夢
週末、翔一は改めて妹の明日香の見舞いに出掛けた。新生児の見舞いには、12歳以下は禁止の病院もある中、明日香は制限のないこの病院を選んだ。やはり蓮といつでも会えるようにしておきたかったし、完全個室が予約できたのも大きかった。
「おはよう。おっ、まだ誰も来てなかったか」
「さっき旦那から、蓮を連れてもうすぐ来るって連絡があったから、待っててあげて」
頷きながら小さいベッドに収まった赤ん坊の顔を覗きこんでいる。
「おぉ、やっぱり小さいなぁ……。今の子って、生まれたばっかりなのに整ってるな。可愛いいや」
「今の子って……、兄さんどんだけ年取ってるの」
「だって、お前の時も亮太の時も、お猿さんみたいだったぞ」
「へぇ、5歳の時の記憶、あるんだ」
「まあな。その記憶だけはな」
「そっか……」
明日香は自分の5歳の時の記憶を思い出してみて、ほとんど思い出せないことに気付く。思い出せるのは幼稚園でのささいな出来事くらいで、先生の顔も思い出せない。だから、覚えているという兄の言葉に、いかにその記憶が鮮烈だったのかと実感し、気持ちがほっこりした。ちなみに、亮太の時は私も5歳になっていたのだが、全く記憶にない……。
「名前、決まった?」
「うん。マリン」
「どんな字?」
「真実の、凛とするの凜」
「真凜かぁ、いい名前だな。よく寝てる……。抱っこしても、いい?」
「いいよ」
小さい塊をそっと胸に抱く。蓮が新生児だったのは随分前だから、この小ささは懐かしい。
「真凜ちゃん、伯父さんですよ〜。よろちくでちゅよぉ〜」
なぜ大人は、赤ちゃんを抱くと赤ちゃん言葉になるのか……。不思議だが、あまりに自然で強大な流れに、とても抗えない。
「慣れたもんねぇ」
「蓮の時、まだ実家にいたからなぁ。1ヶ月面倒見ただろ。忘れちゃった?」
「あぁ、そうだったね。どう? 1人暮らしは。もう、慣れた?」
「慣れるも何も、元に戻っただけだからな」
「そっか……。もう、体調はいいの?」
「ん。ここんとこ、調子いい。頭痛がない」
「へぇ。凄いじゃない。何かしたの?」
「いや、何にも。だから、続くかどうか分かんないなぁ」
「そうなんだ……。続くと、いいね……」
「おっ、起きた。目、まだ見えてないか〜。でも、第1印象は大事だからな」
などと言いながら、また「伯父ちゃんでちゅよ〜」と繰り返している。
この兄は優しい。昔からだ。小さい時は、いつも兄の後ろについて回っていたが、邪険にされることはなく、よく一緒に遊んだ。学校に上がれば、私の方が活発だったので、兄はいつも黙って言うことを聞いてくれた記憶がある。青春時代は、ほとんど兄を意識することはなかったが、成績が良かった兄といつも比較され、拗ねた挙句よく八つ当たりした。それでも酷いケンカになることはなく、むしろ弟の亮太との方が、つかみ合いのケンカは多かった。
ところが兄は、高校卒業の前辺りから体調不良が多くなった。主な症状は頭痛で、随分色んな病院に見てもらったのだが、原因が分からなかった。当初こそ体調不良を周りにも伝えていた兄だったが、いつからかそれを言わなくなっていった。周りの者は、言われないから治ったのだとばかり思っていたのだが、実際は本人が我慢しているだけで、症状がよくなった訳ではなかったのだ。それが分かったのが、大学に入って1人暮らしを始めてからだ。兄が20歳の時だった。
「みなと赤十字病院ですが、息子さんが救急で運ばれまして……」
兄は駅を出たところで倒れたらしい。幸い駅舎の中だったため、すぐに病院に搬送され大事には至らなかった。が、意識が混濁していたため、再度病院にて精密検査をしたのだが、やはり原因は分からず、結局検査入院と称して3日程入院した。
「もう大丈夫だって言ってたでしょう!?」
という両親の質問には、「ごめん」とだけ答え言い訳はせず、ずっと続いていたことがその時初めて家族の知るところとなった。両親が知っていれば、きっと1人暮らしはさせてもらえなかっただろうし、大学も違う所になっていただろうと考えれば、兄の苦労が偲ばれた。
結局、無理はしないという兄の説得で両親は折れ、無事その後は何とか1人暮らしの生活を送れていたのだが、5年前また兄が倒れたのだ。今度は会社から連絡が入った。無断欠勤したとのことだった。慌てて母が兄の家に行ったのだが、ベッドから起きられずに、またもや意識が朦朧としていたとのことだ。この時は、本人の意識が多少あったため、救急車を呼ぶことはなかったが、家に入るためにチェーンを切ったりで大騒動となり、母の動揺は簡単に収まらなかった。
「迷惑掛けました。もう大丈夫です。少し無理をしただけです」
と兄は言ったが、さすがに今度は母親が引かなかった。実家に無理やり連れて帰ってきたのだ。会社には長期療養を申請し、1ヶ月休んだ。本人はキャリアに傷が付くからと、かなり抵抗したのだが、倒れている現場を始めて目の当たりにした母の衝撃が大きく、泣く泣く兄は休暇を取った。今後、出世に影響が出ることは否めないが、兄はどこか諦観した様子で、実家で静かに暮らしていた。ちょうどその頃、里帰り出産した明日香がいたため、蓮の面倒をよく見てもらったのだ。
「兄さん、彼女はいないの?」
実家で昼間一緒にいることが多かったため、興味本位で聞いた。
「いたんだけどね……」
縁側で、遠くを見つめる目でそう答えられ、次の言葉が出なかった。
「彼女といると、頭痛が止まらなかった……」
「えっ……」
ぼそっといわれた言葉を理解するのに、一瞬時間が止まった。
「じゃ、今回倒れたのは、そのせいなの?」
「……母さん達には内緒だよ。いつもそうだから、精神的なことなんだろうな……」
「……」
いつもと言うからには、何度もそうだったのだろうとすぐに分かったが、どういうことなのかと追求する勇気はなかった。
「もう、来週から会社に戻るよ。蓮と会えなくなるのは寂しいけど、体はもう大丈夫だ」
そう笑った顔が本当に寂しそうで、でもそれは、別の寂しさもあるのだと気が付いた。
そして1年半前、どうやら新しい彼女がいるらしいと亮太から知らされ、内心心配していた明日香だったが、どうしても黙って見ていられず、兄に聞いたのが3ヶ月前だ。やはり、半年程で別れたという。
「また、頭痛?」
「うん。今度は諦めたくなかったんだけど……、もう無理だと分かったよ」
LINEでのやりとりだったので、どんな顔で答えているのか見ることはできなかったが、5年前の笑顔を思い出し、あまりの切なさで返信ができなかった。「諦めずに、頑張って」とは、とても言えなかった。このことは私以外、家族の誰も知らない。
「ママー!」
「蓮〜」
部屋に蓮が飛び込んできた。パパの雅也と一緒である。明日香はベッド際まで来た蓮を、ぎゅ〜っと抱きしめる。蓮がモジモジと動き出すまで、ずっとそうする。最近やけに大人しくなって、子供なりに無理をしているのだと分かっているから、精一杯抱きしめてやるのだ。満足したらしい蓮は、真凜を抱っこしている翔一の足元まで来てせがんだ。
「翔君、真凜ちゃん見せて」
「嫌だよー。もう少し、抱っこしてる」
翔一は、蓮の反応を楽しむため、わざと言うことを聞かない。蓮はムゥッと膨れた。
「だめだよ。真凜ちゃんは赤ちゃんなんだから、寝かせとかないと!」
「そうなのかぁ。蓮、よく知ってるなぁ」
「赤ちゃんは寝るのが仕事だって、ハル先生が言ってたもん」
「ハル先生?」と、顔だけで明日香に確認すれば、「幼稚園の蓮が好きな先生」と小声で返って来た。
「では、ベッドに戻しますか」
ベッドに戻った真凜を、蓮は納得顔でゆっくり眺める。その横顔が何ともお兄ちゃんらしく、翔一は蓮の頭を撫でながら、一緒に真凜を眺めた。
「おはよう」
「わっ、亮君も来たー!」
亮太が病室に入ってきた。蓮は翔一よりも亮太に懐いている。まぁ、亮太は大きな子供みたいなところがあるし、翔一より10歳若いので、遊び方も体力があり激しいから、子供には好かれる。そんなお気に入りの亮太に、蓮は飛びついた。
「おぅ、蓮。ちゃんと赤ちゃんの面倒見てるか?」
「当ったり前だよ。僕、お兄ちゃんなんだよ」
その言葉に、皆の顔がほころぶ。どれどれと真凜のベッドを覗き込んだ亮太に向かって
「真凜ちゃん、可愛いだろ」
と蓮が自慢する。
「ほんとだなぁ、僕が貰ってっちゃお」
と抱きかかえる真似をすれば、慌てて蓮が「ダメー」と足にしがみついている。じゃれ合っている2人を眺めながら、翔一がゆっくりと瞠目した。
「あっ……」
隣で翔一の小さな声に気づいた雅也が、物静かな翔一が表情を変えたままで固まっていることに珍しさを覚えながら声を掛けた。
「お義兄さん、どうしました?」
「思い出した……」
じっと見つめられていることに気付いた亮太が、笑いながら聞く。
「なになに、兄貴。何思い出したの?」
「スーパーで、お前と話してたんだ……」
「何?」
亮太も、明日香も、雅也も、皆頭に「?」マークを付けながら、翔一の次の言葉を待った。
「亮太がこの間スーパーで話してた人に、この前会ったんだ。彼女、何?」
「何って……、何?」
「いや……、分からないんだ。何なのか……」
「こっちは、もっと分かんないよ……」
「……」
また思い出している顔をして、翔一はそれ以上説明をしない。
「兄さん、何かあったのね。兄さんの体に関係があること?」
翔一の様子を観察していた明日香が、横から助け舟を出した。
「頭痛が……」
「また、頭痛が始まっちゃったの?」
「いや、逆……」
「えっ……、どういうこと?」
「止まったんだよ……。あっ、でも、違う。それはきっと彼女には関係がないんだ。ただ、僕が痛がっていることに気付いたんだよ。ちょっと驚いちゃって……」
「……」「……」
亮太と明日香は顔を見合わせた。雅也は翔一の体質のことを知らないので、全く蚊帳の外だ。
「亮太達でも、僕が痛がってる時、分からないだろ?」
「うん。兄さん、ほんとに上手に我慢しちゃうから」
明日香の言葉に亮太が頷く。
「だよな。言われなきゃ、僕も全く分からん」
「それが、彼女は分かったんだ。電車で、席を譲ってくれた……」
「へぇ、佐渡さんって、別に特別っぽくないけど、超能力でも持ってるのかねぇ」
「まさかぁ」
意外と怖がりの明日香が「冗談やめてよ」という顔で笑う。
「佐渡さんっていうんだ……。案外、そうかも……」
「兄さん、真面目な顔して言わないでよ……」
明日香が嫌がる。
「ちょっと、面白そうだな。もしそうだったら、どうする? 今度聞いてみようかなぁ」
「何て聞くんだ?」
「超能力者ですかって」
「お前それ、もしそうでも、『はい、そうです』とは答えない質問の仕方だ」
「そうかぁ? でもさ、そんな人に会ったことないんだから、質問の仕方なんて分かんないよ」
確かにそうなのだが……、明日香はそれでもまだ引っ掛かりを感じているらしい翔一の心を押してみた。
「会ってみれば」
「……え?」
「兄さんがもう一度、会ってみれば分かるんじゃないの、その人に」
「ちょっ、それ、僕がセッティングすることになるじゃん。嫌だよ。あそこの上司には、あんまり会いたくないの。きっと偶然だよ。兄貴、珍しく顔に出てたんじゃないの、頭が痛いのが」
「……そうだな。きっとそうだ。別に会いたかったわけじゃないから、ちょっと思い出しただけだから、もう皆んな忘れて。よく考えたら、大したことじゃなかった……」
「でも……」
「亮君、何話してるの〜? 向こうで遊ぼうよ。あっちに一杯おもちゃ、あるんだよ」
大人の会話に飽きた蓮が、亮太の手を引っ張って連れ出す。それでなんとなく翔一の会話も終わった。明日香はもう一度翔一の顔を確認したが、もう拘っている風もなく、蓮達の後をゆっくり追って行った。
その深夜、翔一はふと目を覚ました。何かが顔に触れたような感触があり、飛び起きた。目を覚ました瞬間に、顔を手でとっさに確認した程だ。
「何だ、今の……」
小さな生まれたばかりの蜘蛛でも顔に這っているかのような、小さな感触……。明かりを点けてもう一度ベッドを確認したが、蜘蛛どころか、いつもと変わらず、そこには何もいなかった。
ふと、今見ていた夢を思い出した。
僕は何かの説明を聞くために、大学の講義室のような部屋で、大勢の人と一緒に待っている。あぁ、旅行の説明だと気付く。今まで楽しみにしていた旅行に、とうとう行くのだ。ワクワクしていて、やっと夢が叶って、嬉しくてしょうがない。説明が始まっていた。
「本来、皆さんの旅行には、縛られるべき制限は1つもありません。しかし、長年に渡り旅先で確立しているルールがあり、それが「1つの意識空間」として出来上がっていますので、皆さんはそのルールに従って旅行をする必要があります」
夢は、やはり支離滅裂で、次々と場面も変わるし、繋がっていなかった。でも、見ている最中に目が覚めたので、意外と内容を覚えていて、翔一は頭でもう一度反芻していた。
「そのルールに従うことが、今回のツアーを適切な期間で終えるコツになります。もちろん、もっと楽しみたいと思う方は、ルールに従わなければ、もっと長い間ツアーを体験することができます。ただし、「生」と「死」を何度も繰り返す旅になり、「輪廻」スパイラルに陥ってしまいますと、こちらに帰りづらくなることもありますので、お気を付けください」
長く楽しみたいけど、帰れないのは、まずいよなぁ。会社もいかないといけないしなぁ。などと、夢の内容を真剣に検討している自分に、翔一は笑ってしまった。いやいや、夢なんだから……。寝返りを打った。
「さて、皆さまの旅行先では、こちらとの連絡は、ほとんど取れない状態になります。ですが、皆様が自ら選んだ行先やオプションなどは、こちらで全て記録されておりますし、その通りに進めるよう、万全の手筈を整えておりますので、どうぞご心配なくご旅行をお楽しみ下さいませ」
そうなのかぁ、安心した……。翔一は半分眠りかけていた。もう、寝よ……。
「あと、皆様それぞれグループで旅をすることになります。また、特に一緒にツアーを楽しみたいと思っている相手がある方は、旅行先できちんと待ち合わせができる様に、最終確認をしておいて下さい。スムーズに会える様、こちらも万全を期しておりますが、皆様それぞれ降り立つ空港が違いますので、迷子にならないよう、くれぐれもお気を付けください」
隣で一緒に聞いていた人と、「また会おうね」と約束をした。
「やっと追いついた〜」
誰かが、僕の腕にしがみついてくる。
「待ってたよ……」
僕は安堵の溜息を吐いた。この人は、あの時、約束をした人だ。やっと、顔が分かった。
「……佐渡さん……?」
よっぽど気になってるんだなと、ほとんど眠りながら翔一は小さく笑った。
意識が途絶えて、こんどこそ翔一は眠りについた。
「玲奈、今度の休み、ホントに仕事は大丈夫なの?」
「土日は休みだから、大丈夫。お祖母ちゃんは見てるから、楽しんできて」
実家の姉からのLINEだった。ゴールデンウィーク前に家族3人で旅行に行く予定になっていた。
玲奈の実家には、玲奈の祖母と両親、姉夫婦と子供の6人が暮らしている。その姉の夫の営業成績が良く、旅行券を会社から贈与されたのだ。毎年2人貰えるらしく、結構仕事をする上でのモチベーションを上げているらしい。
祖母は今年80歳になるのだが、昨年家の中で転んでしまい、大腿骨を骨折してしまった。手術は成功しているのだが、やはり元のように歩くことはままならず、今では半分寝たきりになっている。特に、トイレには介助が必要で、昼間はヘルパーさんに頼んでいるのだが、夜は母と姉が交代で祖母の側で寝るようになっていた。今回旅行をするにあたり、姉の代わりに玲奈が実家に一泊し、世話をすることになっている。これまでに何度か経験しているので、玲奈は快く引き受けた。
「最近、お祖母ちゃん、よく死んだお祖父ちゃんのこと言うの」
「何て?」
「この間、庭に来た、とか」
「へぇ」
「その次は、もうちょっと近くの、物干しがあるでしょ。あそこまで来たって」
「何か、どんどん近づいてるねぇ」
「そうなのよ。一昨日なんて、廊下の石のところにいたって」
玲奈の実家は在来工法の日本家屋である。「サザエさん」の家の造りに似ている。あれを、2階建てにしたようなものだ。廊下とは庭に続く広縁のことで、石とは、その広縁の前にある沓脱石のことである。
「お祖母ちゃん、もう長くないって言っちゃって」
もふもふのひよこが、ワンワン泣いているスタンプも付いていた。
「大丈夫だよ。皆んなが帰ってくるまでは、待ってるって〜」
「あんた、すぐ死ぬみたいに、言わないでよ」
「お祖母ちゃん、お祖父ちゃんの事好きだったから、早く会いたいんじゃない」
「そうか……」
「まぁ、気をつけて行ってきて」
「よろしくね! 何かあったら、すぐに連絡ちょうだいね!」
1泊2日の国内旅行で、大袈裟である。まぁ、それだけ姉の毎日は、世界が狭いということなのだろう。玲奈は改めて、自由な1人暮らしに感謝した。
「お祖母ちゃん、元気?」
「元気じゃないわ〜。寝たきりは、腰が痛くて、いかんわ〜」
祖母は愛知県出身である。言葉の端々に名古屋弁が出てきて、たまに分からないのだが、小さいときから聞かされているので、大体は理解ができた。
「外に連れ出してあげようか。今、藤が綺麗だよ」
「外に行くのも、えらくて、かなわん」
「あれまぁ」
「えらい」とは「しんどい」という意味だ。久し振りに会った祖母は、急に小さくなっていて少し驚いた。もちろん、顔には出さないようにしたが、案外「長くない」というのは、本当かもしれない。
「お祖父ちゃんが来たって?」
「そうなんだわ。だんだん近づいて来とるで、もうすぐあっちに行けるかもしれん」
「何か話すの? お祖父ちゃん」
「今はなんも言わんけど、そろそろまわししとけよって、最初に来た時、言われたんだわ」
「まわし」とは、「支度」の意味だ。それって……。
「早くお祖父ちゃんに会いたい?」
「どっちでもええわ。どうせ、向こうでも釣りばっかりしとるんだに」
玲奈は大声で笑った。祖父は川釣りが好きな人で、晩年、夏になると、岐阜県の方に毎週出掛けて「あゆ」釣りを楽しんでいた人である。よくそんな昔の愚痴を聞かされていたのを思い出した。
「じゃ、まだ当分こっちにおらないかんね」
と、玲奈も少し訛って言葉を返した。祖母と話をしていると、どんどん釣られて訛っていく。
「玲奈は、ええ人はまだできんのかね」
「できんのだわ。世の男は、見る目がないねぇ」
「ほうだなぁ、見る目がないなぁ。なかなか、別嬪なのになぁ」
「お祖母ちゃんくらいだわ、そう言ってくれるのは」
「お祖母ちゃん、目が悪いでなぁ」
「わっ、ひどっ。お祖母ちゃん、全然、元気じゃん!」
「そう簡単には、死なせてもらえんで〜」
土曜日の昼下がり、2人の話は尽きなかった。
深夜、その祖母が枕元に立った。
「玲奈、あんた、約束した人待っとるで、はよ、行きゃーよ」
玲奈はビックリする。手助けしなければベッドから立ち上がれないはずなのに、ベッドから畳1枚分離れた所で寝ている玲奈の横に来て、すっくと立っている。
「お祖母ちゃん……」
と、そこで目が覚めた。慌てて起きて、祖母を確認したが、祖母は「すーすー」と寝息を立てて寝ていた。夢にしては随分リアルで、玲奈はその場にしばらく佇んだ。しかし、やはり祖母が起きる気配は微塵もなく、玲奈はもう一度布団の中に戻った。枕が変わって、変な夢でも見たのかと考えたりしていたが、週末の疲れが、玲奈をまた眠りの中に引き込んでいく……。
「そういえば、約束した人が待ってるって言ってたっけ……? 何だろ……。ふわぁ〜」
あくびと共に、眠りについた。
「やっと追いついた〜」
「待ってたよ……」
誰かに追いついて、玲奈は本当に嬉しくてたまらない。でもその人が誰なのか、玲奈には全く分からなかった。朝目覚めた瞬間、今見ていた夢を忘れてしまった。