幼馴染の影宮桜子が忠誠を誓ってきて困る
あれは確か、小学三年生の春のことだった。
無口・地味・ガリ勉と三拍子揃った影宮桜子に対して、いつからか嫌がらせが始まったらしいのだ。
不幸の手紙が届いたり、教科書へ落書きされたり、上履きが泥まみれになっていたり。俺は全く気づいてなかったんだけど、事態は徐々にエスカレートしていたらしい。
桜子は自衛のため、自分の持ち物を学校に置かず毎日持ち歩くようになっていた。
「桜子、なんで毎日そんな大荷物なの?」
「コウちゃん……私、みんなに嫌われてるみたい」
「は?」
桜子の家は母子家庭だったから、母親に心配をかけないようイジメのことは誰にも黙っていたらしい。
バカヤロウ、と一喝した。
そのまま桜子の家に行き、根掘り葉掘り詳細を聞き出した。嫌がらせの経緯をノートに残し、証拠の品々を写真におさめる。証拠がないと大人を動かすのも大変だからな。
その後、ついムラムラっとして勢いで抱きしめ、強引にファーストキスを奪ってしまった。桜子は茹でダコみたいに顔を真っ赤にしてボロボロと涙をこぼした。近年稀に見る大泣きだ。俺はとても焦った。
「と、とにかく、俺に任せとけよ」
「…………ん。わかったよ、コウちゃん」
まぁ、俺と桜子は家も隣同士だし、保育園に入る前から一緒に遊んでいたこともあって、半ば兄妹のような間柄だったんだ。夕飯もうちでよく一緒に食べてたからな。
俺の平穏を乱すやつは許さん。だから、絶対に犯人を見つけて叩きのめそうと心に決めた。
子供なりに知恵を絞った。
俺はイジメの犯人を捕まえるため、毎日早起きして教室のカーテンの裏に隠れることにしたんだ。
――調査三日目。
クラスでも可愛いと評判の草壁さんが、桜子の机にマジックで落書きをしているのに遭遇した。俺は怒鳴り込みたい気持ちを抑えながら、その様子をスマホで撮影し、草壁さんが去ったあとで桜子と俺の机を交換した。
そこからは、こっそりと草壁さんを観察するようにした。ロッカーや靴箱にイタズラしているところを写真に残し、友達に根も葉もない噂を垂れ流す動画をかき集めた。よくもまぁ、毎日毎日飽きないものだ。
一週間ほどして、クラスの調子のいい男子が「触んなよ、影宮菌がうつる」などと言い出したあたりで、顔を真っ青にしたハゲ担任が教室に現れた。
「だ、誰だ。このクラスにイジメがあるなんて、いきなり校長先生と教育委員会とPTA会長と警察に連絡したのは。まずは先生に相談しなさい。そもそも、本当にイジメはあるのか!?」
もちろん、証拠の数々を送ったのは俺だ。
草壁さんの家にも同じ証拠品を送りつけたから、普通の家庭ならコッテリ叱ってもらってるはずだ。庇うようなら徹底抗戦だけどな。
そして、教室でハゲ担任がイジメの真実ではなくチクリの犯人を探す様子も一部始終を動画に撮った。当然、各方面にメールで送っといたよ。ちゃんと対処しないと、次はマスコミに送ったりネットに上げたりするぞ、というメッセージ付きでだ。
だって、桜子はわりと早い段階で先生に相談してたのに、下品に笑って流されたんだ。こうするっきゃないだろ。
家に帰ると、なんだかウキウキしている母さんの横で、父さんはとても微妙な顔をしていた。
「康介」
「うん」
「お前ほんと……ほんっとに母さんそっくりに育ったな。いや、悪いとは言わん。ただな、少し騒ぎが大きくなりすぎた。桜子ちゃんを連れて、一ヶ月ほど田舎生活をしてきなさい」
「え?」
「母さんの実家だ。温泉もあるから、ゆっくりしてきなさい。その間に父さんがことを収めておくから。悪いようにはしない。イジメについてはちゃんと謝らせた上で、双方遺恨の残らない落としどころをだな――」
父さんがごちゃごちゃ言い出したけど、俺はなんだか敵前逃亡みたいで田舎に行くのは嫌だった。
ただ、母さんの「桜子ちゃんと一緒に温泉入り放題よ」という言葉に煩悩を刺激されまくり、意外と桜子が乗り気だったこともあって、田舎行きを決めたのだった。
婆ちゃんの家は、古い日本家屋だった。
そのあたり一帯はかつて忍者がいたことで有名な地域で、近所には忍者資料館なんてものもある。少しワクワクしながら、俺と桜子は玄関を開けた。
「こんにちは。孫の日坂康介です」
「影宮桜子です。お世話になります」
「……お入り。長旅、大変だったろう」
婆ちゃんとは記憶にある限り初対面だ。
決して表情豊かな人ではないんだけど、言葉の端々から俺たちのことを気遣ってくれてるのがわかる。悪い人ではなさそうだ。
豪勢な夕飯をご馳走になり、お茶を啜る。
婆ちゃんは嬉しそうに俺たちを眺めた。
「孫が骨のある男に育ったと聞いてね。話を聞けば、爺さんの若い頃そっくりじゃないか。こりゃ将来が楽しみだねぇ……。短い間だが、ゆっくり心を休めていくといい。お嬢さんの事情も聞いておる。大変だったじゃろう」
まぁ、多少のリップサービスはあるのだろうけど、歓迎してくれるのはありがたい。そんな風にして、俺と桜子の居候生活が始まった。
交渉が意外とバタついているらしく、五月いっぱいの滞在予定が六月に伸び、七月になり、そのまま夏休みに入ってしまった。もとの家に戻るのは夏休み後半になるだろう。
俺と桜子の目の前には、むっちりボディのお姉さんがいた。親戚の多恵さんという人で、学校の授業に遅れないように俺たちの家庭教師をしてくれている。教えるのがずいぶん上手だけど、普段何してる人なんだろうな……。
「さぁ、学校から夏休みの宿題が届いたわよ。康介、桜子。三日で終わらせなさい」
「そんな、無茶だよ」
「そうです多恵さん!」
多恵さんいわく、夏休み最終日に駆け込みで宿題を終わらせるような輩がいる以上、本気を出せば一日で終わるはずだ、と。三日もあげるのは温情だということらしい。無茶苦茶な言い分だ。
「康介。三日で終わったらご褒美をあげるわ」
「え? あ、頑張ります」
多恵さんが胸の谷間を見せつけてくるので、つい即答してしまった。我ながら煩悩に忠実過ぎる。あと、桜子の視線が痛い。
「桜子。例の修行、本格的につけてあげるわ」
「わかりました。頑張ります」
桜子の方も簡単に説得されていた。
というか、修行って何の話だろう。俺が口を挟む前に、多恵さんはパンッと手を叩いた。
「よろしい。あ、絵日記は二人で示し合わせて書きなさい。ウソにならないように、本当に実行するのよ。夏祭りとか花火大会とか、イベントの日程は居間のカレンダーに書いてあるからね」
それでいいのか、と思いつつ。
二人で絵日記を捏造するのは楽しすぎた。この日は忍者資料館に行った、次の日はからくり屋敷を作った、忍者の修行をした。そんな未来を妄想するのが楽しくて、途中からは二人で腹を抱えて笑いころげた。
桜子がここまで笑うのは、久しぶりだ。
宿題を三日で終わらせるなんて無茶だと思ったけど、意外とやればできるものだ。集中して頑張ればそれほどの量でもなく、二人でヘトヘトになりながらもなんとか終わらせることができた。
多恵さんからのご褒美は「川遊び」だった。
地元の人にもあまり知られていないきれいな川を教えてもらえて、ムチムチの水着姿の多恵さんを拝めたのは確かにご褒美だったかもしれない。
結果として、はからずも日記に書いた「桜子とケンカになる」「翌日チューしたら仲直りできた」というのも事実になったしな。あとで振り返っても、なんとも煩悩にまみれたマセガキだったと思う。
夏祭りや花火大会では、浴衣姿の桜子にかなりグッと来てしまった。もとから顔立ちは綺麗だったと思うけど、これまでにない「色気」のようなものを感じてしまい、柄にもなくドキドキしてしまったのだ。
「……どうかな、浴衣」
「うん。なんというか……いいな。すごく」
「えへへ」
クルッと回り、はにかむ桜子はとても可愛い。
でも、この時まだ俺は気づいていなかった。
この4ヶ月間の田舎生活のせいで、桜子が着々と道を踏み外していることに……。
夏休みも残すところ三日。
田舎から戻ってきた俺たちは、学校の応接室へとやってきていた。
相手側は、草壁さんとその両親。
こちら側は、俺と桜子、桜子の母親。
立ち会っている校長先生が場を取り仕切る。
「さぁ、草壁さん。影宮さんに言うことは?」
大人同士の落としどころは既についている。
草壁さんの両親からは、学用品の弁償や示談金の支払いも済んでいて、桜子の母親も、怒り心頭ながらこれ以上ことを荒立てないと同意していた。
あとは草壁さんが謝罪をし、桜子が受け入れるだけ。だというのに、草壁さんは手をギュッと握ったまま、頑なに口を開こうとしない。
「草壁さん、ちゃんと謝ると約束しただろう?」
「…………どうして」
草壁さんはゆっくりと口を開く。
「どうして、康介くんがこの場にいるの……? クラスメイトには、私が犯人だってことは教えない……はずでしょ……」
震える声でそう話す。
この場に俺がいるのが、草壁さん的に何かまずいのだろうか。思い当たることはないんだけど。
校長は草壁さんをじっと見る。
「ふむ……。実のところ、影宮さんのために証拠を集めたのは、他でもない日坂くんなんだ」
「そ、そんな!?」
「証拠の写真や動画を流出させないよう、日坂くんとちゃんと約束する必要があるからね」
どんよりと暗い顔をする草壁さん。
その様子を見ながら、桜子は納得したように頷いた。そして、草壁さんの目を覗き込む。
「草壁さん、コウちゃんのこと好きなの?」
「……ぁぅ」
「だから私に意地悪したんだ」
え、そうなの?
困惑する俺の横で、草壁さんはヒックヒックと泣き始めた。これじゃ謝罪どころではないな。なんとか泣き止ませないと。
「あのー、草壁さん?」
「ひっく……康介くん……ひっく」
「大丈夫。クラスのみんなは草壁さんが犯人だって知らないし、新しい恋はきっとすぐ見つかるよ! 俺はほら、活き活きとイジメに勤しむ草壁さんに割とドン引きしちゃったから好意は欠片もないんだけど、そういう底意地の悪い女にコロっと騙される男も世の中にはたくさんいるわけだし、顔だけは整ってるんだから諦めるのはまだ早――」
「ウアアアアァァァァアアアアッ!」
「草壁さん!?」
おかしいな、励ますつもりだったのに。
その後、両親になだめられてなんとか落ち着いた草壁さんは、蚊の鳴くような声で桜子に謝罪を表明した。桜子もあっさりとそれを受け入れ、事件は無事に収束したのだった。
そんなこんなで夏休み最終日。
部屋の中で、俺は珍しくドキドキしていた。桜子から「大事な話があるから、部屋で待ってて」と言われたのだ。真っ赤な顔をしていたから、これはえっちな展開も期待できるだろう。しめしめ。
コンコン、と扉がノックされる。
どうぞ、と言うと、忍者が入ってきた。
……うん。忍者が入ってきた。
困惑する俺の前で、忍び装束の桜子はシュタッと立膝をつく。忍者資料館で見た忍びの作法そのまんまだ。えっと、こういう時なんて言うんだっけ……。
「あー……面を上げよ」
「はっ」
「桜子。その……何やってんの?」
「うん。助けていただいたこの命。コウちゃんに捧げます。魂が擦り切れ、身体の朽ち果てるまで、主様のために働くことを誓いましょう。なんでもご命令を」
「へ?」
突然のことに頭が追いつかない。
桜子はキリッとした顔でキラキラした目を向けてくる。なんというか、さっきまでの煩悩にまみれた自分が、もの凄く卑しいモノみたいに思えてくる。
「えっと、桜子……?」
「どうか、ただ『影』とお呼びください」
「……か、影?」
「はっ。なんでしょうか」
なんでしょうか、じゃねぇ。
俺は混乱のあまり頭痛がしてベッドに座り込んだ。原因である忍者少女は「ご命令を、ご命令を」と言いながら足元にすり寄ってくるし。なんなんだこれは。
――まぁ、これも一時の遊びだろう。
そう思いながら過ごしていたら、忠誠を誓われたまま残りの小学校生活を過ごし、いろいろと黒歴史だった中学校も卒業し、ついに明日高校に入学する、というところまで来てしまった。
道を歩けば隠れて護衛されるし、女と話せば棒手裏剣が飛んでくる。俺を悪く言う奴は翌日には震えながら謝ってきたり、止まらない下痢に苦しんだりしていた。すべて桜子の裏工作だろうが、本人に言っても「記憶にありません」と言うばかりだ。政治家か。
まぁ、エロ本がジャンルごと・使用頻度順に整理整頓されていたときは、さすがに命令してやめさせたけどな。
いつでも近くにスタンバイしてるから、「影」と声をかければ壁板や天井がクルッと回転して桜子が参上する。そのくせ裏工作も勉強もバッチリ。いつやってんだろ。分身の術でもつかってんのかな……わからん。
今日も俺は部屋で頭を抱える。
「高校では普通の幼馴染っぽく偽装しろよ」
「…………御意」
御意じゃねぇよ……。
この数年で急激に女らしい体つきになった桜子は、表情を動かさずにコクリと頷いた。やる気に満ちた目が爛々と光っている。はぁ、まったく。
俺はこの先、まともな高校生活を送れるんだろうか。