くものこ
浪人生の五郎。
受験に失敗すること三回。
予備校生の中でも、年長組。
今年こそはと、猛勉強。
ある晩のこと。
夜を徹して勉強していると、クモが一匹。
天井からツーッと降りてくる。
朝蜘蛛は吉兆。
夜蜘蛛は凶。
迷信だって、なんだって、藁にもすがりたい思いの五郎。
天井から降りてきたクモをはしっと捕まえる。
手の中にクモ。
ふと、五郎は思い出す。
「クモの糸」というお話。
殺すか、殺さざるか。
そんなことで、悩み始める。
十分、二十分と無意味な時間が流れていく。
殺すべきか、生かすべきか。
二十分が三十分、三十分が……
一番鳥の鳴き声で、五郎はそっと手を開く。
もう朝だから、吉兆だ。
○
浪人生の五郎。
力試しに模試を受ける。
これがなかなか難しい。
考えても、考えても、わからない。
今年もまた、ダメなのか。
内心ベソをかきながら、五郎は必死で問題と格闘中。
ふと解答用紙を見ると、小さなクモがいる。
マークシートの数字の位置にぴったりといる。
まるで、印たようではないか。
問題が解けない五郎。
苛立ちまぎれに、エイッ。
小クモをペン先で刺そうとする。
小クモはサッとよける。
よけた小クモは、別の数字の位置に移動する。
これも、エイッ。
また、逃げられる。
逃げられると馬鹿にされているようで、意地になって、クモを追う。
そんなことをしているから、あっという間に時間がなくなった。
答えがわからないまま、解答用紙を提出することに。
がっかりして家に帰る。
母親が出迎えて、模試の様子を聞く。
さっぱりわからなかったうえに、小クモを殺そうとして、
時間がたりなくなったとはいえない。
「うん、まぁ……」と、あいまいに答える。
「うまくいったのかい?」と、喜ぶ母親。
何しろ、三度も失敗している。
できなかったとはいえない。
つい、見栄を張って、
「今回はよくできた。まるで、神様がおりてきたようだ」
などと、大げさなことを言う。
母親は信心深い人だから、
「それはきっとご先祖様だよ」
と、したり顔をする。
五郎はいづらくなって、勉強するからと自室へこもってしまった。
○
浪人生の五郎。
すでに三度目の正直はなくなり、「二度あることは三度ある」を超えた。
模試の手ごたえゼロ。
模試の結果が返ってきても、中を見るのが恐ろしい。
とても自分で見れそうもない。
年下の予備校仲間に見てもらう。
「どうだい」
「こりゃ、すごい」
と、予備校仲間は、目を丸くしている。
「そんなにすごいかい?」
「すごいねぇ、志望校を換えたほうがいいよ」
「そうか、そんなにか」
がっかりして、家に帰る。
母親が出迎えて、模試の結果を聞いてくる。
今度もだめそうだ。
五郎は母親の前で正座して、そっと模試の結果を差し出す。
母親があっと声を上げて驚く。
予備校仲間も、そうとう驚いていたから、母親が驚くのも無理はない。
五郎は母親に頭を下げて、
「これから、もっとがんばりますから」
と、許しを請う。
「気を抜かないで、がんばりなさい」
と、母親も優しく答える。
「もしも、今年、ダメだったら、あきらめようと思います」
「これほどの成績ならば、大丈夫でしょう?」と、母親。
模試の結果を差し出されて、あっと五郎は驚く。
志望校の合格率九十パーセント。
そんな数字、見たことない。
何かの間違いかと、用紙をさかさまにしてみる。
六十パーセント?
見慣れた数字だ。
数字は見慣れているが、志望校だのパーセントの位置がおかしい。
間違いなく、九十パーセント。
五郎はうれしくなって、バンザイ三唱。
○
その晩は、うれしくて、勉強が手につかない。
模試の結果を見ては、ニヤニヤ。
参考書を開くものの、模試の結果を思い出して、ニヤニヤ。
夜も更けてきて、そろそろ真剣に勉強を。
ふと参考書を見ると、クモがいる。
朝蜘蛛は吉兆。
夜蜘蛛は凶。
せっかく、いい点がとれたのに縁起でもない。
殺そうと、手を伸ばす。
「待ってください」
と、クモがいう。
五郎は驚いて、手を止めた。
「私はあなたに助けていただいたクモです」
いつかの晩のクモらしい。
「助けていただいた」と、なると恩返しが世の常。
あだで返すのは、人ばかり。
クモは恩返しをさせてくださいと申し出る。
「恩返しといっても、クモになにができるというんだ」
半信半疑の五郎。
すると、クモがいう。
「模試の結果をごらんになったじゃありませんか」
これはおれの実力だ。
当然、五郎は主張する。
しかし、ふと思い返せば、模試の日のマークシートには小クモがいた。
「あれは私の息子でございます」とクモ。
五郎に捕まった晩。
クモは身重だった。
その子が生まれ、親子で恩返しをするというのだ。
しかし、こればかりは信用ならない。
なにしろ、相手はクモだ。
クモがどうやって、
問題を解くというのだ。
クモは言う。
クモの子は無数にいる。
子らは天井にぶる下がって、他の受験生の答案用紙を盗み見るという。
答えは先の模試の通りのやり方で教える。
「カンニングじゃないか」
「あなたが他人の答えを見るわけじゃありません」
「だけど、見つかったらなぁ」
「クモが答えを見たからって、あなたが咎められることはないでしょう」
クモが答えを教えてくれる。
いったい、誰が信じようか?
○
いよいよ、受験、当日。
朝から母親がカツを食べさせ、火打ちなどして送り出す。
試験開始。
クモは約束した通り、マークシートの上に乗る。
それを五郎が、塗りつぶす。
要領よく、科目をこなし、一安心と家に帰る。
数週間後の合格発表。
家に封筒が一枚届く。
中を開くと──
サクラチル。
受かるものだと思っていた五郎。
あわててクモに問いかける。
「落ちてしまったぞ、どういうことだ」
クモは便箋を覗き込む。
「へぇ、サクラチルですか」
「そうだ、散ってしまったぞ」
「クモの子はちらすもんです」
やっぱり夜蜘蛛は凶なのです。
落語のような小話が書いてみたくなり、書いてみました。いかがだったでしょうか。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。