンパン飲みますか? お礼も兼ねて。まだ、いけそう?」
「わぁ、いいんですか! あっ、でも、あんまり遅くしちゃうと、奥様に申し訳ないので、このカクテル飲んだら、帰りましょ」
「……、奥さん?」
「ええ」
「僕の?」
「ええ」
「……」
さっきより大きな声で笑い出したかと思うと、慌てて話し出した。
「えっと、ちゃんと自己紹介もしてないから、こうなるんだ……。改めて……、僕、脇田翔一です。仕事は事務用品全般を扱う会社での営業。趣味は読書です。35歳、独身です」
「……えっ!? だって、蓮君……」
「蓮は妹の子供で、一番下が亮太です」
「はぁ?」
「道理で話が噛み合わないわけだ。立会い出産、妹にはしないからね、普通」
「ひゃ〜、やだー。すっかり、思い込んでた」
シャンパンを片手に、ひとしきり笑い合った。その後、真凜ちゃんの写真を見せてもらったり、明日香さんや雅也さんの家族写真も見せてくれた。誤解が解けたところで、少し真面目に翔一が玲奈に話しかける。
「僕、玲奈さんに聞きたいこと一杯あるんです……」
「……何ですか? 何でも、どうぞ。スリーサイズ意外なら、何でもお答えしますよ」
「スリーサイズはダメなんだ。それは、残念」
また笑って、「で、何ですか」と顔だけで聞き直す。
「地下鉄の時も、この間も、僕の頭痛が分かったのって、どんな感じでしたか?」
「どんなって……、この間も疑われてましたけど、私おかしいですか?」
「……、超能力でもあるのかなって……」
真剣な目で、そんなこと聞く? 酔ってる?
「皆、気が付かないんです、いつもは。僕も、声を出したり、辛そうに顔に出したりした覚えは、ないんですよ」
優しいのに、まるで何かに縋りつくかのような目をしている。そんなこと言われても……、
「……じゃ、あんなに痛そうなのに、いつも平気な顔して我慢してるんですか?」
「訓練しました」
「訓練……」
どうして、そこまでするんだろう……。
「ちゃんと真剣に答えますね。私に、超能力なんてありません。ただ、脇田さんが苦しそうにしている声は本当に聞こえたし、眉間にしわを寄せて痛がっているようにしか、見えませんでした。脳の血管が切れたのかもしれないと、心配したぐらいですから」
「……そうですか」
「納得する答えでは、ないんですね。すみません」
「いえ、とんでもない。世の中には、不思議なことは一杯あるから、そんなこともあるかもしれないですね。それに……」
「はい」
「君に会うと、頭痛が止まるんです。その後、体の調子も良くなる」
「えっ」
「何でしょうね……。こんなこと言われても、玲奈さんが困ることは分かってるんですが、僕も初めてのことで戸惑ってて……」
「頭痛って、そんなによくあるんですか?」
「ええ、もう20年近くになります」
こんなことは、今まで他人に話したことが無かった。これは弱点だし、人に話してどうこうなるものでもない。僕は何故、今、話してるんだろう……。
「じゃあ、お医者様は当然行ってらっしゃるんですね」
「ええ、脳に異常はないそうです」
「そうですか……。原因が分からないのは、辛いですね」
「……ええ」
2人とも沈黙してしまった。美味しいはずのシャンパンも、そのまま手付かずだ。
「ごめん、せっかくのシャンパンが不味くなるね。飲もう。そういうわけで、今日もとても調子がいいから、とにかく、ありがとう」
「はい……」
玲奈は複雑な思いでグラスを空ける。
「もしかしたら、これがきっかけで、頭痛がなくなるといいですね」
「ええ」
少し寂しさを含んだ笑いを、翔一は纏う。きっとこんな言葉は気休めにもならないだろう。それでも受け入れてくれる。その瞬間、玲奈の胸が「トクン」と鳴った。
朝、目が覚めると、あの光景が必ず目に浮かぶようになった。翔一が女性を、ゆっくりと抱きしめる……。雅子はベットの端に腰掛け、今日も動き出せない。いつまで、こうやって苦しむつもりなのか。いっそ、見合いサイトにでも登録して、結婚してしまおうか……。そんな思いを何とか振り切り、腰を上げた。今日はバイヤーとして、展示会に向かう日だ。気持ちを切り替えなければ……。
4月も間もなく終わる。雅子のブランドの夏物は、ほとんど買い付けが終わっていたのだが、今日は別のブランドの展示会に来ていた。今年の傾向と対策のためである。敵情視察のようなものだが、ちゃんと許可証を取って入場している。
百貨店なので、各店舗で譲渡しあう対策がなされている。お客様が欲しがっているものが、どうしても自社ブランドになければ、隣のブランドで探してもらえばいいのだ。珍しい取り組みだが、百貨店側の方針なので受け入れて実行されるようになった。ほんの少しずつではあるが、効果が出始めている。
「山崎さん、ちょっと顔色悪くない?」
「大丈夫です。少し寝不足なだけで……。目の下のクマ、目立ちます?」
「そうねぇ、綺麗な顔だから余計ね」
店長に言われ、「すみません」と頭を下げた。
「大体これで今年の夏は分かったわね。ここのものは、ほとんどウチでも網羅してるから、心配なしと……」
「そうですね。でも、ここのバッグ類はウチにはないものばかりですね」
「そうね。ちょっとこっちの方が、いいわね。ウチもこういうの作ればいいのに」
「ええ。洋服と違ってサイズも関係ないし、小物は苦戦しそうですね……」
「まぁ、そこを何とかするのが私達の腕次第ってことで、頑張ろう」
「はい」
夕方になったため、予定通り雅子はこのまま帰宅することになっている。店長は店に戻るとのことで、展示会場の最寄り駅で別れた。夕食を行きつけの蕎麦屋で済ます。ここにも何度か翔一と一緒に来た。つくづく、自分の性格が嫌になる。
雅子は新しいことが苦手なのだ。同じ店、同じ場所、同じ環境が一番ホッとできる。だから、余程相手の強い要望がない限り、デートでも同じ場所に行くことを望んだ。その結果、今日の様に翔一の思い出に繋がってしまうこの店にも、足を運ぶことになってしまう。自分で自分を苦しめている……。「今日はザルにしようかな」翔一の声が耳に蘇ってくる。またため息を吐いていた。
電車を乗り換えるため、早足で帰宅の波に乗っていた。と、急に波が止まる。どうやら前方でテレビの取材クルーが撮影をしているらしい。こんな場所で、こんな時間とは、全く迷惑なことである。雅子は遠くから囲むように眺めている人だかりを何とか潜り抜け、別の路線の改札に向かう。お陰で、予定の電車には乗れなかった。もう少し、時間を考えて撮影して欲しい……。などと悶々としつつ改札に向かっている時、いつもの風景のその中に、突如、その人を見つけてしまった。
「どうして……」
彼女である。誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。今来たばかりなのだろう。改札近くの柱の壁際で立ち止って、スマホを見出した。髪は少し明るく、緩くウェーブしている。フェイス周りで遊ばせている髪から透けて見える、好奇心旺盛そうな横顔は、あの日翔一が抱き締めた、あの女性のものだった。
どうしてそうしたのか、今から考えても分からない。足が自然に彼女に向いていた。
「すみません」
突然話し掛けられた彼女は、驚いたようにスマホから顔を上げたが、すぐに警戒心のない笑顔を見せた。「何でしょう?」と顔が語っている。
「はい」
「彼の体調は、良くなったのでしょうか……」
「はっ?」
彼って誰? この人、知ってる人だっけ……。う〜ん、こんな美人は普通忘れないよなぁ。玲奈は瞬時に分からないという表情を顔に張り付けた。
「……翔一さんは、元気ですか?」
名前を聞いて、玲奈の頭の中の記憶がフル回転した。そして根拠もなく名前が浮かぶ。
「……雅子さん……、ですか?」
衝撃を受けた顔を見て、そうなのだと確信した。
「お元気です」
この一言が、今の2人の立場を決定付けた。現在の玲奈と、過去の雅子。
玲奈はそれ以上の言葉を言わなかった。本当は言わないといけないと分かっていた。自分は翔一の彼女ではないし、彼の心にはきっとまだ雅子がいる。それをきちんと言ってあげれば、この人はこんな顔をせずに済むはずだ。でも……、言えなかった。
悲痛な顔を隠すこともなく、雅子は玲奈を見つめ続けた。そして、絞り出すように言う。
「いつから……」
この呪縛からだけは、解き放ってあげようと思う。
「1ヶ月程前です」
――すまない、雅子
あの時、すでに離れていたと思う。だから、この答えで間違いはないと信じた。重なっては、いない。
「そうですか」
もうそれ以上の言葉はなく、雅子は小さく息を吐くと、その場を去って行った。
「ごめんね……」
玲奈は、翔一への詫びの言葉を、小さく呟いていた。