「秋空の交換日記」
「ねえ、何見てるの。」
病室の閉ざされた窓、その外に遠く広がる秋空を眺めていた「広美」に尋ねた。
「さあ特には。」
「そうなの?」
「いや、ただ単純に空って広いなって思っただけ。特に秋の空って、不自然なほど水色に澄んでるから、いつか吸い寄せられてしまいそうだなって。なんだかずっと見てられる気がするんだ。」
彼女はそう言うと、空から自然を外し、ベットの上の地震の体に目を落とした。そうして大きく「はぁ。」と溜息を吐くと、どうやらその様子を見ていた私に対し、
「どうしたのさ。そんなにこっちを見て。何か面白いものでもあった?」
と、からかう口調で言った。
広美は陸上競技の選手だった。それも、今私たちの通う高校の中ではトップクラスの成績を誇り、何度か外の大会で優勝したこともある。私と彼女は幼馴染であり、それと同時に同じ陸上部の仲間でもあった。
だが今、彼女の下半身には本来あった筈の両足がそこには無かった。
「そのさ、言い辛い事なんだけど、ケガって大丈夫なの?」
「命に別状は無いって医者は言ってた。まあ体のあちこちは折れたりヒビ入ったりはしてるんだけどさ。」
「そうなんだけど、そうじゃなくて…。」
彼女のケガは素人が見たって決して軽いものでは無いのは明白だった。ましてや彼女は両足を失ったのだ。精神的にも大丈夫な訳はない事くらい私にだって分かる。だが自身の体についてまるで何事も問題が無いように話す彼女に、私はなんて声を掛けていいのか分からなかった。
そんなことを考えて俯く私を見かねたのか、彼女は「アヤメはさぁ。」と私の名を口にした。
「まさか、足の心配をしているの? この私の。」
「うん。」
私の返事を聞き、彼女は「うーん」と何か考え込むと「まあ、この際だから。」と言った表情で私を真っ直ぐ見た。
「アヤメは私の足の心配をしているようだけど、それはお角違いってやつだよ。私はたまたまトラックに跳ねられただけで、その代償として両足を失った。でもね、そんなことは実際全く問題ない事なんだよ。今入院してる費用は勿論、その運転手持ちだし、これからそれとは別で慰謝料だって入ってくる。両足の埋め合わせとしては十分すぎる程なんだ。だからアヤメは何の心配もしてくれなくて良いんだよ。」
「でもその体じゃ、もう自分の足で立てないんだよ。それに走ることだって…。」
そう言いかけた時、一ヶ月前の大会で賞状をとメダルを受け取る彼女のキラめく姿が脳裏を過った。その姿は自身に溢れ、笑顔を振り撒き、全身で人々の熱意を輝きに変えて反射していた。だが今目の前に座る同一人物にはそんな様子は微塵も感じられなかった。
「今後どうするの?」
「さあ、なるようになるよ。」
彼女らしからぬ適当な返事に、私は私が知る彼女は居ないことを悟った。
「変わったね、広美。」
「変わらない人はいないよ。誰だって変わるものだよ。」
そう言う彼女の瞳はどこか遠くを見ていた。
「そう言えばお見舞いに持って来たのがあるんだけど受け取ってくれる?」
私は何とかこの場の空気を換えようと思い出したかのように、鞄から万年筆と一冊の白紙ノートを取り出した。本当はお見舞いの品でもなんでもなかったのだが、自分の鞄の中に丁度いいもの入っていたから出まかせを言った。
「これは?」
「一応…持って来てたんだ。使い方とかは特に決めてないんだけど、病院生活で暇してると思ったから…。日記とか書くのに使って。」
とっさに考えた嘘にしては無難な線を突いたと思う。
「そうねぇ、ノートか。」
「ほら万年筆もあるから使ってね。」
「じゃあさ、交換日記しない? どうせアヤメも暇だろ?」
まさか彼女が前向きにそんな事を言うとは思ってもみなかった。私はすぐさま「うん。」と元気よく返事して喜んで見せた。
「多分今日の面会時間は終わりだから、一週間後来た時にこのノート取りに来てよ。絶対に忘れないでね。絶対にだよ。」
念を押して言う彼女に苦笑いをしながら、私は「絶対に来る」と指切りをした。
「それじゃまた来るから。」
指切りをした彼女の小指が少し恋しかったが、私は一週間後、広美がどんなことを書くのか考えながら病室を後にした。
一週間後、私はまたあの病院に訪れていた。相変わらず病院の空気と言うのは独特なもので、あまり気分が良くなるものではなかった。病院の中は忙しなく医師や看護師が行き来していて、私は肩身が狭い思いをしながら廊下を抜けていった。途中、歩いていると広美を担当していると言う若い看護師と会い、彼女の様子について少し話した。看護師が言うには今日はいつも以上に機嫌が良さそうだったらしい。それを聞けて私はなんだか嬉しかった。
四〇三号室、それが彼女の病室だった。ここに来ると緊張する。今、彼女は大変な時期で昔よりも暗い性格になっている。だからこそ私にできることがあるのなら何でもする覚悟だった。軽くノックをし、
「広美、アヤメだけど元気にしてた?」
と言いながら扉を開けた。
だが私の期待する結果は得られなかった。私の声に対し返事をする声など無く、ただ病室内に沈黙が流れるだけだった。
「広美?」
不自然に思った私はすぐさまベットに駆け寄った。ベットには掛布団がそのまま置かれているだけで、広美本人の姿はない。付属の机には交換日記のノートと万年筆が無造作に置かれているだけで、部屋自体荒らされている形跡はない。
他に何か無いかと辺りを見回すと、私はすぐにこの部屋の中にある一つの異変に気が付いた。窓辺のカーテンは一人で静かに揺れなびく。普段閉ざされている筈の窓が開け放たれ、秋風の冷たくて乾燥した空気が部屋に流れ込んでいた。
私が窓辺に近付こうとすると、それを妨げるように強い秋風が吹きこんだ。カーテンのなびく音、風が空を切る音、そして机の上のノートはパラパラと音を立てて捲れていった。真っ白なページが続く中、そのノートが一つのページを開く頃、秋風は何処かへと通り過ぎていた。それはまるで、このページを見て欲しいかのように。
伊達に広美と幼馴染をやっている訳では無い。そのノートの字を見るに、それは広美本人が書いたものだと一目で分かった。どうやら文字が書かれているのはこのページだけで、他のページは真っ白なままらしい。私はその文章に目を落とした。
『私の親愛なるアヤメへ。いきなりこう言うのも変な話だけど、私は人生ってのは“渡り鳥”みたいなものだと思ってるんだ。渡り鳥ってのはその季節に合わせて住む場所を変えるだろ? 人間も同じで自分が適した所へ羽ばたいていくべきだと思うんだ。私の場合、適してたのは陸上だったんだ。だけどこんな体じゃ陸上はもう出来ないんだ。確かに義足とかの福祉機器を使えば走れることには走れるんだけど、私が好きなのは自分の足で走って、その足裏に伝わる刺激と疲労感だ好きなんだ。だから、もう私には陸上は出来ないんだ。あー、何か何言ってるか分からないかもしれないけど、まあ、私も渡り鳥みたいに住む場所を変えようと思うんだ。アヤメとはもっとずっと居たかったけど、もう決めたんだ。だからごめんね。次もまた一緒に逢えるから。絶対に迎えに行くからね。それじゃあ。いつかまた何処かでね。広美より。』
最後の方の字はぐちゃぐちゃに書かれ、所々水滴で万年筆のインクが滲んだ跡があった。
病室から覗ける水色に澄んだ秋空はどこか寂しさを孕んだまま、どこまでも広がり続けていた。
読んでくださりありがとうございます。
今回の作品ですが個人的には満足して書けた気がします。今後もこの作品のように3000字前後の短い小説を書き続けていこうと思います。
次にあげるとしたらタイトルは「冬空の○○」って感じにして、四季折々の空をテーマにした自作本をいつか出してみたいですね。
そう言えば今回初めて表紙を作ってみたのですが中々大変な作業でした()。
それではまたいつかどこかで。
ノベプラにも投稿しました
novelup.plus/story/169833649